第10話

 タコにナメクジ?

 勇真の頭の中で、ぐにゃぐにゃの生き物達がぐるぐる回る。

「骨がないと、みんなあんなにぐにゃぐにゃになっちゃうの!?」

「本当にみんなそうなるのかどうかは、お母さんにも分からないわよ。でも、骨がなかったら、動物は体を支えられないでしょう? 支えられないと、そりゃあナメクジみたいに地をわないと生きられないわよね。いやだわ、大変ねぇ」


 今、おそろしいことをサラッと言われたような……!? しかも、全然大変って思ってないよね!?

 勇真は目を白黒させた。母さんは、勇真の顔を見て楽しそうに笑いながら、おてふきで指先をく。そして勇真に向けて、ゆっくりと手の平をにぎってグーにして、開いてパーにした。

「こうやって自由に動かせるのも、骨と筋肉があるからでしょう。魚も骨があって、その周りに筋肉があるのよね」


 母さんはそう言って、皿の上のサバの身を見る。

「私達が食べているのは、魚の筋肉ね。骨があるから筋肉がきたえられて、おいしい身になるわけでしょ。骨がなかったら、クラゲみたいにぐにゃぐにゃの身になるのかしらね。それとも、タコやイカみたいに、柔らかいけど歯応えのある身になるのかしら! うふふ、勇真はどう思う?」

「どうって……」

 勇真は皿を見下ろす。サバの塩焼きは、白い身がやわらかくて、口に入れたらあぶらがじゅわっとしみ出て、ちょっとの塩気が白いご飯によく合うんだ。でも、皮は好きじゃない。グニュッとしたさけほどじゃないけど。

「ぐにゃぐにゃでも、グニグニでも嫌だな。このやわらかい身がおいしいもん」

「そう! おいしいのよね、お魚も!」


「はい、食べて食べて」と母さんがすすめるので、勇真はほぐしてもらった身をパクリと口に入れる。骨がないと、食べやすくておいしいと思えた。

 うん、やっぱり身はおいしいと思う。骨さえなければね。でも、骨がないとこんな身じゃなくなるんだ?……それは嫌かも。


「そうか〜、骨が嫌だったのね。お母さんったら、もっと早くよく聞けば良かったわよ」

 パクパクとご飯を食べ進みながら、やけにうれしそうな母さんが言う。勇真は不思議に思って、口の中のものを飲みんでたずねた。

「母さん、なんでそんなにうれしそうなの?」

「そりゃあ、勇真がおかずを残す理由が一つ分かったからよ! お母さんのご飯がおいしくないから残すのかと思ってたもの〜。お惣菜そうざい買ってきたら、いつも残さず食べるじゃない?」

 勇真はあわてて首をった。

「えっ、ちがうよ! 母さんが買ってくるのは、フライが多いでしょ。あれは骨がないんだもん」


 骨を取るめんどくささもないし、安心して食べられる。それに、揚げ物大好きだし。唐揚げが一番好きだけど。

 なるほど、なるほど、と母さんはうなずいた。

「じゃあこれからは、もう少し勇真が食べやすいように考えてみるわね!」

「骨があってもがんばって食べろ、とは言わないの?」

「あら、嫌々食べるより、楽しく食べてくれる方がいいもの。それで色々食べられたら、勇真が元気でいられるでしょう」


 色んなものを、まんべんなく食べる。それが、血になり、骨になり、筋肉になり、勇真の体を作る。生命いのちの一部になるのだ。

「だから、できたら残さず食べてね」

「……残すともったいないし?」

「そうね、もちろんフードロス削減さくげんは大事。でもそれよりも、生命いのち粗末そまつにしないためよね」


 生命いのち粗末そまつにしない。

 勇真は不思議に思った。その言葉は、道徳や総合学習の授業では何度も聞いたことがある。命は一つしかない大切なもの。失われたら二度とは取りもどせない。だから、自分の命も、お友達の命も、同じように大事にしましょうってやつだ。だけど、食事を残さないことに何の関係があるのだろう。


「このお魚、サバくんね、少し前までは海で生きてたのよね」

「生きてた……」

 当然だ。魚は生き物。でも生きて海を泳いでいたと、言われてみるまで想像したことはなかった。勇真が知っているのは、パックに入ってスーパーで売られている切り身の魚だ。

「このサバくんは、生きて元気に動いていたから身がおいしくなった。今日勇真は、そのサバくんの生命いのちをもらったわけ」

生命いのちを……もらった」

「そう。だから『いただきます』って言うのよ。生き物はみんな、何かの生命いのちをもらって毎日生きてるのね。その生命いのちを残すのは、申し訳ないないなぁって、母さんは思うわ」


 勇真は、自分の目の前にある皿に目を向ける。ほぐされたサバの身。

 これは、ぼくが生命いのちなんだ。


 ○ ○ ○


 食後に部屋にもどると、クーラーのゴーという音と共に、今日もセミの大合唱が聞こえてくる。窓際の飼育ケースの中で、勇真が帰ってきたのを感じたヒカリが、かくはちから顔を出した。

 窓ガラスしに、おとなりの和田さんちの赤茶色の屋根が見えた。その上を、首輪をつけた黒猫クロタがしなやかに歩いて行く。その向こうの空を、カラスが横切って行った。


《どうしたのじゃ、ぼんやりして》

「……生き物って、意外と周りにいっぱいいるんだなぁって思って」

《ほほう、良いことに気付いたのぅ。自分以外の生命いのちを意識するのは大事なことじゃぞ》

 勇真はズボンのポケットから、薄灰色うすはいいろの玉を取り出して学習机の上に置く。

「どうして?」

《世界は人間だけのものではないと分かるじゃろ?》


 人間は世界中で生きていて、この地球が自分達のものみたいにしているけど、本当は人間以外の生き物がたくさん一緒にくらしているんだ。 

 セミも。猫も。カラスも。さっきのさばも、同じ地球に生きてたんだな。


 飼育ケースの中から、ペシンと小さな音がした。見ると、ヒカリのが片手を透明とうめいかべに付けて、こちらを見ている。まるで、「どうしたの?」と気にしてくれているみたいだ。

「何でもないよ、ちょっと考え事してただけ」

 ケースに近付いて声をかければ、ヒカリの尻尾しっぽの先が、もう一度ペシンと砂をたたいた。


「ねえ、カミサマ。ヒカリの尻尾しっぽにも、骨があるの?」

《もちろん、あるぞ》

「それでこんな風に、カッコよく動かせるのかぁ」

「カッコよく」と言うと、ヒカリの頭がクンと上がって、目がキラキラと光って見えた。尻尾しっぽの先もピシッとびて、なんだか得意気に見える。

 うれしいのかな。

 きっとそうだな。

 勇真は、引き出しから自由帳を取り出して、食事の前にいていた絵を見てみた。上手うまえがけたと思っていたけど、今見直してみると、体から生えた四本の手足や尻尾しっぽの角度がヘンテコだ。ヒカリは、もっとシュッとしてカッコいい。


 勇真は、本棚ほんだなにある図鑑ずかんを引っ張り出した。小学校に入った時に、じいちゃんからプレゼントされたものだ。プレゼントされた時と、三年生の理科で昆虫こんちゅうのことを勉強した時に開いたけど、それ以外にはほとんど見ていない。

「これにヤモリのこと、ってるかな」

《どうかのう。探してみれば良いぞ》

「うん」

 勇真は素直にうなずいて、ゆかに数冊の図鑑ずかんを並べると、ヤモリを探し始める。


 目の前にいる生き物がどういう生き物なのか、初めてちゃんと知りたいと思った。

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