第5話 目を付けられた令嬢



 渾身の一発を拳に込めて殴ったせいだろうか、それともクロード・シャルリエが油断しきっていたせいだろうか、勢いよく吹っ飛んだクロード・シャルリエの後頭部に思い切りテラスの手摺がぶつかって、あろうことかたった一発でクロード・シャルリエが失神した。


 ギッタギタのメッタメタにしてやる意気込みでここに来た私は、無論何発も拳を入れこの横暴な男にフロランの痛みを分からせてやるつもりだったのだが、流石に失神している相手に馬乗りになって攻撃できる程人間としては終わっていない。



 人生を懸けたはずの敵討ちは、一発の拳で呆気なく終わりを告げてしまったのだった。



「よりにもよって何で手摺にぶつかるのよ、もっと踏ん張りなさいよね」



 手応えがないというか、憤りに対して拳を繰り出した回数が比例していないとうか、兎に角物足りなさが残る中、気絶している男の顔を覗き込んだ。


 不意打ちを喰らって意識を手放した人間とは思えない程に美しい顔は、眠っている様にしか見えない。


 気絶姿すら美しい人間って存在するのね、そういう所も嫌味な奴だわ。


 ほんの一言二言しか会話をしなかったけれど、この男の仕草や台詞や表情の端々から性格の悪さが滲み出ていた。



「…帰ろう」



 フロランを傷付けた人間と同じ空気なんて吸いたくないし、クロード・シャルリエが倒れた時点で私がここにいる理由もなくなってしまった。


 処刑になる事まで覚悟していたけれど、クロード・シャルリエが私の素性も名前も知らないまま意識を失ったせいで、私が生き延びる可能性が急浮上してきた。


 その可能性に縋るのならば少しでも早くこの場を去るのが賢い判断という物だろう。そう結論を出した私は、まだ意識が戻る気配のないクロード・シャルリエだけを残して大きい屋敷から脱出した。



「フロラン、大丈夫だったかしら」



 濃い色をしている空を仰いで静かに息を零した私は、もう二度と会う事はないクロード・シャルリエなどさっさと忘れて、愛おしいフロランへの心配を募らせつつ帰路に就いた。



 そう、クロード・シャルリエの顔を拝む機会なんて二度も要らないと思っていたというのに……―。



「よう、随分と探したぞ」

「……」



 五日後、私の前に現れたクロード・シャルリエは、意地悪な笑みを貼り付けた。


 花に水やりでもしようと思って自分の住まいであるおんぼろな小屋から出たら、こうしてクロード・シャルリエに出迎えられたのだ。



 え、私の人生終わったじゃん。



 ド悪党みたいな顔をしてこちらを見下ろしている男を前にして、自らの人生の終焉をすぐに悟る。


 まさかブランジェの敷地内に現れるとは思っていなかったから完全に油断していたわ。


 この間は怒りに狂って冷静さを失っていたけれど、冷静さしかない今、改めてクロード・シャルリエを見ると、その美しさに絶句してしまう。


 身長が高いと自負している私でも見上げなければ相手の麗しい顔を捉える事ができない程だ。


 見惚れそうになってしまう気持ちを抑えながら、私は静かに両手を挙げた。



「私を殺しに来たのかしら?それとも逮捕扱いで処刑になるのかしら?その覚悟だったから逃げも隠れもしないわ」



 私の台詞にクロード・シャルリエは微かに目を見開かせた。太陽の光に照らされていると、彼の赤髪は鮮やかさが増して実に綺麗だ。


 少しだけ沈黙が走り、高くなってきた気温を乗せた風が私達の間を流れていく。木々の枝や葉が揺れる音が鳴りやむよりも、クロード・シャルリエに抱き上げられて私の身体が地面から浮く方が早かった。



「きゃあああ、な、何!?!?何なの!?!?」



 相手が全く予想だにしていない行動に出たせいで、口から出た声が困惑に満ちている。


 一方、軽々と私の身体を抱き上げ乱雑に肩に担いだ張本人は、愉快そうに口角を上昇させている。



「どっちでもねぇな」

「はい?」

「殺しに来た訳でも逮捕して処刑する訳でもないって言ってんだよ」

「じゃあどうして来たのよ?」



 担がれた事で意図せずしてクロード・シャルリエと同じ目線になってしまった。至近距離にある相手の顔は近くで見ると殊更麗しくて、美形に滅法弱い私の胸はこんな状況にも関わらず高鳴っている。


 私の方へ顔を向けた男は、器用に片方の眉だけを吊り上げて笑みを絶やさぬまま口を開いた。



「お前を攫いに来た」



 この男は一体何を言っているのかしら。頭が沸いているんじゃないの?


 目が点になっている私に「間抜け顔だな」と失礼極まりない言葉を放った後、クロード・シャルリエが普通に歩き始めた。



「ちょっ、ちょっと待ってよ何処に行くのよ?」

「何だよ、質問が多いな」



 当たり前でしょうが。異様な状況下にいるのに黙って攫われる人間がいたら見てみたいわよ。


 面倒くさそうに顔を歪めていても腹立つ程に美しいクロード・シャルリエは「あんまジタバタするな。これ以上暴れたら落ちるぞ」と言って、私の身体を掴んでいる腕に力を込める。その間にも男が立ち止まる事はなく、あっという間にブランジェ家の敷地内を出て、停められていた馬車に押し込まれてしまった。



「攫うってどういう意味よ」



 クロード・シャルリエが乗り込むなり動き始めた馬車の中、長い脚を組んで頬杖を突いている男に戸惑いを隠せないまま質問を投げた。



「そのままの意味だけど?」

「……」



 いや全然納得できないし答えになってないんだけど。



「どうして私を攫ったの?」



 全く欲しい説明をくれない相手に対して眉間に皺が寄る。めげずに次の疑問を放った私だったが、突然、正面から伸びた手に自らの顎を持ち上げられて息を呑んだ。


 欠点なんて見当たらない男の顔が、迫ってくる。相手の吐いた息を頬に感じてしまいそうな程に近かった。



「惚れたんだよ」

「……」

「お前に惚れたから攫いに来た。今まで誰の拳も喰らった事なかったのに、お前に殴られた時、雷に撃たれた様な感覚が走った」

「それって単に殴られた時の衝撃なんじゃ…「あの日以来ずっとお前が頭から離れねぇ」」



 話聞けよ。遮るなよ。


 横暴というか自分勝手というか、この男独自のペースが余りにも強くてすっかりそれに流されてしまっている。



 私の人生において告白を受けるのは初めてだったというのに、よりにもよってムードの欠片もない告白を貰ってしまった。


 こんなにもときめかせてくれないなんてある意味才能だなおい。


 どんどんクロード・シャルリエへ伸ばす視線の温度が低下していく私とは対照的に、キラキラと輝く相手の瞳は純真無垢そのものだ。



「そんなに見つめられると照れるな、さてはお前も俺に惚れたな?」

「んな訳あるか」

「照れるな、お前の心なんてお見通しだ」



 何こいつ、めちゃくちゃ鬱陶しいわね。


 一ミリも私の心読み取れてないからその透視能力今すぐ一生封印してくれないかしら。



 勝手な私のイメージだったけれど、クロード・シャルリエなんて碌でもない人間だと思っていた。良い家に生まれて甘やかされて我儘し放題で生きてきた結果、思いやりが微塵もない最低な人間になっただけだと思っていた。


 実際にこの男はフロランに傷をつけたし、フロランを散々振り回して遊んでいた最低な奴だ。だけど、まだ大してこの男の事を知らない私でもはっきりと断言できる事がある。



「俺の物になれ、ジゼル・ブランジェ」

「断るわ」



 クロード・シャルリエこいつは、馬鹿だ。




第5話【完】


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