二話 英雄 1
「……きて。起きてください」
甘い声。甘い匂い。
懐かしさばかりが去来してくる。小さなその手が揺する感覚が、俺を覚醒へと導いていく。
目覚めたくなかった。怖いから。
あんなのは全部、都合がいい妄想でしかなかったのかもしれないし。
あり得るはずがない。十七歳になった俺が、元凶を根こそぎ排除して……ファミリーのメンバーを守れたなんて。そんな都合のいい話が。
「えい」
毛布をはぎ取られた。寒さのあまり、思わず目を開く。
覗き込んでくる蒼い瞳。サファイアのような瞳は美しい輝きを灯しながら、優しくこちらを確認していた。
「おはようございます、アスカ君」
「……シャルル……い、いや、博士」
「シャルルでいいですよ。……その、ワタシ達、恋人同士だったんでしょう? なら、アスカ君はそっちの方が自然だと思いますし」
「いや。今の君とは恋人じゃない。だから、まだ博士で」
「……ん。分かりました」
彼女は少しだけホッとしたようだった。そりゃそうだろう。そんな記憶もないのに恋人として振る舞われても、考えても微妙な気分になる。それに、これから、二人の時間はいくらでもあるんだ。
念のため、訊ねてみる。
「……月の宇宙怪獣はどうなった?」
「すべて掃討できました。つきましては、最大の功労者であるアスカ・リンドウに、月から勲章が授与されます。授賞式に呼びに来たんです」
「あー……そういえば、そうだったな」
あれから、さすがに魔力を消耗し過ぎたのか、泥のように寝ていた。月への補給物資なども積んだこの戦艦は温かく迎えられて、気分が良かったとケイは眠い俺にそう話していた記憶がぼんやりと浮かぶ。
かれこれ三日間は起きては便所行って水飲んで寝ての繰り返しだったからな。
にしても若い体は凄いな。無限に寝れる。やっぱ十年も若いと体力が違うわ。
「正装の方です。着方は……大丈夫ですか?」
「ああ。ありがとな、博士」
ぱっぱと着替えていく。正装は慣れてないんだよな。このネクタイが曲者で……。
ズボン脱いで履いて、白いシャツを着こみ、上にジャケットを。そしてネクタイを襟をあげて……くそ、難しいな。
そんな俺を見て、苦笑している博士。
「椅子に座ってください。ワタシがやりますよ」
「あ、ああ。すまない。いや、実を言うと、何回か着た時も君の手を借りてしまったんだ」
「……嬉しいんです。ワタシの手は、殺戮の機械しか作れないって思ってましたから。でも、こうして……ふふっ、お手伝いできて、何だか楽しいです!」
「……そっか」
あんなにも苦戦していたネクタイはあっという間に出来上がってしまった。さすがシャルルだな。結び目も完璧だ。
その手一つでどんなものでも生み出してしまう、魔術師とは本来こういう人間のことを言うべきだと思うんだが。
ぽむ、と軍帽を乗せられる。この軍服はドイツの正装を元に作られたリメイクデザイン。俺達パイロットのジャケットカラーは一般兵のグリーン、エース格のブルー、隊長格のレッドがある。今俺が着ているのも、緑色だった。
だが、彼女が手にしているのは――
「俺のサイズだけど……そのジャケットは?」
淡いピンク色のカラーの軍服には、見覚えがあるけど。
「月での隊長格なんです。月の軍服は全体的に淡い色をしているんです。一般なら黄緑、エースは水色、隊長はピンク。月は警備が厳しいので、その厳めしいイメージを脱却するためにこういう明るい色をしているんだそうです」
「なぜ俺に?」
「戦いは月側でも見られていました。体を張って、機体が融解するほどに懸命に戦ったアスカ・リンドウ殿に敬意を表し、月ではそういう扱いをすると。名誉ですよ!」
「……そっか」
ジャケットを脱ぎ、そのピンクのジャケットを着こむ。
「あ、そのジャケットの時はこの黒いシャツを……ネクタイも白の奴です」
「おい! それは先に言ってくれ!」
「だ、だって……」
「だってなんだよ」
「……お話する時間、もっと、欲しくて……」
「? 博士は俺のこと好きじゃないだろ? 別に」
「……人に、あ、あんなことを、しておいて! それを言いますか!? あ、あんなの、告白と同意義じゃ……!」
あんなこと? あんなことって何? ねえ、何?
思い出す。思い出せ俺。なんかしたっけか。いや、何かしたからキレてんだよボケか。考えろ、考えろ俺。ここで訊ねちゃうのはただの馬鹿だぞ! 何か、何かないのか!
…………。
「……………………俺、なんかしたっけ?」
「なっ!?」
ハイ馬鹿一名入りまーす。何十年経っても女心何て分かりません。無理だよ無理、現実を知ろうぜ。
彼女は真っ赤になって怒っている。やはり怒っても迫力がない。萌え萌えだ。しかし一度へそを曲げると、好物のグミキャンディーをプレゼントするまで口を利いてくれなくなる。ちょっとチョロいところも可愛い。
「わ、ワタシに、き、き、き……!」
「ああ、キスか」
「な、何で平然としてるんですか!」
「そりゃ俺は初めてじゃないし……」
「ああ、もう! ワタシは初めてだったんですよ! それで一発で意識しちゃったんです! 文句ありますか!?」
「シャルルたん萌え萌えだー」
「頭を撫でるなぁぁぁぁ――――っ!」
猫のように激しく怒る彼女をなだめること五分。
「……」
「怒るなよ」
「怒ってないです!」
「いや怒ってるじゃん」
「怒ってません!」
「はいはい。……じゃ、お詫びに、月の公園にデートでも行かない? クレープ奢るよ。あるかわかんないけど、君が一番好きだったフルムーンクレープをご馳走するよ」
「……。三個」
「食べ過ぎだろ」
「いいんです! はい、できました!」
何だかんだ、きっちりネクタイまでやってくれた。感謝しかない。
「じゃ、終わったらすぐ行こう。一度着替えに戻ってるから、俺の部屋でも自分の部屋でも……」
「こ、ここで待ってます。あ、会場は月のオルタムホールですが……羽鳥さんがバイクで送ってくれるそうです」
「ああ、分かった」
着なれない、少し重い服の感覚に戸惑いつつも、俺は部屋を出て、会場に急ぐ。
外に出ると、すぐにフロートバイク――航空車がこちらを待ち構えていた。ヘルメットを投げ渡される。
「おはよ! 早く乗って!」
「あ、ああ。ケイは?」
「先行ってるって。何か、野郎の背中になんてしがみつきたくないだろって言ってたけど、そう言うもん?」
「まぁ、どうせしがみつくなら可愛い女の子の方がいいけど」
「ふーん。ケイもそうなのかなぁ」
「今度乗せてやったら?」
「君の感想を聞いてからにするね、竜胆君」
竜胆君と呼ばれるのが、少し違和感。前は飛鳥と名前呼び捨てだったので、何とも言えない微妙な気持ちになる。なんか、血縁関係ある人間が唐突に他人になったようで。
ヘルメットを被って後ろに乗り、腰に手を回す。何だか柔らかな感触がする。ケイの体とは比べるまでもないが……。というか腰ほっそ。食べてるのかな、姉さんは。
「おっけ」
「んじゃ、飛ばしていくわよ!」
まさか本当にかっ飛ばすとは思っておらず。非常識的な速度で進んでいった航空車はものの十分程度で会場まで着いてしまった。
そこから、仰々しい軍服連中やスーツ姿の人間がお出迎え。あれよあれよと俺はフラッシュが焚かれる中、勲章を授与される運びとなった。
女王――少女のような女性が現れる。いや、実際少女だ。確か、今年で十六歳。今の俺の一個下だ。
それなのにあふれ出る高貴さと雰囲気はまさに大物のそれで、物腰穏やかな話し方も、白い肌も、白髪も、何もかもが気品で溢れていた。
「この度は、フルムーン王国を守っていただき、誠に感謝を申し上げます。このアルナ・ティル・フルムーンの名において、アスカ・リンドウ殿を騎士の長として任命します。これからもこのフルムーン王国を、地球を、火星を、そして平和を――守ってくださいますか?」
「冗談じゃない」
俺の発言にざわついたが、彼女が腕を上げると、ざわめきが収まった。何故そうしたか。それは俺の顔が笑顔のままだったからだろう。
「そんなの任命されなくても、自分は愛する者のため、その人が愛する地球、火星、月のために戦い抜く所存です、ミス・アルナ。見くびってもらっては困ります」
「……英雄の温かきお言葉、心より喜ばしく思います。中々、度胸がおありですね」
「そうじゃないとパイロットなど務まりませんので」
「確かに」
クスクスと彼女は笑う。それにつられて、観客も拍手を行った。
勲章が、アルナ姫の手によって胸に付けられる。
「気に入りました。大胆不敵ではありますが、礼儀は弁えている。そして何より、心からのお返事と覚悟を下さいました。アスカさん……とお呼びしても?」
柔らかだがどこか強気な瞳をしたアルナ姫に、俺も微笑みを浮かべて応じる。
「光栄です、アルナ姫」
「では、アスカさん。今度お食事にでも参りましょう。月の料理にご興味は?」
月の料理か。過去に散々食べてるからなあ。一般的な地球人の知識としては……。
「それでは有名な月ウサギのローストなど頂きたく」
「王道ですね。美味しい店を手配しましょう。是非、友人や恋人などをお誘いくださいな」
「寛大なお言葉、痛み入ります。親しい友人を連れますが、作法には目を瞑って頂きたく……」
「ふふっ、いい機会ですのでお勉強してくださいな」
そう来るのか。意外とアルナ姫は教育ママになりそうだな、なんだか。
そんな想像をしながら、敬礼をして見せる。
「これはやられました。鋭意努力します」
「結構」
アルナ姫はそう微笑みながら、その場を仕切り、解散の運びとなった。
魔術戦艦ヘカトンケイル 鼈甲飴雨 @Bekkou
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