第11話 自覚する令嬢



 冷たくて硬い地面の感覚の中で瞼を持ち上げた。頭がズキズキと痛み、殴られた箇所も鈍痛を訴えている。



「あ、起きた」

「薬も吸わせたのに予想より早いな」



 何度か瞬きを繰り返しはっきりとしてきた視界が捉えたのは、路地裏で私を襲った男二人の姿だった。


 どうやら私が纏っていたドレスを乱雑に脱がせようとしていた所だったらしい。ボロボロに敗れたドレスと大胆に開けて露出している自分の肌を認識して、背筋が冷たくなった。



「何…してるのよ」

「何って?犯そうとしてんだよ」

「ジゼル・ブランジェを心身共に傷付けて立ち直れなくしてくれっていう依頼だからな」



 依頼?一体誰が…。


 犯人が誰なのかと思考を巡らせるよりも先に、私の身体に馬乗りになった男が首筋に舌を這わせた事で頭が真っ白になった。



「ふざけんじゃないわよ、離れなさい」

「お前、自分の状況分かってねぇの?」

「よく吠える方が燃えるわ」



 両手両足が拘束されているせいで抵抗らしい抵抗ができない。そんな私を品のない笑みを湛えて見下している男二人が、嘗め回す様に視線を動かしている。



「私に触れたらただじゃおかないわよ」

「はいはい、せいぜい威勢のいい事言ってろよ、いつまで持つか楽しみだな」

「こういう気の強い女の顔が涙でぐしゃぐしゃになんの、想像しただけで堪らない」



 睨み付けても相手は目尻をだらしなく下げて、ニヤニヤした表情を消そうともしない。


 そういえばクロードが最近街に怪しい人間が徘徊している目撃情報が入ってるって言ってたわね。あの時、ちゃんと話を聞くべきだったわ。


 完全に油断していた。普通に気を張っていれば、背後から人間が近づいてきている事にも気づけただろうし、いつもならあんな攻撃も簡単に躱せるのに…。



 こんな肝心な時に自分の身一つすら守れない自分が情けないわ。



「おら、もっとその綺麗な顔歪めてみろよ」



 乱暴に片手で両頬を挟む様に掴まれ、私の顔を強引に上げた男が嬉々とした目をしている。


 身体を捩ってみても強い力でねじ伏せられるだけで、体格の差と性別の差を思い知らされる。



 腹が立って男の指に思い切り噛み付いてやれば「ふざけんなよこのアマ」と言われて思い切り顔を殴られてしまった。


 痛みが貫くと同時に、口の中に不快な鉄の味が広がっていく。きっと口の中が切れてしまったんだわ。最悪。



「俺達がその気になればお前を殺す事も簡単だってこと、忘れんなよ?」



 もう一人が鋭利なナイフの刃を私の首にあてがって、首をコテンと横に折った。


 首筋に伝う刃物の冷たい感覚に、全身が凍り付いた様に固くなってゴクリと唾を呑み込む事しかできない。



「おい、こいつ胸もでけぇぞ」

「さっさと犯そうぜ、俺達が終わったら外の見張りと交換しなきゃなんねぇんだから」

「きゃっ…ちょっ…やめて!」



 自分の胸を粗く揉まれて、底知れぬ恐怖に全身が包まれた。ドレスの裾も捲られ、太腿を厭らしい手つきで撫でられていく。


 ずっと大切にしていた自分の身体が、こんな所で穢されるなんて…。ジタバタ暴れても押さえつけられてちっとも敵わない。


 

 怖い、痛い、気持ち悪い。こいつ等に笑われたくない一心で、涙だけは意地でも堪えているけれどもう限界だった。


 このままこいつ等に抱かれてしまうんだわ。下らない自分の油断がこんな結果を生むだなんて、全く私は愚か者ね。



 無慈悲に服が破られて、肌が知らない手と体温で汚れていく感覚に冒されながら、いよいよ涙が溢れていく。



 こんな時だというのに、頭を過ったのはお母様でもフロランでもなく、クロードの顔だった。


 大切な初めてをこういう形で失うくらいなら、昨日あのままクロードにあげたかった…なんて思ってしまう。



「クロード…助けて…」



 どうやら私は、クロード・シャルリエに恋をしているらしい。


 自分が危機的状況に置かれ初めて、自分の心を支配していた感情の名前に気づくなんて、私はどうしようもない人間だわ。


 本当はあの男に惚れているのに、それを認めたくなくて逃げていたの。クロードが好きな癖に、何かの間違いだって言い聞かせてたの。

 


 だけどもう、この気持ちを伝える事すら叶わない…「ジゼル!!!!」



 絶望の底に墜ちる寸前、暗闇に目の前が覆いつくされそうになる中で、私の鼓膜を揺すったのは今一番会いたいと願う男の声だった。


 扉が蹴破られて外から光が射し込んだ。そこに立っている人間に、我慢していた涙が零れて頬を濡らす。



「クロ…ード」



 私の目に映ったのは、間違いなくクロード・シャルリエの姿だった。



「ジゼル…」



 こちらの惨状を見た彼が驚いた様に目を見開かせる。それから間もなくして、彼の双眸が一気に冷たくなった。表情すらも一変し、瞬く間にクロードが放つ殺気で空間が満たされた。


 クロードが騎士団の服を身に纏っている姿に本来ならば萌え萌えキュンキュンする場面だというのに、堪能できる余裕がないのが悔しい。



「お前誰だよ、あんなにいた見張りの人間はどうし…」



 本当に一瞬の出来事だった。私の上に乗っていたはずの人間が、クロード剣によって貫かれて吹っ飛んだ。


 無駄のない美しい太刀筋に呆気に取られてしまった。よくよく見ると既にクロードの頬や服に返り血が付いている。それこそが、彼がここに辿り着くまでに多くの人間を斬って来た何よりの証拠だった。



「何してんだよ…お前ふざけ…」



 またたったの一振りだった。ナイフを突き刺そうとした相手の攻撃をあっさりと躱し、剣で相手の腕を斬り落としたクロードは、人が変わってしまったのかと思う程に冷酷な顔つきをしている。


 大量の血が飛び、床に流れ、あっという間に地獄同然の空間が出来上がった。


 クロードに斬られた人間が叫び声をあげながら床を転げ回っている。その動きを制する様に、男の脚に深く剣を突き立てたクロードがゆるりと口角を持ち上げた。



「俺の大切な女に触れた癖にこの程度で叫ぶなよ。わざわざ甚振る為に一回で首を斬り落とさずに生かしてんだよ、これだけで許すわけないだろう?」



 グサリ、グサリ…。


 クロードが剣を引き抜いては突き刺し、引き抜いては突き刺しを繰り返し、男の叫び声がこだます。


 彼が深々と剣を突き刺す度に、グチュリと肉と血が剣の刃でぐちゃぐちゃにされる音が響く。



 直視する事すら難しいまでの残虐な光景だというのに、男達に剣を何度も何度も振り下ろすクロードだけはずっと微笑んでいる。


 それはまさに、異様で…されど酷く美しい景色だった。



 私は今、彼が民衆や社交界から恐れられている理由を目の当たりにしているのかもしれないわ。


 現在の国王陛下も、王太子殿下も、その他の王族や貴族の人間も、手が付けられない程に凶暴な男。


 そんな風に囁かれている事は知っていたけれど、クロードと関わる中で彼のそんな一面はまるで見えなくて、所詮はただの噂だと思っていたのに…今の彼ならこれまで耳にしてきた噂がぴったりと当て嵌まる。


 ヴァレリーもシャルルも、クロードの噂は嘘じゃないと言っていた。彼等が言っていたのはこの姿のクロードの事なのだろう。



「お、お願いです…もうやめて…うぎゃぁああああ」

「…こんな事するなら…いっそ殺してくれ」



 片腕ずつを斬り落とされた二人が、蒼褪めた顔でクロードに泣きついている。



「何を甘えた事を言ってんだ?ジゼルに触れておいて甘ったれた言葉を吐いてんじゃねぇぞ。お前等はじっくりと痛み付けて最後はしっかり殺してやる」



 クスクスと肩を揺らして笑うクロードは異常だった。


 普通とやらを私は知らないけれど、もしかすると普通の人はこんなクロードの姿を見たら恐怖して怯えるのでしょうね。


 返り血に塗れ、幾度となく剣で人間を突き刺し、それも敢えて急所を外して苦痛を与えて微笑んでる彼に慄くのでしょうね。



 でも、そんなクロードの姿に私の心はときめいているの。どうしようもなく愛おしさがこみ上げてきているの。


 私の為にここまで来てくれて、私の為に憤慨してくれて、私の為にこんなにも血で染まっているクロードが美しく感じて仕方ないの。



 乱暴にされていたせいであちらこちらが痛む身体に鞭を打って立ち上がった私は、男の繋がっている方の腕を目掛けて剣を振り下ろそうとしているクロードの背中に抱き着いた。



「もうやめて。これ以上すると出血多量で死んでしまうわ」

「こんな虫けら、死んだ方が良い」

「いいえ、こんなゴミの様な存在の為にクロードの手を汚すことはないと言っているの…きゃっ」



 私の体温と言葉が効いたのか、振り下ろそうとしていた腕を止めて剣を鞘に戻したクロードが身体を反転させてそのまま腕の中に私を閉じ込めた。



「遅れて悪かった。怖くて痛かっただろ?」

「ううん、クロードが来てくれたから平気よ」

「…っっ…ジゼルが拉致されたと護衛に付けていた人間から報告が来た時、心臓が止まるかと思った」

「ちょっと待って、護衛を付けていたの?」

「ああ、当たり前だろ。俺がいない時は常にお前に護衛という名の監視を付けてる」

「どうして!?!?」

「お前が俺から逃げないようにだ」



 訂正、もしかするとこの男は本当にただの異常者かもしれないわ。


 平然と、しかも悪びれた様子もなく私を監視していると発言する相手に唖然としてしまう。



「俺のこんな姿を見ても怖くないのか?」



 汚れた手袋を歯で噛んで脱ぎ捨てたクロードが、大きな手で私の頭を優しく撫でる。


 質問を投下した彼の顔は酷く不安気で曇っていて、そういう姿にも胸が高鳴ってしまうのだから恋というのは厄介だ。



「全く怖くないわ。寧ろ格好良かった…助けに来てくれてありがとうクロード」

「あんまり可愛い笑顔を向けんな、昨日の今日だから抑えられなくなりそうだ」



 「昨日」というワードを零されてすっかり忘れていた一緒に朝を迎えた事実を思い出し、全身が急激に熱を孕む。


 事件に巻き込まれたせいでご丁寧に肌が露出しているおかげで、紅潮している様をしっかりと確認できた。



「こんな胸糞悪い場所に長居したくねぇな。行くぞ、ジゼル」

「へ?きゃっ」

「今日はいつもみたいに暴れんなよ、怪我してるんだから大人しくしてろ」



 巷で噂のお姫様抱っこで私の身体を持ち上げたクロードに連れられて外の世界へ出て絶句した。


 悍ましい量の人間が倒れて山積みにされていたからだ。


 私が予想していたよりもずっと多いわ…こんな数の人間を動かす事ができる程の財力を有しているのは貴族階級の人間しかいない。そうなると自ずと私を狙う様に依頼した犯人も絞られてくるわね。



「ジゼル!!!」

「ジゼルちゃん!!!」



 険しい面持ちで地面に伏せた人間達へと視線を投げていた私の元へ、騎士団の団員服を着たヴァレリーとシャルルが心配そうに駆け寄って来た。


 ちょっと待って何よこのボーナスタイム!!!美しい人間の制服姿って控え目に言っても最高じゃないのよ。



「可愛いジゼルをこんなに傷付けるなんて…全員気絶させるだけじゃなくて首を斬り落とすべきだった」

「ジゼルちゃん痛かったね。辛かったね。よしよし、クロードよりも俺の腕の中の方が温かいよおいで?」



 私の頬にそっと手を添えてぐしゃりと表情を歪めながら、顔に似合わない過激な発言を投下するヴァレリーと、私の頭を撫でてから両腕を広げて迎え入れる態勢を見せるシャルル。



「お前等、気安く俺のジゼルに触んな。馬車はどうした?」

「馬車はこの細い道抜けて少し大通りになっている道で待機させてる。後始末も騎士団員に指示済み。ていうかジゼルはクロードの物じゃないでしょ、虚言癖なの?」

「ぁあ?」



 まだ完全に纏っている殺気が消えていないからか、ヴァレリーに威嚇しているクロードの威圧感が尋常ではないというのに、吞気に欠伸をしているヴァレリーは一体どういう神経をしているのか気になる所である。


 美形三人に囲まれて、やけに大切にされているこの現実に性格の悪い私はしっかりと優越感を覚えている。


 馬車に乗り込んでも私を抱えたまま放さないクロードに分かりやすく冷ややかな視線を浴びせるヴァレリーとシャルルが乗り込んだのを契機に、ゆっくりとそれが動き始める。



「でも驚いた。クロードが暴走せずに出て来るなんて俺もヴァレリーも思ってなかったから、どうやってクロードを止めるか話し合ってたんだよ」

「暴走しかけたけど、ジゼルに止められて正気に戻った」

「え?」



 まるで宝物にでも触れるかの様に丁寧に優しく私の頬を撫でるクロードの甘さが気まずくて仕方ない。ヴァレリーもシャルルもいるのよ?それなのにどうして自分の世界をこんなにも展開できるのよ?


 クロードの返事を受け取った質問者のシャルルが、吃驚した表情を浮かべながら私に「本当なの?」と確認してきたから小さく首肯する。



「クロードが暴走したらクロードの体力が尽きるのを待つしかなかったのに、ジゼルちゃん一体どんな魔法を使ったの?」

「魔法じゃないわ、ただ虫けら如きに手を汚すのは駄目って説得したの」

「あはは、十分魔法だよ。暴走状態のクロードに話しかけられる時点で凄い事だからね、やっぱりジゼルちゃんは面白いや」



 お腹を抱えて笑っているシャルルは、初めて会った時と比べて随分と変わった気がする。説明するのが難しいけれど、無邪気さが出て来たように感じる。きっと、これが本来のシャルルなのだとも思う。


 正直、暴走寸前のクロードをこの目で見た時は彼の異様さに呼吸すら忘れてしまった。たまたま私の声が届いてくれたから血の池になる事だけは回避できたけれど、あのまま放っておいたら本当にクロードはあの空間全てを真っ赤に染めていたかもしれない。


 だからこそ、シャルルの発言はこれっぽっちも大袈裟には感じない。


 ただ、あの時の表情も双眸も冷たくなったクロードは、それはそれは美しくてすっかり魅了されてしまったのも確かだ。



 ああ、いけないわ。クロード・シャルリエを好きだと自覚してしまったせいか、クロードの顔を見ただけでも胸がギュッと締め付けられてしまうわ。



「でもやっぱあいつ等の息の根は止めるべきだった」



 揺れる車内で開口したクロードへ、その場にいる人間の視線が集中する。私を含めた三人が発言の意図が掴めず首を横に折った。


 僅かな沈黙が流れた後、拳を作ってそれをワナワナと震わせたクロードが再び口を開いた。



「だって…だってあいつ等、ジゼルの聖なるおっぱいを揉みやがったからな!!!俺ですら揉んだ事ねーのに、俺を差し置いてジゼルのおっぱいを揉んだんだ!!!最低だろ!!!」

「いやデリカシーの欠片もないあんたが最低よ」



 前言撤回。やっぱり私はこんな馬鹿な男に恋なんてしている訳がない。


 きっと、絶対、恐らく、多分、この恋心は気のせいだ。



第11話【完】








 

 

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