強くてニューゲームしたい理由


僕は良く友達と「記憶を持って生まれ変わりたいか、もしそうなら何をするか」という話をします。


もちろん、僕は後悔ばかりの人生なので強くてニューゲームを選択したいと思っています。カオス理論はありますが、僕一人の行動が大局に影響を及ぼす可能性は正直低いと思うので、リーマンショックは起こるし、戦争は止められないし、オオタニサンはやっぱりメジャーリーガーになるのです。


でも、僕はだからこそ強くてニューゲームしたい。株やビットコインで当てて億万長者になるのは簡単だし、僕が一人で留守番できれば母親が仕事を辞めることもなかったし、あの膨大な時間を勉強と趣味に費やせた。


更には後でわかったあの子の好意とか、伝えられなかった好意とか、戻ったら伝え放題で、モテモテ放題だったことでしょう。たぶん。おそらく。まれに。くしくも。


閑話休題


「32歳からギター始めるのって素敵」とか言ってもらえるの嬉しいんですけど、「〇〇歳でも巻き返しはできる」って言説はチクッとします。


いっつも思うんです。

「もし5歳からギターはじめてたらもっと上手くなっていたのに」


なんでも思います。

「もっとはやくスノボ始めればよかった」

「もっとはやく英語を勉強すればよかった」

「もっといっぱい本を読めばよかった」

「もっといっぱい女の子と遊べばよかった」

「もっともっと愛犬を愛でて吸えばよかった」


つまり後悔です。

僕の人生には後悔が多すぎる。


正直、僕の経歴だけを外から見ると順風満帆な人生に見えるかもしれません。

でも、並みの人より後悔は深く多い感覚をもっています。


遅いんだよ。

僕はいつも遅すぎる。


基本的に「目標は平均以上」なんです。

32歳でギターを始めたら普通ギターをやってる人と最低14年の開きがあります。この3ヶ月ほど毎日平均1~2時間を費やして来ましたが、学生時代は使える時間の量が違う。


成長速度も遅いわ、圧倒的な力量差があるわで全然納得出来ない。時間は作っているけど、追いつき追い越す絶対的な時間が足りない。もっともっとうまくなりたい。


一言でいうと「負けず嫌い」なんですね。

で、負けず嫌いだから「勝負を止める」んです。


勝負しなければ負けることもない、理論で。

そうして、僕は自分の好きなことから逃げてきました。


逃げられないものは頑張りました。受験、就職、仕事。

でも、本当に好きなものはなにも得られていない。


やりたかった音楽、運動、恋愛、創作。

満たしたかった資本、知識、愛情、親孝行。


だから、僕は「強くてニューゲーム」がしたい。足りないものを補完したい。

人類は補完されなくても構いません。シンジ君、唯一人だけが補完されれば良い。


だから言います。

「人生に遅すぎることはない。でも、早いに越したことはない」


これが僕が強くてニューゲームがしたい理由です。

皆さんはいかがでしょうか。もう一度、自分の人生を今の記憶をもって歩めるなら、戻りたいでしょうか。それなら、何をするでしょうか。

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