第2話 ひたすらに逞しい令嬢
ティファニー・ブランジェとフロラン・フィリップの婚約は、長年募らせた恋心を打ち砕いただけでなく、私がブランジェ家から正式に捨てられた事を意味していた。
本来ならば長女である私がフロランと婚約するのが筋なのだが、無論あの悪魔の如き継母が許す訳がない。社交界への参加を継母に禁止されて久しく経つし、ジゼル・ブランジェは病気で伏せているという噂話が社交界ではすっかり広がっているらしい。
身体の弱い姉に替わって、健気な妹がフロラン・フィリップと婚約しブランジェ家の繁栄の為に尽くしているという捏造だらけの美談が世間では囁かれている。
❁❁❁
「今日の仕事はこれで終わりね」
穏やかな昼下がり、ブランジェ家の敷地から外に出て変装をし、新作のコスメの完成品を確認し終えた私は、噂話で満ちている下らない街をそそくさと後にした。
因みに、私が設立した化粧品会社は数年前から軌道に乗り、王族や貴族階級からも注文が入るまでに成長を遂げた。
ブランジェ家よりも利益を上げる様になったのは去年の事だ。というのも、父親が継母に現を抜かし過ぎて事業が疎かになり続けたせいで、ブランジェ家は没落貴族寸前の所まで来ているのだ。
名ばかりの父親と母親がティファニーとフロランの婚約を急いだ背景には、ブランジェ家が存続の危機に瀕しているという実情があるからだろう。
わざわざティファニーの婚約相手をフロランにしたのは、単なる継母による私への嫌がらせだろうけど。
「ふふふ、没落貴族なんて笑っちゃうわね、ざまぁみなさい」
お姫様になるはずなのに、どんな悪役よりも悪役らしい不気味な笑い声を響かせた私は、食糧を保管している街外れの森の小屋にやって来ていた。
ここは、お母様が生前、この森を通る騎士や旅人が休める様にと建てさせた小屋だったと聞いている。「そんな一銭にもならない慈善活動なんて辞めてしまいなさい」とあの心醜き継母の一声でこの小屋は本来の目的を失ってしまった。
だから私が、食糧の備蓄に利用している。例え全てをあの継母に奪われようとも、お母様が大切になさっていたこの小屋だけは守りたいのだ。
小屋の扉を開けて中に入った私は……。
「ぎゃああああああああ」
飛び込んできた光景に可愛らしさの欠片もない叫び声をあげた。
何故なら、血を流している男が小屋の壁に凭れかかっていたからだ。
だ、だ、誰!?!?幽霊!?!?私の大切な小屋が殺人現場みたいになってるんだけど!?!?
視界に飛び込んできた情報量が余りにも多くて、頭の処理が追い付かない。戸惑いを隠せないでいると、不意に壁に身体を預けていた男性が俯いていた顔を上げてこちらを見た。
そして私は絶句した。その男性がそれはそれは麗しかったからだ。
もう私のタイプど真ん中な顔立ちをしている。途端に流血すらも芸術に見えて来た。
「だれ?」
いやこっちの台詞なのよ。開口した相手に胸中で言葉を返した。
そんなことより声まで色っぽいときたわ。何この人、足滑らせて天界から落っこちて来たのかしら。
ブロンドの前髪から覗く碧色の透き通った双眸で私を射抜いている相手は、顔色が悪い。出血が原因なのは火を見るよりも明らかだった。
「この小屋の管理をしている者よ、その怪我はどうしたの?」
「馬に乗ってたらボーっとしてて落馬しちゃった、落ちた先に太い木の枝があって刺さった。たまたまこの小屋を見つけて、休んでた」
これがイケメンじゃない人間だったならば、はぁ?馬鹿じゃないの?自業自得ねと呆れる所だけれど、今回ばかりは微塵もそんな気持ちにならない。
寧ろ、大丈夫かしら?痛くて辛いわね…なんて感情が湧き上がる。だって好みのお顔してるんだもの、仕方がないわ。
「大変、ちょっと見せて」
「痛いの嫌だ」
「すぐ終わるから」
「ん、ここ。脇腹のところ」
血で濡れている服を相手が捲れば、傷口が露出した。
木の枝は取れているわね、傷も大きいけど幸い深くまでは達してないから臓器は大丈夫そうだわ。
「これは痛いわね、少し待ってて」
戸棚に保管していた薬品と包帯を揃えて、再び怪我を負っている美形の元へと戻った私はすぐさま患部の手当てをした。
「はい、おしまい」
「どうしてそんなに手馴れているの?」
「母に教わったの、怪我をした時に周りに人がいなくてもちゃんと処置できるようにって」
教わったのはこれだけじゃないんだけどね…。まさかお母様から教わった事がこんな所で活きるだなんて思いもしなかった。
「それよりも、怪我の処置が優先だったから聞き流したけど馬に乗っててボーっとするって何事?助けも呼ばずにこんな小屋で血を流したままでいるなんて…もっと自分を大切にしなさい!」
美形なんだから。国の宝レベルの美形なんだから。何が何でも生きて貰わないと困るわ。
怒気を含んだ声で放った言葉に対して、相手は目を大きく見開いた後に瞳をキラッキラに輝かせながら、殺傷能力高めの美しい笑みを湛えた。
「俺、誰かに叱られたの初めて」
「え?」
「嬉しい」
「はい?」
「𠮟ってくれるって事は、俺に関心を持ってくれたって事でしょう?」
「それはそうだけど…」
何か、この美形随分と変わり者じゃない?全然良いのよ?美形だから何しても許されるんだけど、言動がずっと斜め上を通過してる気がする。
初めて出逢う珍妙な人間に戸惑いを隠せないでいると、あろうことか目前の美形が抱き着いて私の胸に顔を埋めた。
「#%☆!?※」
見事な不意打ちを決められ頭の中が真っ白になる。
フロランの為に大切に守り抜いた胸のファーストタッチを見ず知らずの男に奪われてしまった。
受け入れがたい現実に絶句している私を視線だけ上昇させて碧色の瞳で捕らえた相手は、無邪気に唇に弧を描いた。
「助けてくれてありがとう、俺の女神様」
色っぽい声に乗せて台詞を落とし、私の手を取って手の甲に口付けを落とした彼に、世界一美形に弱い単純な私の心は大いにときめいたのだった。
これは夢?それとも神が私にくれた褒美?どっちにしろありがたく堪能させていただきます!!!
今までの自分の人生ではありえない降って湧いた様なシチュエーションに遠慮なく浸っていると、外から馬車の走る音が聞こえて来た。
「あ、迎えだ。行かなくちゃ」
「え、まだ血がちゃんと止まってないのに大丈夫?私が外までついて行くわ」
「ううん、良い。仲間があんたを見て惚れたら嫌だから外に出ないで」
まるで息をするかの様にさらりと私の心臓を弾ませる台詞を吐いた男は、傷口を抑えながら立ち上がり、心臓が爆発しそうになっている私の髪の束を掬って口付けをした。
「今日はありがとう、またね」
耳元に艶のある声でそう囁いた名も知らぬ美形は、ひらひらと手を振って颯爽と去って行ってしまった。
第2話【完】
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