第8話 順応スキルが高い令嬢
何言ってんだこいつ。巨大爆弾に匹敵する台詞を投下した男へ視線を伸ばしたまま怪訝な表情を浮かべれば「目が合ったな、いよいよ俺に惚れたか」と相当見当違いな言葉が返って来た。
ここまで家柄の良い子息が揃っていれば、私と関わる事で変な噂を立てられ家門を穢す可能性が高くなる事は避けると思ったのに、こちらの素性を聞いてもここにいる三人は私を軽蔑するどころか歓迎ムードすら出している。
普通は私みたいな訳あり女なんて一番距離を置かれるはずなのに、いない者として扱った方が都合も良いはずなのに、これまでずっとそういう環境で生きてきたから慣れっこだし今更傷付きもしないのに、躊躇う事なく私を受け入れるクロード・シャルリエに胸の奥がギュッと締め付けられるような感覚がする。
認めたくないけれど、私の手に置かれたクロードの手が温かくて優しくて振り払おうにも振り払えなかった。
「お、お気遣いは大変嬉しいけれど私は大丈夫ですわ」
「あ?だってお前あのボロ小屋トイレで生活してるんだろう?」
「だから家なのよ、ボロ小屋トイレって…容赦ない言い方するわねあんた」
「ブランジェ家の屋敷には住ませて貰えなくて、ブランジェ家はジゼルをブランジェの人間とは思ってないんだろう?」
「ええそうよ」
「それならここに住めよ」
「何でそうなるのかしら!?!?」
「俺は好きな女を今にも倒壊しそうな小屋に住まわせたくない。ジゼルがブランジェの家で最低な扱いを受けてんなら、俺はあそこにお前を帰さないしお前に悲しい想いをさせてるブランジェ家を許さねぇ」
「……」
「だからここに住め、ジゼル」
甘くて低い声が脳と心に染みていく。
どうして出会ったばかりの人間にここまで優しくできるのよ、馬鹿なんじゃないの。
私に惚れただとか私が好きだとか、どうせ一時的な心の迷いと錯覚で、すぐに飽きて興味すら失せるに決まってるわ。
そんな事くらい分かっているのに、人に優しくされる事に免疫のない私はクロードが差し伸べる手に純粋に嬉しいと感じてしまう。
自分の事の様にブランジェ家への憤りを宿している相手の双眸が真剣そのもので、何も言い返せなくなってしまう。
「そうだよ、ここに住めば良い。俺とシャルルも住んでるし俺もジゼルと過ごしたい」
「男ばかりでむさ苦しかったからジゼルちゃんが華を添えてくれると嬉しいね」
揺れる心にトドメを刺すかの如く、ヴァレリーとシャルルが私を囲んでクロードの意見に賛成を示している。
ちょっと待って、これは良くない流れだわ。完全にあちら側に主導権がいっている気がする。
「こいつ等も珍しく歓迎しているんだから遠慮するな」
「いえ…あの…決して遠慮してる訳では…」
「俺は絶対にお前をいない者として扱ったりなんかしない。俺がお前を守ってやる、だから俺を信じろ」
「……」
思わず目を細めてしまうまでに眩しい瞳に、馬鹿みたいに真っ直ぐな言葉たち。どれもこれもが私にとっては新鮮で、圧倒されてしまう。
人間と関わる事に慣れていないせいで口を噤む私の姿を無言の肯定と取ったらしい相手が…。
「よし、決まりだな。今日からジゼルはここに住む」
強引に私の新たな住まいを決定した。
「やった、ジゼルと一緒に住めるの嬉しい」
「これからよろしくね、ジゼルちゃん」
「え…え…あの…え…」
抵抗の数々もこの男達の前では効果はなく、民主主義的なムードに流されるがままにこの国きっての不良三人と過ごす事になってしまった。
❁❁❁
窓の外で天に向かって伸びている樹で休憩している小鳥の囀が美しく響いている。
射し込む太陽の光も柔らかくて、すっかり夏が到来したというのに風が通る設計なのか全く暑くない。
「最近、怪しい輩が街をうろついてるという目撃情報が多数騎士団に寄せられてる」
「それお腹空かせた時のクロードじゃないの?」
「それかジゼルちゃん不足で死にそうになってるクロードの可能性もあるね。ね?ジゼルちゃん」
「いや私に話振るなよ、反応に困るわ」
小屋住まいの時には考えられなかった贅沢な料理が並ぶテーブルを四人で囲う朝食時間、深刻な面持ちで開口したクロードに対し全く真剣さを感じない発言をする他二名。
一口大にちぎったパンを口に含んだ私が会話の巻き込み事故を喰らって苦笑を浮かべるのもすっかり日常になりつつある。
クロード・シャルリエの屋敷に流れで住む事になって早二週間。三人の奇人との共同生活なんて、何されるか分かったもんじゃないわ…なんて危機感を募らせていた自分がただの自意識過剰に思えて恥ずかしくなってしまう位には甘やかされて過ごしている。
「こっちは真剣に話してるってのに、ふざけるのもいい加減にしろ」
「俺達も真剣。毎晩毎晩一緒に寝たくてジゼルの部屋の前で緊張しながらウロウロしてる癖によく言うね」
え、何その話初めて聞いたわ。
「おいヴァレリー今すぐその口閉じろ、余計な事を暴露するな」
そんで以って事実なのかよ。プライドくらい持ちなさいよ、そして嘘でも否定しろ。
朝っぱらから随分と騒がしい事この上ないけれど、悪くないと思っている自分がいる。
長らくの間、誰かと食事をするという事がなかった私にとって、誰かと必ず一緒に食事をするここでの生活は新鮮な事だらけだ。
隙を見つけて逃亡を図ろうと思っていたのに、ここにいる時間が長くなればなる程に居心地の良さを感じてしまっている。
「シャルル様、お客様がお見えです」
「んー、分かった」
眠そうに欠伸を零しているシャルルが席を立って朝食の空間からいなくなるのは、毎日のことだ。
彼を呼びに来た使用人の後に続いて部屋を出て行くシャルルの背中を見送りながら「シャルルには来客が多いのね」と思っていた事を声に乗せて漏らした。
「ジゼル違う、客っていうか女だよ」
「…え?」
「シャルル、種蒔き兄さんだから」
いや、はなさかじいさんみたいに言うなよ。幼い頃に読んだ東洋にある国の本の題を思い出した私は、淡々と衝撃的な事実を告げるヴァレリーへ視線を滑らせた。
「よくもまぁ毎日毎日、違う女を抱けるよな。心配するなジゼル、俺はお前しか抱かないと約束する」
「逆に当たり前の様にあんたに抱かれる事になっているのが心配だわ」
「誇れよ」
「命令しないでくれるかしら」
「俺様に抱かれるなんて光栄な事だろ」なんて戯言を吐いているクロードは、未だに私に飽きる気配がなく、それどころか元々激しかったアプローチが日に日に強火になっていっている。
それにしても、シャルルの女性関係がこんなにも派手で乱れているとは思わなかったから内心驚きを隠せないわ。
いつも眠そうにしていて掴みどころのない男だけど、話してみると一番まともな印象を受ける。見た目だけで判断するならクロードの方が圧倒的に女性を食い散らかしてそうなのに…意外だわ。
「ま、シャルルに関してはあれがあいつなりの処世術だから仕方ないな。俺もそろそろ出る」
「もう騎士団の仕事へ行くの?」
「ちげぇ、フロラン・フィリップとの取引きだ」
「え?その取引きって進んでいるの?だってクロード、フロランを殴り飛ばす程には気に喰わない内容だったんでしょう?」
「フロラン・フィリップなんて心底嫌いだが、あいつを困らせるなってジゼルが言ったんだろうが。だから仕方なく話を進めてる」
「もしかして、私の為にフロランと?」
「それ以外に理由なんてある訳ないだろ。あと、あんま俺以外の男の名前を呼ぶな」
“嫉妬で狂いそうになる”
ここで暮らしていて唯一困っている事を挙げるならばまさにこれかもしれない。何故か私を溺愛しているこの男の甘さに、心がキュンと締め付けられる事にここのところ頭を悩ませている。
「それじゃあ行ってくる」
私の手を取って手の甲に口付けをして去っていくクロードに、私が毎日毎日頬を上気させている事をきっとあの男は知らないのでしょうね。
…本当、狡い奴。
「クロードが優し過ぎて怖いわ」
「それ、ジゼルにだけ」
高鳴る胸をドレスの上からギュッと抑えれば、頬杖を突いているヴァレリーが小さく笑った。
「ジゼルに出会う前のクロードは俺とシャルルですら手が付けられなかった。平気で人殴るし殺しかけるし、騎士団でも怖がられてる。ジゼルは知らないかもしれないけど、クロードはジゼルが思ってるより残酷な人間だよ」
意味深なその言葉を残したヴァレリーは騎士団の仕事へと出かけて行った。
第8話【完】
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