第7話 不良に囲まれる令嬢


 まさかまさか、脳裏に焼き付いて離れてくれなかった美形と再会を果たすだなんて、人生における幸運を使い果たしてしまったかもしれないわ。



「あの時からずっと、あんたの名前を聞いておけば良かったって思ってた」

「私の名前はジゼル・ブランジェですわ」

「可憐で愛らしい名前だね、あんたにピッタリ。よろしくジゼル。俺の名前はヴァレリー・メロー。ヴァレリーって呼んで」

「末永くよろしくお願いします、ヴァレリー様」



 途轍もない破壊力を持つ相手の顔がすぐそこにある。


 どうしましょう、息ができない。美の暴力が過ぎるわね、控え目に言って最高。時よ止まれ。


 ヴァレリー・メローだなんて、名前まで耽美な響きで……ん?ヴァレリー・メローだと?


 聞き覚えのある名前にハッとして、脳みその片隅にあった記憶を慌てて引っ張り出す。


 そうよ、ヴァレリー・メローと言えばメロー伯爵の次男でクロード・シャルリエとよくつるんでいるらしい問題児の一人の名前じゃないのよ。


 え、という事は虫も殺せぬ様な、花畑で生まれ育った様なこのヴァレリー・メローはあのヴァレリー・メローって事?



 気づかなかった方が幸せだったかもしれない事実に直面し、惑乱してしまう。そんな中、吹っ飛ばされた男が華麗に復活して私の前からヴァレリーを引き剥がした。



「ふざけんな離れろ。ジゼルは俺のだ」

「いいえ違うわ」

「秒速で否定すんな。何で俺とヴァレリーとで態度がこんなに違うんだよ。ヴァレリーの名前はあっさり呼ぶし…気に喰わねぇ」

「はいはい、クロード。これで満足かしら」

「心がこもってないからやり直し」



 面倒臭、何なのこの男。


 さっきまで上機嫌だったはずなのに、ヴァレリーの登場で分かり易く不機嫌になっているクロードは、自らの玩具を死守する子供の様に私を背中に隠している。



「ねぇ、最近騎士団の仕事を疎かにしてまで人探ししてたけど、もしかしてあれってジゼル探してたの?」

「ああ、そうだ。運命の出会いを果たした日にこの女がフロラン・フィリップの名前を出してたのを覚えてたから、ここ数日フロラン・フィリップを尾行して、漸く名前と居場所を突き止めた。そして攫ってきた」

「ふーん、クロードもたまには良い仕事するね」



 おいおいおいおい、聞き捨てならないワードの連続だったのによく普通に相槌打って流せるわねあんた。


 フロランを尾行して私の名前と住まいを突き止めたですって?純粋なストーカー行為じゃないのよ。



「お前こそジゼルと何処で知り合ったんだよ」

「落馬した時。あの怪我の手当てしてくれたのがジゼルで、俺の為に𠮟ってくれたから好きになった」

「気持ち悪いなお前、そんな軽い気持ちで好きになるなよ」



 そっくりそのままあんたに返したいわよ。自分を客観視できてないなこいつ。


 冷めた双眸をヴァレリーへ向けているクロードを見て、やっぱりこの男は馬鹿だなと再認識する。



「という訳でクロード、俺がずっと探していたのもジゼルだし、俺もジゼルが好きだからクロードには譲れない」

「どういう訳だよ、ふざけるな、お前は即刻身を引け!これは第二王子命令だ…「うるさいなー」」



 !?!?!?


 騒がしい二人の世界一価値のない小競り合いに挟まれて「帰っていいかしら」と思っていたら、初めて耳にする中性的な声がクロードの声を遮った。


 声の主を探すべく反射的にぐるりと部屋を見渡した視線が、隅にあるベッドからむくりと上体を起こしている人物の所で留まった。



 奇人達により展開されていく頭の可笑しい会話に意識を持っていかれていて、あそこに人が寝ていた事に全然気づけなかった。


 ベッドから降り、淡い紫色の珍しい髪をくしゃりと掻き揚げながら歩み寄って来た人物は、形容する語彙が見つからない程の美貌を有していた。



「あれ、ここって女人禁制だったんじゃないの?」



 首を横に折って不思議そうに瞬きを繰り返すその人物は、美形というよりも美人と表現した方がしっくり来る。


 どいつもこいつも距離感というものを学んでこなかったのか、指一本分程度の距離から私の顔を凝視する新登場人間が、数秒の沈黙を置いて頬に靨を作った。



「へぇー、すっごい美人だね。俺が食べても良い?」

「良い訳ないだろ」



 もうこの空間で可憐な女の仮面を被るのも馬鹿馬鹿しくなって、本性丸出しの言葉が口を突いて出ていた。


 何なのよこの異常者のみで構成された異空間は。初対面だというのに捕食対象として私を見ているらしい美人な男が「女の子に初めて振られちゃった」とクスクス肩を揺らしている。



 人生で初めてよ、あのおんぼろな小屋にこんなにも帰りたいと思うのは。



「綺麗な色の髪だね。それに、いい香りがする」



 振られた割には一切めげる気配がないな、貴様の心臓は鋼でできているんか?


 私の髪の束を掬っては顔を近づけてしれっとキスをする相手の色仕掛けに、心が全く揺れ動かないと言えば嘘になる。


 何せこの男、顔が良い。顔面偏差値の高い人間に言い寄られて嫌な気分になれる方法があるだろうか、いや絶対にない。



 三人の顔だけ見てるとまるでここが花園かの様な錯覚に陥る。


 系統の違う美形が三人も揃うとこんなにも圧巻なのね、画家に依頼して三人を描かせて画集にすれば飛ぶように売れるんじゃないかしら。


 但し、漏れなく頭が可笑しいから、神様は三人の容姿作りに注力し過ぎて人格形成の際は手を抜いたのかもしれない。



「お前だけはマジで近づくな、俺のジゼルが穢される」

「いつから私はあんたの物になったのかしら」

「そうだよ、ジゼルは俺のだよ」

「それも違うわ」



 私の右腕をクロード、左腕をヴァレリーが拘束して両者が威嚇するかの如く淡い紫色の彼を睨みつけている。


 その光景に吃驚した顔を浮かべてすぐに、彼は「二人が執着してるの初めて見た。やっぱり君、興味深いね」そう言って愉快気に口許を緩めた。



 そういえば、この国きっての不良は三人いるって話だったっけ。ここに来て私の海馬がクロード・シャルリエに関する記憶を呼び起こす。


 王国の騎士団に所属していて、全員名家の出身で手が付けられない問題児。それがクロード・シャルリエとヴァレリー・メロー。そしてもう一人が確か…。



「俺の名前はシャルル・エルメス。仲良くしようね、ジゼルちゃん」



 そうだ、エルメス伯爵の三男のシャルル・エルメスだ。


 ちょっと頭の整理が追い付かないわ、というか整理する事を脳が放棄しているわ。だって、この現実を受け入れたくないと本能が叫んでいるんですもの。


 クロード・シャルリエ単体でも関わり合いたくないのに、よりにもよって悪名高い三人全てをコンプリートしてしまった。


 厄日かしら、この場で泡吹いて気絶して次に目を覚ましたら全て忘れて夢だったって事になってくれたりしないかしら。



「わ、私そろそろおいとましますわね、お家柄の良い御三方と折角出会えたばかりで残念ですが、きっと私とは住む世界が違うのでもう会う事もない…「そういえばお前、わざわざ外のトイレで何してたんだ?」」



 だから人の話を遮るなよ、どんな教育受けてきたんだよ。折角頃合いを見計らって開口したのに台無しになったじゃないのよ。


 クロードの問い掛けに頬を引き攣らせながら「トイレ?一体何のことですか?」と首を傾げる。



「惚けるなよ、俺がお前を攫った時にお前トイレから出て来ただろ」

「あれ私の家だわ、トイレみたいで悪かったわね」



 私の発言に目を丸くさせているクロードが「あれが家だと?トイレかうさぎ小屋だと思った」なんて漏らしている。


 こんなにも失礼な人間がこの世に存在するのね、言葉をオブラートに包む事を学んできなさいよ。



「幼少期に母を事故で亡くして、新しく来た継母やその娘と仲良くなれなかったから屋敷の離れにあるあの小さな物置小屋に住んでるのよ」

「それじゃお前は、ブランジェ家から邪険にされているのか?」

「ええ、いない子として扱われているし、事実上ブランジェ家から捨てられている様な状態よ。だからこんな地位も名誉も家柄もない私とは関わらない方が身の為だと思うわ」



 自分で言ってて虚しくなるわね。でも事実なのだから仕方がないわ。


 好き好んで自分の事を語りたくはないけれど、私がわざわざ己の人生がハードモードだという事を打ち明けたのには理由があった。


 どれだけ奇人だろうとこの男達は全員が家柄の良い王族と貴族だ。私を取り囲む現実を知れば私と関わってもメリットがないと気づいて距離を置くと踏んだのだ。



「丁度良いな」



 しかし私の耳に届いたのは、期待していた言葉には掠りもしないそれだった。


 眉間に皺を寄せて想像とはえらく違う反応をしているクロードへ顔を向ければ、男は私の頭にポンと手を置いてはにかんだ。



「今日からここに住めよ、そうしたらあのボロ小屋トイレに住む必要なくなるだろ」



 ……。


 ………。


 …………え?




第7話【完】



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