第10話 標的にされる令嬢



「嘘かと思ってたのに本当にいるのね」

「と、突然ドア開けるなよ、ビックリするだろ。たまたまお前の部屋の前通ったから元気にしてるか気になっただけだ」

「無理がある言い訳ね。毎日顔合わせて元気なこと知ってるじゃない」

「うるせぇ…寝る前にお前の顔見たいと思ったら悪いかよ」



 頭を掻いて頬を紅潮させつつ視線を逸らすクロードを、不覚にも可愛いと感じてしまう。


 まずいわね、この男に可愛いという感情を覚えるなんて私、毒でも盛られたかしら。



 毎晩私の部屋の前に居るという情報が不意に気になって、夜が深くなってきたこの時間にドアを開けてみたら本当にクロードが立っていて正直驚いた。



「いつからそこにいたのよ」

「たった今来たばかりだ。お前が美形に囲まれた生活最高って言った時くらいからだ」

「一時間くらい前じゃないのよそれ、恥ずかしい独り言を盗聴しないでくれるかしら」

「クロードとの生活最高って訂正しろ」

「拷問でしかないからその話広げないでくれる?」



 信じられないわ。こんなだだっ広い廊下に一時間以上ただ立ってたっていうの?


 寝る前だからなのか、白いワイシャツ一枚だけを纏っているクロードは所憚らずに言うと非常にエロい。


 まがいなりにも第二王子であるこの男は、騎士団長ということもあってカチッとした服ばかり着ているし、その姿しか私は見た事がなかった。


 だからこそ、ラフな服装をしている相手のギャップと色気の強さに戸惑ってしまう。



「美味しいワインとケーキを持って来た、一緒にどうだ?」

「あら、貢ぎ物を用意するくらいに私と過ごしたかったの?」

「ああ、悪いか?」



 私の冗談に暴言の一つや二つ返してくるだろうと思ったのに、真剣な表情で真面目な台詞を吐く相手に調子が狂う。



「わ、悪くないわ」



 自分の顔に体中の熱が昇っていく。バクバクと心臓が騒ぐ中、目のやり場に困る程の色気が垂れ流している男から視線を逸らして、部屋の中へとクロードを通した。



「「乾杯」」



 重なった二人の声と、音を立てて交わる二つのグラス。揺れるワインを口に含めば、華やかな香りが鼻から抜けていく。


 用意されたチョコレートでコーティングされたケーキは、ほろ苦く濃厚でしっかりとワインに合っている。



「美味しいわ」

「食事する度に思ってたが、お前は本当に美味しそうに食べるよな」

「そんなにジロジロ見ないでよ、恥ずかしいじゃない。誰かが作ったご飯なんてずっと食べられない生活だったから仕方ないでしょう」

「お前って見かけによらず悲惨な人生歩んでるよな」

「そこは普通、そんなことないって嘘でも言うところだろ」

「でもお前がハードな人生歩んでくれたおかげで俺はお前に出会えた」

「……」

「だから不謹慎だが感謝してる。そりゃあ可能ならお前があのボロ小屋トイレで生活をしないといけなくなった時に時を戻して俺が救ってやりてぇし、お前がいたく気に掛けてるフロランって野郎とお前が出会わない様に細工だってしてぇし、小さい頃からお前と知り合いたかったと思うが、そんな不可能なもしもの話をしてもキリがないだろ。その代わり、俺はこれからのお前の人生を全て守るって決めてる。お前が良くても俺が耐えられねぇから貧しい暮らしもさせないし、お前をないがしろにする奴は絶対に許さない」



 嗚呼、苦手だわ。


 この男の飾らないのに綺麗な言葉も、酷く真っ直ぐな双眸も、こうして向けられると胸が強く締め付けられて、これまでの人生で抱いたことのない名も知れぬ感情に心が一瞬で支配されてしまうから、苦手だわ。


 ずっと強くて逞しくいられた自分が、この男の前に晒されると途端に弱音を吐いてしまいそうになる。



 誰もが私の境遇に見て見ぬふりをした。私が生まれた時から屋敷に仕えていた使用人も、庭師も、ブランジェ家と交流のある家門も、皆揃ってブランジェ家が私を排除する姿を目の当たりにしても目を逸らした。


 唯一、幼馴染のフロランだけが私と会話をしてくれて、当たり前の様に笑顔を向けてくれた。そんな彼はまるで私の憧れの王子様そのもので、彼に好意を抱くのはまさに必然だった。


 それなのに、突如として私の人生に登場したクロード・シャルリエという男は、私の境遇を無視することなく平然と手を差し伸べてきた。


 横暴で身勝手で強引なこの男に振り回されっ放しだけれど、この男との時間を重ねるにつれ、私の心で未知の感情が芽生え始めてしまった。



 その感情の名前を知るのが、堪らなく怖い。



「どうしてそこまでしてくれるのよ」



 身体に熱が溜まり始め、頭の中がふわふわとした感覚にじんわりと冒されていく。



「お前が好きだからに決まってるだろ、何度も言わせるな」



 ほら、この男はこんな台詞を恥ずかし気もなく、迷いもせず、私にくれる。そして私の胸はまた苦しくなって、呼吸の仕方を忘れてしまう。


 心拍数が急上昇しているのは、きっとワインなんかを口にしてしまったせいだわ。



「冗談やめて。私みたいな可愛げのない女の何処を見れば好きになるのよ。口も悪くて喧嘩も強いなんて……可愛くないってこと、自分がよく分かってるわ」



 そんなつもりなんてなかったのに、気づけば自暴自棄な弱音を私の口が吐露してしまっていた。



 自然と視線が降下していく。私がどんなに憧れても自分がお姫様になれるタイプの人間ではないって事くらい、ずっと前から気づいていた。


 例え性根が腐っていようとも、義妹のティファニーの様な眩いまでにキラキラと輝いている人間こそがお姫様に相応しいの。


 私なんて可愛らしい部分が一つもない…「何言ってんだお前」



 ネガティブな思考を切り裂く様に放たれた低い声に驚いて、思わず俯いていた顔を持ち上げた。


 そこにいるのは、息を吞む程に美しい男。



「可愛い所しかないだろ。花を見て微笑む所とか、ご飯を美味しそうに食べる所とか、俺に文句を言っている顔も、俺の発言に白けた目を向ける時も、俺からすればお前の全てが可愛く見えてんだよ。最初は強くて口の悪いお前に興味を持って純粋にもっと知りたいと思っただけなのに、もうすっかり抜け出せない程に溺れてる。俺はジゼルが好きだ。だから自分で自分を貶すな、こんなに良い女世界中探してもお前だけだ」



 狡い男。そう思った。


 噓偽りのない麗しい笑顔を咲かせて、私の頭を撫でる男に涙腺が緩んでしまいそうになる。



 本当の自分を無条件に受け入れて貰える事がこんなに嬉しいなんて、知らなかった。こんなに温かい気持ちになるなんて、知らなかった。



「…もっと、撫でなさい」

「は?」

「もっと、頭撫でなさい」

「お前もしかして酔ってんのか?」

「酔って…ないわ」

「酔ってんな」



 さっきからこれっぽっちも自制心が利かないわ。どうしたのかしら。足に力も入らないし、ぐにゃぐにゃに視界が歪んでいくわ。



「もういい、撫でてくれないなら寝るわ」



 自分では立って歩いているつもりなのに、身体が傾いて足元から崩れ落ちていく。地面に倒れると思ったけれど、私の身体が着地したのは熱い体温の中だった。



「ったく、ベロベロだな。危ないだろ」

「だって…」

「ベッドまで俺が運んでやる」

「きゃっ」



 私の身体を軽々と両腕で抱き上げたクロードの首へ咄嗟に腕を回せば、はっきりとしない視界の中で相手が微かに頬を赤らめた気がした。



「急に抱き上げないでよね」

「お前が担がれるのが嫌だって言ってたからこうして抱き上げてんのに文句かよ、ほらベッドだ」

「……クロード」

「何だよ」

「寝るまで…傍に居て」

「…っっ…」



 ゆっくりとマットレスの上に降ろされた私は、クロードの袖口を掴んで相手を見上げた。


 今日の私は本当にどうかしてしまったらしいわ。こんな恥ずかしいこと、口が裂けても言えないはずなのにべらべらと口が勝手に零していってしまうんだもの。



 私の言葉が案の定予想外だったのか、目を見開かせたクロードの顔が忽ち真っ赤に染まっていく。それから片手で顔を覆って深く溜め息を落とした。



「何お前本当…」


“可愛過ぎてどうにかなりそう”



 そう言って困った様に眉を八の字にさせたクロードは、私の隣に身体を沈めてそっと私の身体を包み込んだ。



「ほらよ、寝るまでこうしてるから早く寝ろ」

「…抱き締めてとまでは頼んでないわ」

「うるせぇ、俺が抱き締めたいんだから我慢しろ」

「横暴ね」

「今更だろ?」



 甘く微笑む相手の広い背中に腕を伸ばした私の口許は、自然と弓なりに緩んでいた。





❁❁❁




 穴があったら入りたいわ。



「それではご指示通りに新作のコスメの方は進めていきますね」

「ええ、よろしく頼むわね」

「今日はお忙しい中、急だったにも関わらず打ち合わせに足を運んで下さりありがとうございました」

「いいのよ、お菓子も皆さんで食べてね」

「ありがとうございます、お気を付けてお帰り下さいませ」



 昼下がり、コスメの製造を依頼している工場との打ち合わせが終わり、社員に見送られながら街へと出る。


 一日の内で最も高い位置に太陽があるせいか、陽に照り付けられている石畳は靴越しからでも熱いのが分かる。



 特にこの後は予定もないし、こういう時はいつもならさっさと帰っている。しかし、今日の私の心は帰りたくない気持ちが圧勝していた。


 というのも、今朝目覚めたら私の目の前には美しいクロードの寝顔があり、しっかりと私の身体がクロードの腕の中にあったからだ。



 思い出しただけで顔中が熱くなってしまうわ。


 起きた途端にクロードの顔があった時は叫びたいところだったけれど、酒で箍が外れてしっかりと自らクロードをベッドに誘い込んだ記憶が鮮明に残っていたせいで、文句の一つも出てこなかった。



「はぁー気まずいわ。気まず過ぎてクロードが起きる前に出て来たけれど、帰ったら絶対いるだろうし…どういう顔をすれば良いのか分からないわ」



 何度目か分からない盛大な溜め息を出して、手でパタパタと風邪を煽り顔の熱を冷ましてみるが効果は見られない。



「自分がこんなにお酒に弱い人間だと思わなかったんだもの」



 だってどう見たって私ってば酒に強そうじゃない?確かに吞んだことはなかったけど、絶対に自分は酒に強い人間だと信じて疑っていなかった。


 それなのにいざ吞んでみたら一瞬でお酒の力に屈してしまった。



「どうせなら記憶諸共消えなさいよね、何でしっかりと残ってるのよ」



 全てを覚えている。クロードが私に掛けてくれた言葉も、私がクロードに甘えた事も。クロードの甘い声や体温も、全てをしっかり覚えている。


 だから穴があったら入りたいの。今日も打ち合わせ中不意に思い出して顔から火を噴きそうだったわ。



 陽射しと人混みから逃れる様に人路地裏に入れば、恐ろしい程に人がいなかった。


 何だか不気味だし妙ね、大通りに戻った方が良さそうだわ。



 本能的に危険を感じて慌てて踵を返した刹那だった…―。



「え」

「へぇ、すげぇ美人じゃねぇか」

「お嬢様、少し眠って貰うぞ」



 怪しい笑みを湛えた屈強な男二人が既に目前に立っていて、すっかり油断していた私は思い切り急所を突かれて意識を手放した。




第10話【完】




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