第9話 受け入れる令嬢



 騎士団に所属していると多忙を極めた生活を送っているのだろうと思っていたけれど、実際に三人と暮らしてみてそれが誤った認識だったと知った。


 というのも、要請がない限り騎士としての仕事は自由時間が多いらしい。王族の護衛や王国の治安維持の為の監視等に人員を割く事は勿論あるけれど、大きな戦がない限りは騎士団に所属する全ての騎士が出払う事はない様だ。


 私が生まれた頃は近隣諸国で戦争が勃発していてこの国の治安も安定せず、多くの騎士が動員されて犠牲になったという話を聞いた事がある。ただ、クロード・シャルリエが騎士団長に就任した五年前から、この国の騎士団は凄まじい強さで他の国を制圧した為、瞬く間に治安が安定する様になったのだ。


 この国の騎士団の名が知れ渡り、よっぽどの事がない限り戦を仕掛ける国も現れなくなってしまった現在は、騎士団の仕事も随分と軽くなってきたという話をこの間ヴァレリーから聞いた。


 だから三人が揃って騎士団の仕事に出た日は今のところ一日もない。とは言え、あの三人はそれぞれが名家のご子息だからそっち方面の業務で忙しそうにしている。



「この書類にサインすればお終いね」



 私用にと与えられた部屋の机で自分の会社の溜まっていた事務仕事を片付けて終わった私は、部屋を訪れてティータイムの提案をしてくれた使用人に甘えて休憩を取る事にした。


 気分転換も兼ねて移動した先は、私がクロードに拉致された際に連れてこられた部屋だ。食事をする為に全員が集まるのもここだし、集合の合図がなくとも気づけば誰かしらがこの空間に来てはお酒を嗜んだり、本を読んだりと好きな事をして過ごしている。


 時計の針が三時を指そうとしている。私以外の人間がいないその空間は酷く静かで、いつもが賑やか過ぎるせいか少し寂しさを感じてしまう。



 ソファに腰かけて、一人でティータイムを過ごすには贅沢な紅茶とお菓子に手を伸ばす。


 極貧生活が長いせいでここでの豪華絢爛な暮らしにはまだまだ慣れそうにないけれど、温かさに満ちているこの生活にすっかり染まりかけている自分がいる。


 これは仮初の生活で、遅かれ早かれあの現実に戻らなくてはいけないとちゃんと分かっている。分かっているのに、現実に戻る日が来なければ良いのにと思ってしまう。


 それもこれも、きっと彼等が底なしの温かさで私を包み込むせいよ。こんなに口が悪くて性格も歪曲している女なのに、彼等が平然と自分達の輪の中に私を入れてくれるせいよ。


 そのせいで、この生活を手放す日が来るのが恐くなってきているじゃない。



「あ、ジゼルちゃんだー」



 どれくらい一人の時間を過ごしていたかしら。急に扉が開いたかと思えばシャルルが現れて私の隣に腰を下ろした。


 今朝ヴァレリーの口から放たれた「種蒔き兄さん」という強烈インパクトな単語が頭を過っていく。



 ソファに凭れて全身を預けながら眠そうに目を細めて欠伸を零している彼の横顔は、多くの女性を抱いていても納得してしまう位には美しい。



「シャルルって、いつも眠たそうにしてるわね」

「俺、十二歳の頃から纏まって眠れた事がないんだ」

「え?」

「小さい頃からこの顔立ちのせいでよく女の子に間違われたり、同性からも好意を寄せられる事があったんだけど、十二になった年に二人のお兄様から犯されそうになったんだよね」



 この人、童話を読み聞かせるテンションでとんでもなく重い話を語ってるんですけど。


 耳を疑う内容に開いた口が塞がらない。苦しそうに表情を歪ませているシャルルの視線は、十二歳の頃を見つめているかの様だった。



「それまでずっと慕っていて大好きだったお兄様二人に手足を拘束されて、叫んだら殺すと脅されて…身体を触られた。キスもされた。恐怖と気持ち悪さで泣いた俺はお兄様二人に『お前が美しいから悪い、俺達の情欲を悪戯に煽るお前の美しさのせいだ』って言われた」

「そんな…」

「このままお兄様二人に最後まで犯されるんだって思った時に、当時既に仲が良かったクロードがたまたま俺を驚かせる為にエルメス家の屋敷に忍び込んでてさ、そのままクロードが発見してくれて、俺を助けてくれたの。俺の代わりにクロードは激怒してくれて、五つ以上離れているお兄様二人があっという間にクロードに殴られて血だらけになった」

「……」

「当たり前だけどこんな問題が起きたなんて世間に知られたらエルメス家が穢れるから、お父様もお母様もこの事実から目を瞑って何もなかった事にした。そしてあろうことか、俺を助ける為にお兄様二人を瀕死の状態にしたクロードを化け物だと言って酷く恐れた。エルメス家に失望した俺は自ら志願して学校の男子寮に入寮して、クロードがこの屋敷に住む様になってからはクロードに誘われてここで生活するようになったんだ」



 言葉が出なかった。何を言っても綺麗ごとにしかならない気がして、ただ口を堅く結ぶ事しかできなかった。



「あの時、お兄様二人に触られた感触や恐怖心が一人で眠ろうとするとどうしても鮮明に蘇ってきて、眠りに落ちても魘されて二時間寝るのがやっとなんだよね。早く忘れたくて記憶を上書きできると思って、言い寄って来る女性を手当たり次第に抱いてみても全然消えてくれなくて…本当に困るよ。あれから七年も経ってるのにずっとトラウマに囚われている自分が情けない」



 天井を仰いで片手で目元を覆い深い溜め息を吐いているシャルルは、とても苦しそうだった。


 表面からは見えない傷がきっと彼の心を蝕んでいるのね。シャルルは何も悪くないのに、藻搔いても藻搔いてもその苦しみから逃れられないなんて残酷だわ。



「どうして…どうして、そんな大切な話を私にしてくれたの?」

「どうしてだろう。ジゼルちゃんは、あのクロードが見初めた人だからかな。ジゼルちゃんには、俺の事を知ってて欲しかったのかも。ジゼルちゃんは、俺の話を聞いて格好悪いって思わないの?」

「は?どの辺が格好悪いのよ」

「え?」

「何も格好悪くないわ。自分の過去とトラウマに立ち向かっているんだから寧ろ格好良いわよ。ただ、好きで不純異性交遊してるならまだしも記憶を上書きする為にしてるならそこだけは話が変わって来るわね」

「……」

「まずは自分を大切にしなくちゃ駄目よ、シャルル。自分を大切にして自分をめいいっぱい愛してあげなきゃ、トラウマから解放されないんじゃない?女性を抱く事で埋めようとしても、シャルル自身が自分を愛していなかったらその行為には何の意味も持たないと思うわ」



 それにしても、こんな美しい人間を長年苦しめる傷を付けた奴に対して殺意が湧いて仕方ないわ。


 お兄様だか何だか知らないけれど、私が現場にいたら血が上って刺し殺していた自信がある。



「シャルルみたいな息子が生まれてくれたら命に替えても愛して守り抜くべきなのに、家柄ばかり気にするなんて全くこの世界の貴族は下らないわね…って、シャルル!?!?泣いてるの!?!?私の口剃刀かみそりだから無意識に貴方を傷付けちゃった!?!?」



 天井を仰いでいたはずの彼へ視線を滑らせれば双眸からボロボロと大粒の涙を頬に落としていて目玉が飛び出るかと思った。


 手にしていたティーカップを慌てて置いてシャルルにハンカチを渡そうとした刹那、無邪気に両腕を広げたシャルルに抱き締められた。



「違うよジゼルちゃん。自分を大切にしてって言われたのが初めてで嬉しかっただけだよ、ジゼルちゃんの言葉で傷付いた訳じゃないからね」

「シャルル?」

「あーあ、クロードとヴァレリーがジゼルちゃんの虜になっている理由が分かっちゃった。ヴァレリーはまだしも、クロードに愛されてジゼルちゃんは大変だね」

「大変?」

「どれだけジゼルちゃんが嫌がっても、クロードは絶対に逃がしてくれないよ」

「シャルル、それってどういう意味?…シャルル?」



 え、寝てるんですけど。


 急に静かになったと思えば身体が崩れ落ちて、シャルルの美しいお顔が私の膝の上に着地した。



「眠れないという話だったんじゃなかったかしら」



 全く睡眠がとれてなくて限界だったのか、スヤスヤと寝息を立てている彼の顔はいつもより幼く映る。



「本当にここにいる人間はどいつもこいつも綺麗な顔をしてるわよね、毛穴が見当たらないわ」



 突然舞い降りた絶好の機会を逃すまいと、私はシャルルの顔を心行くまで堪能した。


 結局この日、シャルルが目を覚ましたのは実に五時間後のことだった。私の膝の上で眠るシャルルを見るなりクロードが「浮気だ!!!!」と騒ぎ立ててそれを宥めるのにも時間を要した事は言うまでもない。




第9話【完】



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る