僕は精神的なマゾなのだ


強くてニューゲームの話をしたときに、先輩はいいます。

「俺は戻りたくない。今の友達との関係を失いたくないから」


この気持ちはめちゃくちゃわかります。先輩は続けます。

「だから、仮に戻ったとして同じ人生を辿ると思う。自分は浪人したけど、もし浪人しなかったら今、仲良い友達とも関係性が変わっちゃうから、浪人をしないという行動はとれないな」


なるほど、と感心しました。

ただ、僕はどうしても同意は出来なかったのです。


と、ここで口にはしませんでしたが、僕は自分の嗜好に気づいたのです。

「あ、これって『聖地巡礼は精神的マゾ』って言った自分の性癖が出てるな」と。


参照:聖地巡礼の醍醐味

https://kakuyomu.jp/works/1177354054893700544/episodes/16816927860185642415






僕は切なさを噛み締めて生きてきました。嫉妬と羨望と言い換えても良いかもしれません。

好きな女性はことごとく友達と付き合う。いつまでもワナビで、なりたいものに届かない。欲しいものが手に入らない。僕は僕でありたくない。


そんな感傷を胸にいだいて裸足のままなんとか歩いて来れました。

それは友達がいたからです。


今の僕には友達が必要不可欠。「一人の時間が好き」なのと「人が好き」は相反しません。両立可能です。僕は完全に一人好きの人好きです。


だからこそ僕は強くてニューゲームですべてを投げ出しても良いのです。

例えば、入るサークルを変えて、僕だけが知っているかつての友達がいっぱい出来たとします。その友達とは今の関係ではないし、下手すると僕を知ることもない。


その感傷が僕は好きなのです。

会えても会えないこの切なさ。


僕はもうこの世界では違う僕なのだ、という厳然たる事実と、強烈な情感。

それを味わえる新しい人生はなんてエモーショナルなのでしょうか。




人を知れば知るほど打ちのめされるんですが、僕はそうやって生きてきたからこそ、僕は違う世界でも進んでいける気がしています。


そして、もし同じ人と仲良くなれたら、もっと素直にこの好意を出せると思うんです。友達になれて嬉しい。一緒に時間を過ごすこの瞬間が幸せ。親の顔を見るだけで涙がこぼれる小学生とかになりそうですが。


そう思う機会が今よりたくさんできるから、僕は強くてニューゲームがしたいのです。


幸せを感じるには感傷が必要。

心が傷ついているからこそ、出会える幸せは増えると思っています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る