二、

 一日の政務が終わり、信長は溜息を吐いた。外を見ると、空には見事な夕焼けが広がっている。庭にいる下男や侍女達も見惚れるほどである。だが、信長には血のような赤い空が、どうにも不吉の前兆のように思えてならなかった。

 人払いをして部屋に戻ると、部屋の隅に――誰かがいる。

「信長さま……来ちゃった♡」

 安倍明晴である。信長は廊下に向かって声をかけた。

「誰ぞある。怪しき者がおるゆえ、つまみ出せ」

「わーっ、待って待って待って!」

 明晴は慌てて信長に齧りついた。

 信長は溜息を吐きながら座に吐いた。

「なにゆえ蓮見にいるはずのそなたがここにおるのか。仙千代はいないようだが。蓮見の一の姫の呪いは解けたのか」

「それは……まだ……」

「では、何をしに来た」

「信長さまに、聞きたいことがあって戻って来たんです。……火起請について」

 火起請――信長は自身の掌を見つめながら、懐かしい思い出を脳裏に描いた。


◇◆◇


「ヒギショーって何?」

 明晴の問いかけに、紅葉はひっくり返った。

 初音は「分からないで了承したの?」と青ざめている。

「やっぱり、父に言って取り消してもらってくるわ。明晴に、火起請なんてさせられない」

「え、そんなにやばいの、ヒギショーって」

 明晴が目を真ん丸くしていると、仙千代が割って入って来た。

「昔から伝わる裁きのひとつだ。神前で行う、神聖なものでもある」

「どんな奴なの?」

「簡単だ。真っ赤になるほど鉄の棒を熱し、それを掴みとって決められた場所まで運ぶ。火傷が少なかった者が勝者となる、というものだ」

「火傷が少なかったって……それって、体質の問題も関わってこない?」

「そうなるな」

 厄介なことになったぞ、と仙千代は腕を組んだ。

「ちなみに火起請は、ほとんど成功しない。見るからに危険だからやる前に大抵のものが罪を告白する。仮にやったとしても、まあ、掌が動かなくなる可能性が高いだろうな」

「何で偉い人って、そんな危険なことしたがるの!? 俺、もうご飯食べられなくなっちゃうじゃん! どうするんだよ!」

「いや、大事なのは飯か……。どうする? 今からでも、中止にしてもらうよう、御屋形さまに働きかけてもらおうか」

「それは……いやかも。絶対バカにされる……それか、『勝てもしない喧嘩買うな』って怒られる」

「お父さんかよ」

 紅葉は小さな前足で、明晴のことを叩いた。

「しかし……あの侍女は何なんだ。あの侍女の子も」

「乙木と海道のこと? 菫さまの乳母と、その息子よ」

 初音は「だからあの2人は、わたしのことを快く思っていないの」と言った。

「なぜ? 初音どのは、れっきとした蓮見の姫だろう」

「でも……妾腹だから……」

「あのね、初音どの」

 仙千代は初音の顔を覗き込んだ。

「確かに初音どのは妾腹だ。しかし、妾の子だからといって、卑屈になる必要はない。確かに一の姫に比べれば、初音どのの母君の身分は低いかもしれない。だが、あなたを軽んじていい理由にはならないんだよ」

「そうだよ」

 明晴もうなずいた。

「初音は、努力家だし、頭もいいし、字も綺麗だし……いっぱい、いいところあるんだから!」

「まあ、初音どのが才女なのは認めるが……字は、お前が汚いだけだと思う」

「なんでいちいち仙千代は喧嘩売って来るの?」

 明晴が不貞腐れると、仙千代は「火起請は、受けて立つしかない」と言った。

「蓮見に、あのような者達がいるのは、今後いい影響はないだろう。一の姫にとっても。……そして、御屋形さまにとっても。明晴、ここまで来たら腹を括れ。御屋形さまに叱られたくなかったらな」

「……うん」

 少なくとも、海道達の言葉に腹が立ったのは間違いないのだ。

「俺がめちゃくちゃ我慢すれば……なんとか……手当は頼む……!」

「安心しろ、人間の皮膚はひん剥けば意外と戻る」

「紅葉、おっかないこと言わないで」

「陰陽師の術とかで、火の神の加護をつけられたりはしないのか?」

「それは……難しいかな」

 仙千代の言うとおり、それはできないか考えた。しかし、明晴は術を使い、天将達を呼び出すことはできる。だが、それだけだ。天将達をその身に下ろすことはできない。そして、今のところ明晴にそういった結界を張る霊力はない。

「何なんだよ、火起請って」

 明晴はじたばたとその場に暴れ回った。

「普通やらないよ、こんなの。誰も成功させられないよ――」


「いるぞ」

「いるわよ」


 仙千代と初音の声が重なった。

「え?」

 明晴が体を起こすと、仙千代は「いらっしゃるぞ」と繰り返した。

「いらっしゃるって……何が?」

「だから、火起請を成功させた方」

「何その超人!? え、実は神様とか!? 神社の神主さんとかにそういう知り合いいるの!?」

「神主ではない……が、熱田神宮には時々詣でられている」

「その人に話聞きたい! 場所、教えてくれる?」

「というか、お前もよーく知っている方だぞ」

 仙千代は地図を広げた。彼が指を差したのは――金華山であった。


◇◆◇


「懐かしいのう」

 信長の掌には、確かに火傷の痕が残っている。火起請をした、というのは間違いないようだ。

「ちなみに、なんで信長さまってば火起請することに? うつけだから?」

「そなた、拳骨されたいの? ……昔々のことじゃ」

 まだ信長が尾張にいた頃の話である。


 ある日、庄屋に盗人が入ったという報告が上がった。庄屋は左介という男が盗人だとして訴えた。庄屋の妻が盗人を捕らえていたからである。しかし、左介はそれを否定。何かの間違いだとごね続けた。あまりにも左介がごねたので、手を焼いた役人は、火起請にて決着をつけることとなった。

 結果として――左介は、鉄の棒を取り損じた。本来ならば有罪で直ちに成敗されるのだが、左介はごねた。


『儂は、池田恒興さまの配下の者であるぞ!』


 池田恒興とは、信長の乳兄弟である。左介は恒興の権威を笠に着て罪から逃れようとしたのである。

 そこへ、鷹狩から偶然返って来た信長が、物々しい状況を問い質した。信長は代わりに火起請を行い、成功させたら左介を成敗すると宣言。焼いた手斧を掌に乗せ、三歩先の棚に乗せると、左介を成敗した。


「ちなみに恒興の母上というのが、これはもうおっかない女子でのう。帰蝶より更に恐ろしい女子でな」

「あ、うん。そこはいいです。池田どののお母さんは。……でも火起請って痛いですよね」

「当たり前じゃろ」

 信長はきっぱりと言った。

「火じゃぞ。儂、それ二十年は前のことなのに、いまだに火傷の痕残っておるよ。……まあ、火起請なんぞ、結局は神が行うわけではなく、人が行い、人が判断をくだすもの。神明裁判なぞと言うても、不正はざらに行われておる」

 信長が行わなかったら、左介は無罪放免にされていただろう。

「ちなみに、火起請を耐えるコツって何かありますか?」

「気合。――以上」

 いかにも信長らしい発言に、明晴はその場にうずくまった。

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戦国陰陽師2 〜自称・安倍晴明の子孫は、ぶっちゃけ長生きするよりまず美味しいご飯が食べたいんですが〜 水城 真以 @mizukichi1565

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