第4話 やらかした令嬢



 亡くなった私のお母様は、物理的にとても強い人だった。


 傾国と表現された程に美しい人だったお母様は、その見た目から想像できないが熱心な格闘技ファンだったらしい。よく一般人に扮しては街に出て公式の格闘技だけでなく地下で行われる違法かどうかも分からぬ様な格闘技の観戦を楽しみ、それだけでは飽き足らず自分も素顔と素性を隠して出場していたらしい。


 元々、お母様がお生まれになられた家が、王室や貴族の子息に武術を教える事を生業の一環にしていた事もあり、小さい頃から英才教育を施されたお母様はそれはもう最強だったようだ。


 大会に出場したとしても負け知らずで相手からの攻撃を一発も受けずに試合を終える事なんてザラだったお母様は、顔に傷をつけた事がなかった為、側近の侍女以外に格闘技好きが露呈する事なく侯爵夫人として生きる事ができていた。



 そんな血の気の多いお母様がこの世に産み落としたのが私である。私を溺愛して下さったお母様は自分の有するありとあらゆる武術の知識と技を私に詰め込んだ。その結果……。


 悲しい事に、私も喧嘩の腕が立つ女に成長を遂げてしまった。



❁❁❁



 怒りに身を任せてクロード・シャルリエが住まいとしている屋敷に到着した私は、裏の高い塀を乗り越えて侵入に成功した。


 クロード・シャルリエはこの国の第二王子だが、国王や女王や第一王子が住んでいる宮殿ではなく、自分一人だけ別に宮殿とは離れた場所に建つ屋敷に住んでいる事は有名な話だ。


 王族や貴族階級の間で問題児として名を馳せている人物は、クロード・シャルリエ以外に二人いる。その人物の名前はメロー伯爵の次男であるヴァレリー・メローとエルメス伯爵の三男のシャルル・エルメスだ。


 天の悪戯なのか、将又そういう運命の星の下に生まれてしまったのか、この三人は同い年という事もあってか頗る仲が良い様で、全員がクロード・シャルリエと同じ騎士団に所属している。それも三人はこの国始まって以来の成果を上げているらしく、彼らに敵なしとまで囁かれている。


 よりにもよって社交界における三大問題児が揃ってつるんでいるとなれば、それはもう誰も手が付けられない状態となっており、このクロード・シャルリエの屋敷には家柄と顔だけは良い三人のお相手をしたいと願い訪問する阿呆な令嬢が後を絶たないという。


 つまり、クロード・シャルリエ、ヴァレリー・メロー、シャルル・エルメスはこの王国きっての不良集団だという訳だ。



 私は早い段階で社交界とは縁のない人間になってしまったせいで、三人を実際に見た事はないし、どんな人物なのかも巷に出回っている噂でしか知らない。


 それでも、クロード・シャルリエが人間として最低品質なのは分かる。だって私のフロランを傷付けたから。


 完全に頭に血が上っている私は、初めて訪れる屋敷にも関わらず野生の勘が冴え渡り、何の躊躇いもなくぐんぐんと足を進めていた。途中で私を発見して大声を上げそうになっていた屋敷の人間数人には数分だけお眠り頂くように急所を軽く突かせて頂いた。



 意識を奪う前にクロード・シャルリエの居場所を尋ねれば、テラスで酒を煽っているとの事だった。フロランをあんなにボコボコにしておきながら加害者張本人は優雅に酒を吞んでいる事も気に喰わないわ。


 跪いて謝罪しろよ、フロランはお前如きが触れて良い男じゃないのよ。



 クロード・シャルリエを殴るという事は、私が大罪に問われるという事でもある。下手したら即刻処刑になるかもしれない。それでも、私はひたむきに頑張っているフロランの心を弄んでいるあの男に一発喰らわせないと気が済まなかった。


 幸い、私はもうブランジェ侯爵家から捨てられている人間だ。罪に問われてもあの継母が「そんな子はうちにはいない」的な台詞を平然と吐き捨ててくれるだろうから、私が罪に問われる事でブランジェ家に迷惑がかかる可能性も低いだろう。


 あんな家、寧ろ迷惑を掛けて困らせてやりたい位だけれど、狡猾な継母がまんまと迷惑を被るような人間にはとても思えない。



「ここを出ればテラスだって言ってたわよね」



 遂に目的の場所に辿り着き、扉を開けてテラスに出た。見事に手入れされている中庭を望める様に設計されているらしいそこで、椅子に腰かけてお酒を呑んでいる男の姿がすぐに目に入った。


 こちらの気配を察知して振り向いた男と視線が絡み合う。風でそよぐ派手な赤髪と、青い瞳。全てのパーツの形は美しく、完璧なバランスで配置されているその顔は、噂で随分と高くなったハードルさえも悠々と超えてしまう造形美だった。



 こいつが、この男が、クロード・シャルリエ。



「誰だお前」

「フロラン・フィリップを殴ったのは貴方かしら?」

「あ?誰だそれ」

「騎士団の剣や盾を製造して卸しているフィリップ家の嫡男よ」

「あーーー、何かいたなそんな奴。面白くないから一々顔は覚えてないけど、下らない話しかしないから、鬱憤晴らしにわざと殴ってやったあいつの事か?」



 にやり。口角を吊り上げて眼を細めた相手のその言葉に、私の怒りは最高潮に達した。


 自分の事なんてどうでも良かった。この先の人生がどうなっても構わないと本気で思った。



 青い空が高く、雲の少ない穏やかな昼下がりだった。小鳥の囀が可憐に響き、緑の香りが深いとても素敵な場所だった。


 そんな平和的条件が揃った環境で、私は迷わず……。



「フロランを侮辱するなこのカス」

「ぐはっ」



 思い切り男の顔面に拳をのめり込ませて、相手を吹っ飛ばしたのだった。




第4話【完】







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