第14話

「ヒカリ!」

 タタミの上で、ヒカリの尻尾しっぽは、生きているみたいにビクビクと動き続ける。しかし、ヒカリの姿はどこにも見当たらない。

 まさか、ヒカリは食べられちゃったの!?


「そんな、ウソだろ!? ヒカリ!」

《落ち着け、勇真。これは自切じせつじゃ。ヤモリのことを調べたじゃろう?』

 あせる勇真に、カミサマが落ち着いて声をかけてくれた。それで、勇真はようやくヤモリの特徴とくちょうを思い出す。

 ヤモリは敵におそわれた時、危険を察知すると、尻尾しっぽを自分で切る。それを自切じせつという。切った尻尾しっぽは、しばらくの間生き物のように動くので、敵がそれに気を取られている間にげることができるのだ。

 じゃあ、ヒカリはこの尻尾しっぽにして逃げたの? どこに?


「じゃあヒカリはどこにいるの!?」

布団ふとんの後ろじゃ。おびえておるから、そうっとな》

 場所を教えてもらって、急いで部屋のはしに積んである布団ふとんろうとしたが、カミサマに注意されたので、勇真はしのび足で進んだ。たたまれた布団の後ろのすき間を、そっとのぞく。

「ヒカリ……、ぼくだよ」


 暗いすき間の奥で、何かが二つ光った。ヒカリの目だ。くりくりの目は、暗い中でたて割れの瞳孔どうこうが開き、不安そうにこちらを見ている。

 そっと布団をずらすと、ふるふるとふるえるヒカリの体がうっすら見えた。

「助けに来るのがおそくて、ごめん。ごめんねヒカリ、おいで……」

 これ以上おびえさせないように、勇真は小さな声で言って、そっと手をばした。


 ソロリ……


 ヒカリがゆっくりと出て来て、勇真の手に乗ったので、少しホッとした。しかし、明るいところで見たヒカリの姿に、勇真はショックを受けた。

 尻尾しっぽが、根元からプッツリ切れている。それだけではない。背中に小さなトゲが増えている。しかし、しおれたみたいに力がなく、体の色は黒ずんでいる。


「ごめん……ごめんね、ヒカリ」

 昼ごはんを食べた後に、一度様子を見に帰れば良かった。いや、やっぱり家で留守番させた方が良かったのかもしれない。

 ぐるぐると頭の中を後悔こうかいする気持ちが回る。

「ごめん……ぼくのせいだ……」


 ぼくは、ヒカリの飼い主なのに。ぼくがヒカリを守らないといけなかったのに……。


 ○ ○ ○


 突然一人でじいちゃんの家に戻った勇真を追いかけて、父さんと母さん、じいちゃんももどって来た。理由が分かって、「よく分かったな」とおどろかれたが、落ち込む勇真を見て、どうして分かったのか深くは聞かれなかった。

 この辺りにはノラねこが多いから、もっと注意するべきだったと、じいちゃんがもうわけなさそうにあやまってくれたけど、じいちゃんのせいじゃないと、勇真は首をふった。


「病院に連れて行けないかな?」

「う〜ん、おぼんだから、どこも休みなんだ……」

 ヒカリの元気がないように思えて、勇真は父さんと母さんにそう言ったが、この辺りの動物病院はどこも休みだった。それに、開いていたとしても、ヤモリなどの爬虫類はちゅうるいてくれる病院はほとんどないのだそうだ。


「ヤモリの尻尾しっぽは、時間がたてばまた生えてくるんだ。だから大丈夫だよ」

 父さんがなぐさめるように言ったが、勇真の心は軽くならなかった。

 尻尾しっぽがもう一度生えてくることは、ヤモリを調べたから知っている。それでも、生えてくる尻尾しっぽは、元々の尻尾しっぽとまったく同じものではない。前より弱くなって、しっかり体を支えられなかったり、短くいびつな形になったりもする。再生にはとても体力がいるから、うまく再生できずに、死ぬまで尻尾しっぽが生えない場合だってある。

 ヒカリの色んな感情を教えてくれる長くてカッコよい尻尾しっぽは、もう二度ともどってこないのだ。


 そして何より、一度自切じせつしたヤモリは、キレイに尻尾しっぽが生えたとしても、もう二度と自切じせつできない。何かあった時のお守りである自切じせつを、もう使わせてしまった。つまり、ヒカリはもう二度と、危険からのがれることはできなくなったということだ。

「一度失われたら、まったく同じものはもうもどらないんだ……」



 勇真はもう一泊いっぱくして、翌日の夕方に自宅に帰るために車に乗った。「またおいで」という、じいちゃんの言葉に、なんとか笑顔を返す。じいちゃんの家にいる間、代わる代わるみんなが元気を出すように声をかけてくれたので、少し元気なふりをしていたが、頭はずっとヒカリのことでいっぱいだった。

 ヒカリはあれからずっと、かくはちの中に入っていて、帰りの車の中でも動かなかった。


 自宅へ帰っても、ヒカリはじっとしているままだった。霧吹きりふきの水滴すいてきめるが、エサはほとんど食べない。

 キットに入っていた栄養剤は、カルシウムやビタミンなどの粉末だった。エサにまぶしても食べなかったので、水にかして霧吹きりふきすると、ヒカリは少しめてくれた。

 これで元気になって欲しいと、勇真はいのるように見守っていたが、数日たっても、ヒカリは元気にならなかった……。


 ○ ○ ○


 八月十九日。

 ヒカリが生まれて、ちょうど三十日。ヒカリの様子は、帰って来た時からほとんど変わらなかった。

尻尾しっぽの再生のために体力を使っているんだろう」と父さんは言った。もしかしたらねこおそわれた時に、体を痛めたり、傷口からばいきんが入ったのではないかと心配したが、やっぱりてくれる病院は見つからなかった。


 勇真は、部屋で飼育ケースをのぞいていた。今日もヒカリの元気はない。いや、日に日に弱っているように見えた。


「ぼくのせいだ……」

《勇真、どんなに気を付けていても、事故や病気はけられないこともあるのじゃよ》

 つぶやいた勇真に、カミサマが声をかけた。

「どんなに気を付けていても?」

《そうじゃ。用心していても突然とつぜん病気になることもあれば、思わぬところでケガをすることだってある。生命いのちに“絶対”の無事はないのじゃ》

 確かに、思わぬ事故や病気で亡くなる人もいる。治りたいと願わないはずはないけれど、みんながみんな、治って元気になれるわけじゃない。


「カミサマ。ヒカリは元気になるよね?」

《……こればかりは、ワシにも分からんよ》

 低く返された答えに、勇真は勢いよく顔を上げて、学習机の上の薄灰色の玉カミサマを見た。

「どうして? カミサマは神様なのに!?」

《言ったじゃろう? ワシは、学びのサポートをする神様じゃよ。生命いのち行方ゆくえを変えられるような力はないのじゃ》

「そんな……。じゃあ、ぼくはどうしたらいいの? ヒカリのために何ができるか教えてよ……」


 勇真が見つめる前で、玉はカタカタとさみしそうにゆれた。

《例えヒカリが助からなくても、最後までそばにいて見ていてやることじゃ》

「助からなくても!?」

《そうじゃ。それが、ヒカリの生命を預かった勇真の責任じゃ》


 勇真の体を、ふるえが走った。

 責任。

 カミサマに最初に聞いて、なんてめんどくさいと思った言葉。でも、生き物を飼うと決めたなら、決してけられないこと。


 勇真は飼育ケースの中をのぞく。動かなかったヒカリが、少し頭をかたむけた。くりくりの目が上を向き、勇真を見た。タマゴから生まれてから、ずっと変わらない、ヒカリのキラキラとした目……。

 じわりと、勇真の目になみだがにじむ。

「……いやだ。死んじゃいやだよヒカリ」


 ぼくのところに来た、一つだけの生命いのち

「特別なトカゲなんかじゃなくてもいいから、死なないで……お願い……」

 勇真の目から、一粒ひとつぶなみだが流れる。ほおを伝ったそのしずくは、あごの先から、ヒカリの頭に落ちた。



 黒い舌を出して、ペロとヒカリが自分の顔に流れたしずくめ取ると、キラリと銀の光が体を走った。

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