最終話 隣が君でよかった

 何度も扉に手をかけた。

 何度も歩いては立ち止まった。

 宛もなくただ歩く、玄関に向かう。

 足取りは重く、数歩歩いては休み、歩いては休みを繰り返す。

 隣の部屋には彼がいる、扉を開け、数歩だけ歩いて隣の部屋に入る。

 たった、たったそれだけで私は彼の元に帰ることが出来る。

 だけど、約束をしてしまった。

 彼の妹に、夏休みの残りの時間をあげてしまった。

「馬鹿みたい」

 自分がどれだけ彼に依存しているかも知らずに、彼がいないと生きていけないのも知らずに。

 ご飯の味がしない、身だしなみも整えない、睡眠時間も起床時間も滅茶苦茶。

「全部…彼に合わせていたのね」

 3大欲求、衣食住、全て彼に見てもらうための材料に過ぎなかった。

「捨ててから、拾い直そうなんて…」

 なんて都合がいい話だろう、そんなことは起こらない。

 だって、彼には素敵な女の子がそばに居るもの。


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 中学3年の時、放課後の教室で彼女に初めて会った。

 むしろそこまで鉢合わせていなかったのが奇跡と言っていいだろう。

「あなたが獄街さん?」

 綺麗な瞳、それが第一印象だった。

「ええ、そうよ」

「ふむふむ…これは…」

 彼女は顎に手をやり、何かを思案するように呟いた。

「…?あの、なにか用事かしら」

「あ!ごめんね!用事と言えば用事なんだけど、獄街さんにじゃないというか、待ってる人がいるの!それで教室に来てみたら噂の獄街さんが居たからつい話しかけちゃって!」

 待ってる人?噂?

 まあ、噂なら幾らか聞いたことはある、どれも根も葉もない物で気にしていないし、彼に害もないから放っておいている。

「待ってる人というのは私に関係があるのかしら」

 そうなると、彼女の待ち人が私の噂をしている人なのだろう。大方噂好きの女子が聞きかじったものを流布させているのだろう、聞いておいてなんだが、私には関係無さそうだ。

「うん!というか、関係しかないというか」

 そう思ったのに、100%関係があるらしい。

 そんな人間、一人しかいないのに。

 そこでちょうど教室に人が入って来た。

「ごめん、お待たせ…え、満桜?」

「お兄ちゃん遅いよ!さっきお母さんから連絡があって急遽お店を手伝って欲しいんだって!」

 なるほど。彼女は彼の妹さんで、兄である彼を待っていたようだ。

「いきなりだなぁ…獄街さん、とりあえず帰ろうか」

「いいのかしら…」

 せっかく妹さんが迎えに来てくれているのに私と帰っていいの?私としては嬉しいのだけど。

「うん!せっかくだし、獄街さんもおいでよ!」

「「……え」」

 彼と私の声が重なった。

「おい満桜?その流れはまずい。間違いなく母さんが楽しくなってしまう」

「息子が妹以外の女の子を連れてくるんだもん!そりゃお母さんもテンション上がるよ!さあさあ、行くよ行くよー!」

 そこからはあっという間、あれよあれよと連れていかれ、成り行きで私も店を手伝うようになり、彼とその妹とも仲良くなった。


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 私みたいな人間に優しくしてくれる人がもうひとり居た。

 彼女からすれば兄を取られるかもしれない相手で恋敵、なのに友達として接してくれる。

 明るくて、笑顔が満開で、行動力があって、少し頭は悪いけど…誰よりも純粋に彼を愛している女の子。

 私のみたいに濁っていて彼に依存しているような女なんかより、よっぽど彼を幸せに出来るだろうと思っていた。

 なのに、なのにどうして…どうして私は今こんなにも嬉しいの?

『俺は、透と生きて行きたい』

 ほんの数秒前耳に届いた言葉、ずっと聞きたかったのにずっと怖くて逃げてきた言葉。

「ぇ…ぁ…どう、して」

 選ばれないと思っていた、選ばれるわけが無いと。

『ちゃんと顔を見て話したい。あけてくれないか』

 どの面下げて会えばいいのか、髪もボサボサで彼に会うためのメイド服も来ていない適当なパジャマ姿。

 目にクマもできていて、とてもじゃないが見せられる状態では無い。

「今は、無理」

『どのくらい待てばいい?』

 優しく、こちらを攻める気は無い声色。

 ああ、久しぶりだこの声を聞くのは。ずっと聞きたかった声。

 今すぐにでも扉を開けて抱きしめたい。

 だけどこのままじゃ会ったところで嫌われてしまう。

「……2時間」

 とりあえずそのくらいあれば準備出来るだろう。

『分かった…待ってる』


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 ガチャ

 部屋で待機していると玄関の開く音がした。

 ちょうど2時間、透だろう。

「…………」

 リビングに姿を見せると、所在なさげに突っ立っている。

「久しぶり、とりあえずなにか飲むか?」

「………飲茶」

「一般家庭にはないよ」

 点心も中国茶も日本のご家庭にはないだろう、少なくとも俺は聞いたことない。

「じゃあ、コーヒー」

「分かった、とりあえず座っててくれ」

 着席を促しインスタントコーヒーをいれる。

 2人分の飲み物を用意し、机を挟んで透の正面に座った。

 さて、ここからだ。

「さっきの言葉だけどさ」

「ええ」

「そのままの意味なんだ」

「そのまま…」

「うん、そのまま」

 俺は今から酷いことを言う、大半の人間からは信じられないと言われるだろう。

「結局、考えても考えても透の意外と一緒にいる未来が想像できなかった。もちろん満桜やひー姉も一緒にはいるんだと思う、だけどその一緒って今まで通りの家族や友人としてなんだ」

「どうして?」

「俺が、空っぽだからかな」

「どうしてそう思うの?」

「俺があの時透に残りの人生をあげるって言ったのは、それぐらいしかあげられるものが無かったからなんだ。抽象的で、口約束だからいつだって反故に出来てしまう。その程度のものしかあげられなかったんだよ、俺は」

 酷い話だ、自分勝手に渡しておいて渡したものに価値は無いと後で言っているのだから。

「そんな事ない!」

 今まで聞いたことの無い大声で透が否定する。

「どんなに空っぽでも私はそれに救われた!あなたにとって無価値でも、私にとっては何よりも宝物だった!」

「ごめん、言い方が悪かっ―――」

「ええそうよ!こっちがどれだけ酷いことをしても!どれだけ我儘を言っても!全部全部全部あなたは許してくれた!それに私がどれだけ救われたと思う!?どれだけ…私があなたに依存してたかわかる…?」

「いいや、分からない。俺たちはずっとお互いを理解しようとしてなかったから」

「…………そうね、お互い傷口を舐めあってただけだものね」

 理解はしていた、深く探らず表面上の態度でお互いを意識して、そんなぬるま湯が気持ちよくてずっと浸かったままだった。

 知ってしまったら失った時の傷が大きいから、居なくなった時の喪失感が大きくなるから。

 だけど

「分かった上で、もう一度だ」

「…え?」

「俺はこれから透と生きていきたい。これからって言ってもまだ高校生だからなんの保証もない。これじゃあ前回と一緒だ」

「そう、ね…なにも変わらないわ」

「だから変える、今回はあの時のやり直しだ」

 1度部屋に行き、置いてあった箱を手に取って戻る。

「水穏、それ…」

 通るの前に箱を置き、やり直す。

「あの時は襲われた後だったっけ…どうあれ責任はちゃんと果たさないとな。透、責任を取って残りの俺の人生を差し出す。代わりに、これを受け取ってくれないか」


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 差し出された箱を手に取り開けてみると、そこに入っていたのは銀色の指輪。

「これ…なんで…」

「お互い話し合わないといけないことが沢山ある。だけど、今の俺たちが話し合う為の期間を繋ぐものは言葉だけじゃダメだと思った」

「こんな、なんにも無い私でいいの?」

「俺だって何も無い」

「あなたを襲って、責任を取らなきゃ行けないのは私なのに」

「責任くらい、いくらでも一緒に背負うよ」

「私はあなたに好きになってもらえる人間じゃない」

「好き嫌いはまだ分からない」

「ならどうして私なの?」

「透と居たいって思ったからだよ」

「理由になってないわ」

「そうだな、それはごめん。だけど、これから探して必ず答えを出すよ」

「今回みたいにまたヘラって消えるわよ」

「出来るだけそうならないようにするし、またなったら何度だって迎えに行く」

「嫌いにならない?」

「なれない…いや、ならない。絶対に」

「抽象的ね」

「だから指輪を渡したんだ、俺はまだぼんやりとしてるから」

「私は―――」

「透」

 そっと、抱きしめられた。久しぶりの温もり、私の大好きな場所。

「透は嫌か?俺と生きるの」

「そんなわけないじゃない」

「透は俺のこと好きなのか?」

「ずっと言ってるじゃない、大好きよ。愛してる」

「ごめんな、ずっと待たせて、これからもまだ待たせることになりそうで」

「ほんとよ、私以外なら呆れられて捨てられてるわよ」

「必ず答えを出すから」

「待ってる。だから私の人生半分貰って」

「有難く頂戴するよ」

「どうして、あの子たちじゃなくて私なの」

 我ながら嫌な女だと思う、我儘を並べてほかの女の子を持ち出して安心しようとしている。

「安心するんだよ、透が隣にいると」

「そう…私もよ」

「おかえり、透」

「ただいま、水穏」


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 人生山あり谷ありとは言うが、人それぞれだろう。

 運悪く家族を亡くし、感情を無くす子もいる。

 運悪く親に捨てられ、周りに疎まれた子もいる。

 特に嫌なことは起こらず、幸せに毎日暮らした子だっているだろう。

 だけど結局、終わり良ければ全て良しと言われるように、最後に幸せであれば本人は満足だろう。

 私の大好きな人はどうだったのだろう、幸せに生きて、幸せに死ねたのかな。

 私も、幸せに死ねるのかな。

 ううん、私は幸せだ。お兄ちゃんがいて、お母さんが居て、親友がいて、姉のように慕える人がいた。

 人から見れば狭いのかもしれない、だけど私から見たら十分な幸せだ。

「……透ちゃん」

「………満桜、彼は幸せになれたのかしら」

 もう何年も何年も着続け、何度も直されているメイド服。

 その背中はあの頃から変わっていない。

 私の好きな人がいつも見ていた背中、私の好きな人の隣にあった背中。

「当たり前よ、お兄ちゃんは幸せだった」

「そう、だといいわね」

 私は1つの便箋を取り出し、手渡した。

「これ、お兄ちゃんに最後に会った時渡されたの。もし俺が先に死んだら渡してくれって」

「……読んでもいいのかしら」

「大丈夫だと思う」

 透ちゃんは中に入っていた手紙を広げ読み始めた。

 私も並んで横から読む。

『これを読んでいるということは、俺は先に死んじゃったんだね。

 寂しい思いをさせてごめん、だとすれば精一杯の思いをここに綴るのが一番の恩返しと謝罪になるかな。

 透と初めて会った時、目の前で人が死ぬんじゃないかって怖かった。とにかく死なせちゃダメだと思って必死で病院までついて行っちゃったり、まさか輸血することになるなんて思いもしなかったよ。

 文化祭前日に起こったことは衝撃だったね、だけど透が踏み出して無ければ俺たちは何も無く自然と消えてしまっていたかもしれない。

 そういう意味ではあの時のことは有難かったのかもな。

 高校1年の夏休みには透が居なくなって、凄く寂しかった。あの時はとにかく透と一緒にいるためにはどうしたらいいか必死に考えたよ。

 それまでの過程で俺たちはお互いを深く知ろうとせず、居心地の良さに甘えて共依存してた。

 だけどここからが始まりだったね。

 高校生活でお互いの好きなところとか、嫌なところ、趣味や考え方の擦り合わせが何度もあった。

 そこで痛感したよ、どれだけお互いが知ろうともせず、妥協しあっていたか。

 その甲斐あってか大学に入ってから同棲し始めたらすごく上手くいっていたと思う。

 透も料理をするようになったし、俺も段々と楽しいとか分かるようになってきた。

 どれもこれも透が居ないと出来なかったことだらけの大学生活だった。

 お互い単位取り終わったあとは結構だらけてた気もするけど…。

 お互い仕事はどうするか話し合ったりもしたね、透はお金を持ってたけど、俺はどうしようってなって…最終的に母さんの店を継ぐ形で就職するとは。接客を楽しいと思えたのも透や満桜のおかげだよ。

 経営なんて初めてだから母さんに教わったりしてとっても苦戦した。

 だけど家に帰ると透が居てくれて、嬉しかった、幸せだった。

 結局俺たちに子供は出来なかったけど、色んな動物を飼って楽しかったね。

 俺はチンチラのわたあめちゃんがお気に入りだったよ。

 さて、ここからが本題だ。

 透、何十年も一緒にいてくれてありがとう。結局君に好きだって言えたのは結婚式の前日だった。本当に待たせてしまってごめん。

 言い訳みたいだけど、ずっと透が隣にいてくれることが嬉しくて、好きって言うと区切りが着いちゃうんじゃないかって怖かったんだ。

 でも透は喜んでくれた、俺の大好きな笑顔で「私も好きよ」って言ってくれて嬉しかったよ。

 それからは好きだと思ったらちゃんと伝えようって心がけて過ごしてきた。

 喧嘩した時だって、仲直りの旅行に行った時だって、どんなに些細なことでも透に気持ちを伝えて来たつもり。

 透、満桜、ひー姉、母さん、今まで俺に関わってくれた人が思い出させてくれた感情を大事にして生きてきた。

 今、透はどんな気持ちですか?寂しい思いをさせていると思う、辛くて悲しい思いをさせていると思う。俺のように感情を閉じないでいて欲しいと願ってる。

 だけどこれだけは伝えたかったんだ。


 隣に居てくれたのが透で良かった。


 しばらく寂しい思いをさせると思うけど、周りを頼るんだよ。今の透ならそれが出来るから。

 それじゃあ、行ってきます。

 またお帰りって言わせてください。


 椎名水穏』


「わ、たし、幸せだったよ…」

 震えた声で透ちゃんは空に向かって声を投げる

「私こそ、幸せで、楽しくて…辛いことだってあったけど…それ以上に嬉しかった…!あなたの隣にいられて良かった………行ってらっしゃい」


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 お兄ちゃんが亡くなって1年後、同じ日に透ちゃんも亡くなった。

「まったく…置いていかれる身にもなってよ」

 今日は2人の命日で陽女先輩とお墓参りに来ている。

「みーくんも、透ちゃんも会えたかな」

「会えてると思いますよ…2人ともラブラブでしたから、何十年も。ずっと好きって言えなかったとは思えないくらい」

「まだ妬いてる?」

「そんなことは無いですよ…ただ、私が隣にいる未来もあったのかは気になりますけどね」

「ブラコン歴が還暦迎えそうだね」

「まったくですよ…さて、また来ます。またね、お兄ちゃん、透ちゃん」

 2人の遺影をお墓に立て掛け手を合わせる。

 そこに写っているのは穏やかな笑顔の2人。

「今頃天国でまた二人でいるんでしょうね…」

 陽女先輩と2人でお墓に背を向け私たちは帰る。



『おかえり、透』

『ただいま、水穏』


 隣人はメイド服 [完]


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 あとがき

 初めまして、Handakuonと申します。

 初めて小説…と呼べるかは怪しいレベルの文章を書き連ねてみました。

 読んでくださる方は限りなく少なかったですが、私としてはとても楽しく書いてました。

 視点の切り替わりとか、どこで話を区切るかとか右も左も分からず色々変えながらなんとか最後まで書けました。

 終わらせ方だけは決めていたので、最終話までの持っていき方だけ悩みました。


 少し話は変わりますが、私は物語の終わりは主人公の死という形がいちばん綺麗だと思うのです。

 他の終わらせ方を否定するつもりは全くありませんし、私が書くとしたらって前提のしょーもないこだわりですね。

 執筆者がお話を書き終えても主人公が生きているのならば主人公の物語って終わらないのではと思います。

 もちろんそれ自体夢のある話で、読者に想像の余地があってとっても素敵だと思います。

 ですが私はちゃんと終わらせたかったのです。

 まあ、死後の世界だの天国だの言い始めたらもうなんでもありなので私は現実での死を終わりとしました。

 書き終えた今とてもスッキリしております。


 さて、1つ物語を書き終えたので次を描きます。

 マイペースに書かせていただいているので時期は年末〜年明けスタートかなと。

 次はバトルシーンを書いてみたいなと思っておりますのでお時間よろしければ読んでいただけると嬉しいです。


 それでは、またお会いできたらと思います。

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隣人はメイド服 @Handakuon

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