第7話

「水替えよし、霧吹きひふきよし、エサ、野菜よし、ふんそうじよし。完ぺきっ!」

 勇真ゆうまは飼育ケースのふたを閉めた。ヒカリは、かくにしている小さなはちから、シャシャシャと素早く出て来た。そして、エサとキャベツの葉っぱを素通りして、ケースの透明とうめいかべに付いた水滴すいてきめはじめた。

 ヤモリは水入れから水を飲む以外にも、霧吹きりふきでらした、ケースの内側をめて水分を得る。ヒカリはどうやら、ケースの内側をめて水分補給する方が好きみたいだった。水入れの水はいつも手付かずだ。

 黒っぽい小さな舌が、ペロン、ペロンと水のつぶを拾っていくのを見るのは楽しい。勇真はしばらくヒカリの観察をしていた。


《ヒカリの世話もれたものだじゃ》

「まあね。もう五日目だもん」

 学習机の上でくるりと一回転した薄灰色の玉カミサマが、キラリと光る。この時ばかりは、薄灰色うすはいいろのタマゴだった玉が、銀色に見えるから不思議だ。


「ところでタマサマ」

《カミサマじゃ!》

「あ、そうそう、カミサマ。ヒカリが進化するのはいつなの?」

 机の上の玉が、カタカタれた。

《進化、とは?》

ヤモリだって言ってたから、進化して変化するんじゃないの? ほら、モンスターをつかまえて一緒いっしょ冒険ぼうけんするようなゲームだと、進化して見た目が変わったりするでしょ」

《進化なぁ……、まあ進化なのかどうかは分からんが、変化はするな》

「どんな風に!?」


 机にぐぐっと顔を近付けて聞くと、玉がねて鼻を押した。

《お楽しみじゃな》

「ええ〜っ! カミサマのケチ〜!」

《ケチとはなんじゃ! ケチとは! まったくおぬしは!》

「だってさ、知りたいんだもん」

 勇真は鼻をこすりながら、口をとがらせる。

《どう変わるかは、おぬししだいだと言ったじゃろう、勇真。ワシでもまだ分からないのじゃ》

「そうなの?」

《そうじゃ。ヒカリは、おぬしをしっかり見ているぞ》


 言われて、勇真は飼育ケースをのぞく。ケースの中では、ヒカリがケースの中央辺りでキョトンとしていた。もう水を飲むのはやめたらしい。こちらを向いて、ちょっぴり首をかしげる様子は、文句なしにかわいい。

 目が合うと、ヒカリはペロと舌を出して、大きな口の周りをめた。エサを食べたのかと思ってエサ入れを見ると、三粒さんつぶ入れたエサが一粒ひとつぶ減って、二粒ふたつぶになっていた。


「ねえ、カミサマ。飼い方説明の通りに、毎日新しく水とエサを入れてるけど、ヒカリはケースのかべばっかりめて、水入れの水は飲まないよ。野菜を入れても食べたことないし、エサだって、食べたり食べなかったりするんだ」

 エサは、キットの中に入っていたものを与えている。小袋に入った、小さな粒状つぶじょうのエサは、毎朝三粒さんつぶ入れるけど、次の朝までに全部食べ切っていたことは一度だけだ。今みたいに一粒ひとつぶだけ食べて、残していることが多い。


《まあ、生き物なのじゃから、食べたい日もあれば、食べたくない日もあるじゃろう。勇真だって、そうじゃろう?》

「ぼくは人間だもの」

《ほう? なにか違うのかの?》

 当たり前のことを言ったつもりだけど、カミサマが聞き返したので言葉にまった。


 人間とヤモリ、同じじゃないよね?


「ヒカリはぼくがあたえた物しか食べるものはないんだから、食べたくないなんて言ってられないじゃない?」

《ほうほう、そうじゃな》

「食べなきゃ死んじゃうんだし、本能ってやつで、食べるんじゃないの?」

 前に本で読んだ。生き物が生まれつきもっている性質を“本能”と言うんだ。おなかが空いたら食べるのも、確か本能なんだよね?

《そう思うなら、様子を見ておれば良いじゃろ。ほら、もう行かないと、じゅくとやらに遅刻ちこくするぞ》

「わ! ホントだ。じゃあ行ってきます」

 勇真は急いで学習バックを持って、部屋を出て行く。


 パタン、ととびらが閉まると、ヒカリは入口を見つめた。丸いくりくりとした目で、縦に割れた黒い瞳孔どうこうが少し開く。

《さてさて、どんな変化になるかのぅ……》

 カミサマのひとりごとが聞こえたのか、ヒカリは再び首をかしげた。


 ○ ○ ○


 次の日の朝、寝坊ねぼうをした勇真は、バタバタと朝の支度したくをしながら飼育ケースの中をのぞいた。そして、残っているエサと野菜を見てまゆせる。昨日、じゅくに行く前に一粒ひとつぶ減ったエサは、今もそのまま、二粒ふたつぶ残っていた。

「また食べてないや」


 エサが多いのかな? 入れる量を少なくする? でも、全部食べてる時もあるし……。

 考えていて、ハッとする。今はのんびり考えているひまはない。何しろ、今は急がなきゃじゅくおくれてしまう。

 寝坊ねぼうするのは夜遅くまでYouYouTubeを見たりするからだと、母さんに朝からブツブツ言われたのに、遅刻ちこくしたりしたら、さらにブツブツ言われてしまうではないか。それだけは何としてもけたい!


 水入れの水は昨日のまま、手付かずで残っているようだ。勇真はとりあえずエサ入れに新しいエサを一粒ひとつぶ足して、三粒さんつぶにした。音に気付いたのか、かくからヒカリが顔を出した。

「行ってくるな。いい子にしてろよ」

 笑顔で声をかけ、勇真は学習バックを持って、急ぎ足で出ていった。パタンととびらが閉まって、ヒカリはかくの中で首をかしげた。


 ○ ○ ○


 今日もとても暑い日だ。

 勇真はじゅくから帰ってきて、部屋に学習バックを投げ入れると、すぐに一階に降りた。汗をいっぱいかいて帰って来たので、すぐにシャワーを浴びてスッキリする。母さんが昼ごはんを準備してくれたので、そのまますぐに居間でご飯を食べた。


 食後に部屋にもどった勇真は、飼育ケースを見て声を上げた。

「ウソだろ!? カミサマ! カミサマ!」

《なんだ勇真、さわがしいのぅ》

「ヒカリが変だ、元気ないよ!」

 小さなヤモリは、げ茶色の砂の上でデロンと体をばしていた。四センチほどに成長した体は、朝はツヤツヤとしていたはずなのに、今はどんよりとしたくもりの色で、まだらに斑点模様はんてんもようは泥みたいだ。


『なんで!? 朝は元気だったのに!』

《勇真が世話をおこたったからじゃろうな》

「……おこたったって?」

《なまけたということじゃ》

 ドキッとした勇真は、それでも首を振った。

「なまけてないよ! ちゃんと水もエサもあるのは確認したし」

霧吹きりふきは?》

「あ……」

 確かに、今朝は急いていたから、霧吹きりふきをしなかった。


「で、でも、水入れに水はあったよ!」

《そうじゃな。だが、ヒカリは水入れの水は飲まない。知っていたろう?》

 ヒカリは霧吹きりふきで出来た水滴すいてきの方が好きだと、確かに知っている。でも、のどがかわいていて、他に水がないのなら水入れの水を飲むべきじゃないか。


「でも、……でも」

《まあとにかく、早く霧吹きりふきしてやったらどうじゃ?》

「う、うん!」

 勇真は急いで霧吹きりふきを持って、ケースの内側にきりいた。ヒカリにも、シュッと一吹ひとふき。ヒカリは砂にせていた顔を少し上げたが、また顔を下ろしてしまった。

 勇真は、ポツリとつぶやく。

「ヒカリ、元気出せよ……ヒカリが死んだら、また自由研究が出来なくて困るんだから」


 ギューッ!

 突然とつぜん、ヒカリが低く鳴いた。


「え……?」

 砂の上にびたヒカリは、ついさっきまで全身ツルリとしていたはずなのに、頭から背中にトゲトゲがニョキニョキと生えている。

「すごい! 進化した!?」


 ケースの中に手をばしかけた勇真は、顔を上げたヒカリが、ゲゲッと鳴いてこちらを見たので、咄嗟とっさに手を引っ込めたのだった。

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