もっと話そうよ、目前の明日のことも

清泪(せいな)

今時約束なんて不安にさせるだけかな

 見上げれば眩い光。

 仕事終わりの電車、車内の窓から見える花火。

 まだオレンジが滲んだままの夜空に、咲き誇る火花の大輪。

 そういえば今年も無事に夏祭りが開催されるんだな、と僕はすっかり他所様の感想を抱いた。

 まぁ、花火屋家業でも何でもないから他所様なんだけど。

 定時帰りが定着しつつある日々に久しぶりの残業を食らって、帰宅ラッシュからズレられるなら良いかと少しでも良い方に考えていたのだけど、世の中は甘くなく、そして世の中はすっかり密集には甘くなり、電車の中は混みに混んでいた。

 いつもの顔ぶれなら僕と同じ疲れ顔のリーマンが立ち並んでるのだけど、今日はそこに浴衣姿の若者がちらほら。

 その光景だけでピンと来ればいいのに、花火に気づいてから思いつくなんて僕の頭の中から夏祭りというモノは消えかかった存在だったのかもと思うと少しばかり淋しくある。

 学生時代に行ったきりだから、もう十何年と足は遠ざかってる。

 夏祭りの話なんて、ネットニュースの見出しで少し知る程度で、流行病が蔓延ったここ最近は中止の話ばかり目に入っていた。

 昨年から○年振り無事再開の記事が出るものの、僕としては、ふーん、という感想ぐらいしか抱いてこなかった。

 冷房が強めの寒い車内で浴衣姿の可愛らしい若者を見ても、景色のひとつ程度にしか感じていなかった僕は、今車窓から見上げる花火をじっと見上げている。

 黒に染まりきらない夜空で、ハッキリと大輪が見えるあたり花火は近い場所で打ち上げられてるようだ。

 通り過ぎていく景色は、僕が降りる予定の駅まではまだまだ離れた位置だ。

 久々の残業に疲れてるんだけどな、とか、まだ外は暑いだろうな、とか、色々と考えながら車内の案内図から次に停車する駅名を確認する。

 いつもなら通り過ぎるだけの駅名、花火大会と言えばの地名。

 偶然見上げた光に導かれ、僕はただ通り過ぎていく日々の光景から一歩降りようとしていた。

 

 見上げれば眩い光。

 在宅勤務万歳で過ごしていた日々は終わり、在宅勤務と変わらない仕事をする為に自転車を漕いで片道三十分かかる会社へと通勤する。

 規制のかかった世の中で俺はインドア派に染まってしまってて、学生時代は馬鹿みたいにやっていた運動は今やこの通勤時間ぐらいしか行えてない。

 野球部仕込みの気合い入れで、帰路としては厳しい長い坂道を自転車で登っていく。

 なまりきった身体はペダルを軽々とは踏み込んでくれない。

 俺って野球部だったんだよな?、なんて答えが虚しいだけの問いを荒れた呼吸と共に呟いてみたものの、返せる言葉はゼハゼハだけだった。

 坂の途中で自転車を降り押して登るのも慣れたもので、勝率20%、と言ってみたいのだけどそれも少し盛ってるかもしれない。

 行きはよいよい帰りはこわい、なんて言葉を頭に浮かべながら坂上にある安アパートの自宅を恨めしく思う。

 息切れしながら坂道をノロノロと進む俺の横を、電動自転車に跨る学生がスーッと通り過ぎていく。

 若いのにそんなん乗ってんじゃねぇよ、なんて老害じみた恨み節を抱いて見てると学生はそのまま真っ直ぐ坂道を登らずに途中で脇道に逸れた。

 その逸れた道の先に何があるか知っている俺は、視界から消えた学生の背中を少し懐かしくも感じていた。

 この長ったらしい坂道の途中には、俺が生まれる前から経営してるバッティングセンターがある。

 創業四十年だか五十年だか忘れたが、コロナ前にはそんな垂れ幕も入口に飾ってたはずだ。

 コロナが流行って、人々が外を出歩かなくなって、規制だなんだと営業時間が短くなって、バッティングセンターから聞こえる音は小さくなっていった。

 俺がまだガキだった頃にはこの坂道ぐらいまでならカキーンカキーンと音が聞こえていた記憶がある。

 あのカキーンカキーンという音が格好良くて、俺は野球に興味を持ち出したんだから。

 今はもう聞こえやしない、客足が随分遠のいたもんな。

 いや、確か営業時間が短くなってからこの時間は開いてすらいないんだからそれ以前の話か。

 あの学生は単に帰り道だったのだろう。

 帰り道だったのだろう、とそう思うものの突然訪れた懐古に俺はバッティングセンターの姿を拝みに行きたくなった。

 学生時代──野球部の一員として甲子園を目指していた青春と呼べる時代に、俺はバッティングセンターに通いつめていた。

 部活の練習でヘトヘトになった身体を無理やり奮い立たせて、バッティング練習に入れ込んでいた。

 一球でも多く打ちたい、一打でも多くチームに貢献したい。

 その熱意でどれだけ手のひらのマメを潰してきたか。

 あんな熱意、今はもう持てる気がしないな、と自転車を押し坂道を登り垂れていく汗を感じて思う。

 逸れた脇道でようやく一息ついて、自転車に跨ぎ直す。

 そこで道の先に、ある光が眩く輝いていることに気づいた。

 規制が緩和されて随分経ったんだな、夜道を照らす店舗照明にそんなことを考えた。

 営業時間は元通りに、部活帰りの学生も、会社帰りの社会人も、訪れやすいようになったのだろう。

 カキーンという音が聞こえ嬉しくなって、ペダルを強く踏み込んだ。


 見上げれば眩い光。

 夜も深くなっていて、街からは光が少なくなった。

 コロナ禍を理由に社会から離れた私は、コロナ禍を言い訳に暫く閉じ籠っていたので、街から光が少なくなっていった様を実の所よく知らない。

 仕事で責任を負わされる量が増えたことと、親の介護をしなければならなかったことは、当時の私にとって負担でしかなく、そこから逃れたいと願っていた私にコロナ禍は不謹慎にもある意味救いであった。

 働きたくないは勝手に働けないにすり変わってくれていて、手に職は持てない状態になって資金面に問題が生じたものの、介護を理由に救いの手となる保護は受けれることになった。

 とはいえ親の介護理由ぐらいで働かずに一生食って行けるほど世の中は甘くなく、まだまだ働き手として活動できる私は当然就職を促されるが、それもコロナ禍の就職難が状況を先延ばし先延ばしとしてくれていた。

 世界中で流行り始めた頃の絶望感はニュース映像を見てるだけでヒシヒシと感じていたが、流行病に壊滅させられるほど世の中はやわでは無かった。

 次第に回復していく世の中、今度は働き手が足りないと言われる状況になり再び強くなる就職しろの声。

 親の介護を理由にあーだこーだと誤魔化して来たものの、付きっきりの介護だと言えば病院への入院、施設への入所と話は親の望まぬ方に発展するし、そこまでの介護は必要ないと言えば、ではなぜ就職しないのかと飛車角王手まで駒を進めた状態になってしまった。

 逃げ場はもう使い果たした、それを自覚して私は再び社会へと足を踏み出した。

 この数年間やっていたことは実質ニートで、生活リズムは当然のように狂っていて、だから数年ぶりの社会復帰には遅い時間から始まる仕事を選んだ。

 始まりが遅ければ帰りも遅い、あと少しで日付が変わってしまう時間。

 仕事終わりにお腹が空いても、開いてる飲食店は昔に比べれば少なくなった。

 真っ直ぐ帰って親の食事を用意しなければならないので、どうせ何処かに寄っていくことなんて出来ないのだけど街の明かりが少なくなったことは少し淋しくもあった。

 淋しく思うほど家の外の世界に思いがあったのだなと驚きもある。

 明かりの少なくなった街の中、それでも輝くネオン灯に私は懐かしさも感じていた。

 たった一年前まではあの明かりも点いてなかったのだと聞いた。

 眩く輝くネオン灯に、世の中の変化を今更ながら私は実感していた。

 私は変わったのか、変われるのか。

 そんなことを自問しながら。

  

 見上げれば眩い光。

 真っ暗な部屋の中、震えるスマホを持ち上げる。

 寝たのか寝てないのかハッキリしない頭は、画面に表示された名前を把握するのに時間を必要とした。

 今が午後なのか午前なのかもわからないまま、回らない思考は画面に表示された通話ボタンをタップする。

 人差し指を画面から離す一瞬に、電話をかけてきた相手と久しく会っていないことを思い出す。

 世の中との関係を断ち切ろうとしてる自分を、僅かながらにも引き止めようとしてくれている友人。

 避けていたはずのその縁を、朦朧とした意識がうっかりと繋いでしまった。

 あっ、と人差し指の失敗を悔いる思考を遮るようにスピーカーから聞こえる数年ぶりの声。


「もしもし、久しぶり。暫く会えてないから、なんか声が聞きたくなってさ。最近どう? 元気してる?」

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もっと話そうよ、目前の明日のことも 清泪(せいな) @seina35

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