三諦

 そも我何の所以に苦しむか?

 我華の具へしに其れを咲かせべからざると想ひし故なり。

 此の地と俗衆と、何れ機根整わず、唯我をして枯らせしむらんと責むる故なり。

 そも此らの故こそ我が苦しみの所以なるべきか?


 そも我が本地何をか成さんと欲するか?

 我華を具へし故に、土と衆生と、褒むらると謗らるとのに拘泥せず、唯その華を咲かさんを我が本地欲すなり。

 此の土にてもあれ、一切の安楽もあれ責苦もあれ、其れ等汚泥を得て尚染まらず、唯華を得るを欲するなり。

 そも我が相にてもあれ、性にてもあれ、縁起乃至因果一切、我が本地を宗とし、其れを顕さんと欲するに非ざるか?


 若しは、我と我が本地と一切道理、唯我が華を咲かすべしと説かざるか?

 若しは、華をば咲かせて何をかならんと案ずるに、我が華をば他の華の鑑となり、種となり、我枯れ果てたふともその実と根とは他を養ふべからざるや?

 否、否、否、我の生くると死ぬと、我が命一切世間と我とを照らすべし。


 若しは、我と我が本地と我が身一切存在、唯我のみにて他は在らざるか?

 若しは、我が此の土に在りて何をかならんと案ずるに、他の華をば我が華の鑑とし、種を受け、他の枯れて尚其の実と根とを受け継がわざるや?

 非、非、非、他の生くると死ぬと、全て命一切世間と皆とを照らすべし。



 そも我何の所以にか在らむか?

 此の存在に意義無しは然りなれど、価値の有無と意義の有無とは分別されるべし。

 此の地の泥が有りてこそ我在るならば、我在りてこそ此の地にも価値の有るべし。

 そも我此の地に何ぞ供養すべしか?


 我何を以て此の土に供養すべきか?

 我が存在に意義無しは然りなれど、此の土を三匝さんぞうし我と我が土とを共に潔むべし。

 此の穢土をして其の奥底に具足し秘沈されし実と華とを右繞うにょう礼拝讃嘆すべしと案ずべし。

 そも我も此の土も互ひに供養を与ふべし。


 我が本地の因果は共に不求自得ふぐじとくなり。

 此の地も亦本因本果を具へ其れを顕すべきや?

 是、是、是、我も此の地も相互ひにその本地を照らすなり。


 我が本地の華と実とは冥伏したりど云へど因業果得によりて顕れるなり。

 此の穢土も亦我に罵詈毀辱めりきにく杖木瓦石じょうもくがしゃく而打擲之にちょうちゃくしを加えると云へど、我が礼拝の鏡とすべきや。

 然、然、然、我も此の穢土も相互ひにその奥底を照らすなり。



 我最早咲き実るより他に詮方無し。

 人の曰く華実の咲ひて如何んとするか。

 されどその謂れに如何程の義や有るか。

 斯様な地なればこそ常に我が華の咲く故も有り。


 此の不浄の地にては一切皆悉く互いに喰い合い典諂し助くる者無し。

 糧爭い奪う者また奪われ痴かこそばかり増すが故に我からこそ礼拝を撥すべしか。

 汚泥の中にてもあれ尚も互いに照らし供養し功徳も積み増しむべしか。

 我が華咲かさば、見る者も無く、解す者も無けれど、此の地の奥底に響き、此の穢土の機根潔むるを止める者無し。


 斯様な地にて華の咲かぬ意義こそ有るべきや?

 我敢えて苦難甘受し此の地に在り続ける義こそ無きべけれ?

 我一切を照らす本地をこそ具足せば豈我此の地と共に常に在らざるべしや。


 此の穢土にては華を枯らせ実ばかり求む愚者を照らし供養すべきや?

 我に敢えて苦難を与えかえりて我を強からせしむ此の穢土に華を見せる謂こそ無きべけれ?

 所以は然り。我は過去久遠よりこの土に在り、一切を照らし、散華し、慈しみ、養い来たるが故に、豈我華と実とを失せるべしや。



 斯くて我、咲き、照らし、朽ち、養わんと覚悟決定す。

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蓮華泥中在水 @Pz5

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