第13話 社交界に舞い戻った令嬢
怪我の具合が計算したかの様に回復した今日この頃。もう二度と戻る事はないと思っていた社交界に私は足を踏み入れている。
「ほ、本当に私が行ってもいいのかしら」
「誰が何と言おうと気にするな。俺達がジゼルを招待しているんだから文句は言わせない」
ブランジェ家から冷遇される様になってから、こういうパーティーに参加する事も許されていなかったせいで全身に緊張が張り詰めている。
豪華絢爛という言葉がぴったりな会場と装飾。それから華やかなドレスに身を包んだ招待客。
圧倒的な迫力に足元が竦んでしまう私の手を取ったのは、正装しているせいでいつもとは雰囲気が違うクロードだった。
この男と生活をしていると忘れかけてしまうけれど、やはり第二王子なだけあるわよね。どんな服も品よく美しく着こなしてしまうし、こういう場でも凛とした姿勢が崩れないんだもの。社交界を離れて長いから今時の社交界事情を知らない私でも、クロードが令嬢からの人気を集めている事は彼に集中している熱い視線を見るだけで分かってしまう。
「あちらにいらっしゃるの、クロード・シャルリエ第二王子様よね?」
「え?お隣に立っているご令嬢はどちらのお家の方かしら」
「クロード様はご令嬢のアプローチを全てお断りしているというお話ですから、きっと海外から来た国賓ですわ」
容赦なく突き刺さる視線が痛いったらないわ。
シャルルにパーティーの話を聞いた時は何かの間違いであってくれと願っていたのに、悲しい事にしっかりと現実だったのね。こんな息苦しい世界、参加しないで済んでいた方が気楽だったわ。
クロードが頼んで仕立てくれたらしい淡い水色のドレスを着て化粧を施した私を見るなりヴァレリーとシャルルが「可愛い」「綺麗」と褒めちぎってくれたからつい調子に乗った足取りで来てみたものの、いざ社交界を前にすると自分が存在して良い場所ではない気がしてしまう。
「ヴァレリーとシャルルが先に挨拶に行っているが、騎士団に関わりのある招待客には三人揃っていた方が良いから俺も行ってくる。終わればすぐに戻るつもりだが一人で大丈夫か?」
「あんた達に恥をかかせない様に過ごす事くらいはできるわ」
「ふっ、別に恥くらいかいても良い。恥かく原因がお前ならな」
「な…冗談はやめてさっさと行きなさいよ」
「ああ、その前に…」
「え?きゃっ」
ぐいっと腰に回された腕で引き寄せられたかと思えば「いつも以上に綺麗だ、ドレスもよく似合っている」耳元で低温な甘い声がそう囁いた。
クロードは感想を言ってくれないなって気にしていたのに、こんな会場の真ん中で言うのは狡いわ、反則じゃない。
早急に顔が熱くなっていく私から離れた彼が「本当は俺が一番最初に言いたかったのにヴァレリーとシャルルが言いやがるから不貞腐れてたらタイミング逃しちまった」と照れ臭そうに漏らしている。
また一つ、この男を好きになる。また深く、この男の沼に嵌っていく。
「他の野郎にナンパされんなよ、ジゼルに触れた奴は殺す」
「過激派かよ」
「俺はこの国一番のジゼル・ブランジェ強火ファンだからな」
真っ赤になっているであろう私を覗き込んで悪戯に微笑んだ後、会場内の人の波へとクロードが消えてしまった途端に寂しく感じてしまう。
私ってばいつからこんなに脆弱な人間になったのかしら。孤独でも平気だったはずなのに、既にクロードの顔が見たいと思ってしまってるわ。
外の空気でも吸いながら頭を冷やして冷静になるべきかもしれない。そう考えた私は、外のテラスへと出た。
夜空には星々がキラキラと輝きを放っていて美しかった。社交界にいる人間は揃いも揃って陽の人間で人と関わらないと死ぬのか、こんなにも落ち着いていて素敵な場所なのに人間は私一人しかいない。
そろそろ夏が終わろうとしているせいか、ドレスの裾を攫う様に吹いている夜風は冷たさ孕んでいて火照りを冷ますのには丁度良かった。
「会場に入ったらいるはずのないドブネズミが紛れ込んでいる様な気がして、見間違いかと思って来てみたけれどやっぱりドブネズミだわ」
見事に剪定された草木をぼんやりと眺めていると、背後から嫌悪感たっぷりの声を掛けられて咄嗟に振り返った。
「どうしてここに居てはいけない方がいらっしゃるのかしら」
そこにいたのは、劣等感を覚えてしまいそうになる程に圧倒的にお姫様な容姿をしている…。
「ティファニー…」
私の義妹だった。
あからさまに私を蔑む様な目でこちらを射抜いている彼女は、よりにもよって私と同じ淡い水色のドレスに身を包んでいる。
ピンク色の髪も美しく結い上げられ、いつも以上に華やかな化粧を施している彼女は、やはり嫌味なまでに可憐だ。
同じ色でも着る人が違うだけでこんなにも印象が変わるものなのね。性格こそは褒めるべき点が一つもないけれど、やはりこの女の外見だけは一級品だわ。
「いけないですわ、ジゼル・ブランジェは病弱で伏せているという事になっているのにお姉様にこんな場所にいられては、ブランジェ家が嘘つきというレッテルを貼られてしまいますわ」
「あら、嘘つきなのは事実だから問題ないのではなくって?」
「そんな意地悪言わないで下さいませ。一体どうやってこの会場に入り込んだのかは知りませんが、今回のパーティーは社交界に中々出てきて下さらないクロード様やヴァレリー様やシャルル様がお見えになる重要な会なのですよ。お姉様は場違いにも程がありますわ」
「…ティファニー、貴方何を言っているのかしら。貴方の婚約者はフロランでしょう?他の男性が来るか来ないか気にする必要などないじゃない」
「ふふっ、お姉様こそ何を仰っているのかしら。クロード様やヴァレリー様やシャルル様程の男性から好意を持って頂けるのなら、それは女性として最高の幸せですわ。より良い物件に住みたいと思うのは人間として当然でしょう?」
何の悪気もなさそうに小首を傾げてにっこりと笑みを咲かせる相手に絶句してしまった。この女の強かさは今に始まった事ではないけれど、まさかフロランすら彼女の損得勘定の対象になっているなんて…驚いて声も出ない。
ティファニーは純粋にフロランを愛していて、フロランはそんな彼女に誠心誠意尽くしているとばかり思っていたのに彼女の発言を聞く限り彼女からはフロランへの気持ちが微塵も感じられない。
「フロランは貴方を想っているのよ?」
「それがどうしたっていうの?」
「その気持ちを踏みにじる様な下心を持っている自分を情けないと思わないのかしら」
「は?どうして私がそんな事思わないといけないのよ。笑えない冗談はやめて、私はあんたと違って何でも持ってるの、私により相応しい男を見繕う事の何が悪いの?そもそもあんたに関係ないじゃない、自分がフロランに選ばれなかったからって突っかかるのやめてくれる?」
憤っているからなのか、どんどん化けの皮が剝がれてるなこいつ。
私の言葉が癪に触れたのか、分かりやすく口調が荒ぶる相手に苦笑が漏れそうになる。
少しでも気に入らない事があるとすぐに腹を立てるなんて子供っぽいわね。甘やかされ過ぎて感覚が可笑しくなってるに違いないわ。
「大体、どうしてあんたが生きている訳?」
「どういう事?」
「立ち直れなくなるまで壊してってあんた如きの為に大金を積んだのよ?それでもこんなに元気だなんて、ドブネズミ以上の生命力ね」
「私を襲わせた犯人って…貴方なの?ティファニー」
クスクスと愉快そうに笑っている彼女へ質問を投げた私の声は、微かに震えていた。
流石に私を邪魔に思っていても殺人を依頼するまでの事なんてしないと信じていた。だってまがいなりにも私達は血の繋がりのある姉妹だから。
だから、ブランジェ家の人間では絶対にないって自分に言い聞かせていたのに…。
「ええ、そうよ。お姉様がしぶといせいでお金が無駄になっただけだけどね」
「下らないわ」
「…は?」
「心底下らないって言ってるのよ。わざわざお金を用意して殺人を依頼するあんたが笑えるわ、正々堂々と殺しに来なさいよ。そんな勇気もない癖に人の命を奪おうとしてんじゃないわよ」
「…っっ…うるさい!!!あんた如きが偉そうな事言うな!!!」
声を荒げて折角の可愛い顔を怒りで歪める彼女はやはり何処までも幼稚だ。
「ティファニー?大声をあげて一体どうしたの…って、ジゼルもいるじゃない」
地団駄を踏んでいる女を見て呆れていると、会場の方からテラスへとフロランが現れた。
久し振りに見るはずなのに、フロランと視線が絡んでも心が弾む事もなければ締め付けられる事もない。
「フロラン様!聞いて下さい、お姉様が私に酷い事を仰るのです」
このクソアマふざけんなよ。
どんな技を使ったのか涙を頬に落としてフロランの胸へ飛び込むティファニーを、当たり前の様に受け入れて抱き締めたフロランが私へと双眸を向けて「ジゼル、何をティファニーに言ったの?」と問いかける。
嗚呼、そうね。そういえば、私を取り囲む環境ってこうだったわ。優しいフロランが大好きだったけれど、彼はいつだって真っ先にティファニーの言葉を信じて味方に付くの。
クロードやヴァレリーやシャルルと居る時間が長くなったせいで、この喉の奥が苦しくてヒリヒリする感覚を忘れかけていたわ。
フロランの胸に預けていた顔をわずかに上げて意地の悪い表情を浮かべている確信犯のティファニーを見て、悔しさを抑える様に拳をぎゅっと握った刹那だった。
「ジゼル、勝手に消えんな」
手を伸ばして私の腕を引き寄せた男が、私の身体をあっさりと包み込んだ。
第13話【完】
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