第22話 「行ってきます」

 何故、彼女に残りの人生を差し出したのか

 何故、俺はそうしたいと思ったのか

 何故、そこまでしたのに他の人への態度をなあなあにしたのか

 答えは単純、怖かった。

 人と親しくなることが、親しくなった人を失うことが。

 目の前で死んで行った母に重なってしまうから。

 だから、目の前で痛めつけられる彼女の事を見て見ぬふりなんて出来なかった。

 人と仲良くなることが怖い、そんな俺が差し出せるものは概念しか無かった。

 残りの人生なんて曖昧なもの以外渡せるものなんてなかった。

 それくらい自分が空っぽなのだとあの時自覚した。

 だけど、彼女は喜んでくれた。

 何も無い自分の、何も無い残りの人生。そんな空っぽの器で彼女は喜んだ。

 だから俺は、彼女に依存した。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 何故、私は彼の人生を受け入れたのだろう

 何故、私はそうしたいと思ったのだろう

 何故、そこまでしてもらったのに不安になるんだろう

 答えは単純、怖かった。

 親に捨てられ、ろくに親しい人を作らずに生きてきた。

 親しい人の最たる親でさえ子を置いて消えてしまうのだ。

 そんな私は価値がないのだろう。

 見た目を意識して、外見だけは整えた。

 だけど中身は伴わなかった。

 私に大切なものなんてない、私を大切にしてくれる人なんていない。

 だって、私には何も無いんだから。

 近づいてくる男はろくに話したこともないのに可愛いからと口説いてくる。

 吐き気がした。中身を見る事無く箱の中にある綺麗な宝を欲する。

 浦島太郎はその結果おじいさんになったのだ。

 大切なのは中身。空っぽの私だから分かる。

 だから、彼に助けられた時でさえ人を信じられなかった。

 傷つけられた私は痣や刺傷で外見でさえ綺麗じゃなかっただろう。

 だと言うのに彼はあの女どもから助けてくれただけでなく、輸血し私の命を助けた。

 そして私の居場所になってくれた。

 中身のない私にとって唯一の居場所。

 私は自らそこを出ていった、もう戻れないと覚悟をした。

 だけど無理だった。日に日にストレスは溜まり、吐き気が襲ってくる。

 ああ、私はこんなにも彼に依存していたのか。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 夏休み最終日になった。

 満桜の話だと、夏休みの間は俺と満桜が2人で過ごせるように出ていくと言っていたらしい。

 じゃあ透はどこに出ていったのか。

 毎日送られてきていた各地の写真、これがヒントになるだろうと頭をひねりながら考えたが、法則性らしい法則性は見当たらなかった。

 強いて言うなら移動に無理のない場所、例えば沖縄の写真が送られてきた次の日に北海道の写真が送られてきてはいない。

 広島の次は岡山、その次は大阪など近隣の都道府県に移動している。

 だから最初は遠い場所から徐々に自分たちの住む関東に戻ってきているのかと思っていた。

「うーん…」

 だけど静岡の次は青森だった。ここだけ急に移動したのだ。

「というかここはどこなんだよ...」

 秋田の次に送られてきた写真はよく分からない田舎の風景だった。

 送られてきた時は東北の方なんだろうなと流していたが、ふと気になったので写真を保存してネットで画像検索をかける。

「いやでもこんな田んぼの風景田舎ならそこそこありそうだしなぁ…」

 期待せず結果を見てみると案の定似たような田んぼの映った風景が大量に出てきた。

「まあそれはそうか……これなんか似すぎじゃない?こんなに似た風景あるんだ」

 遠くに山が見えて、田んぼがある景色なんて山ほど出てくる。これから特定なんてかなり日本に詳しくないと無理だろう。

「いやほんとこれ何県なんだろ…あ、これも似て…え?」

 1枚の画像が目に留まった。

 似てる、間違いなく。というかほぼ一致している。

 影の向きや長さを見ても時間や季節が一致しているように見える。

「そんな事ありえるのか…?いやでも、まさか…!」

 試しに他の写真も保存して画像検索にかけるとさきっと同様時間も季節も一致している画像が出てきた、つまり。

「透は写真の場所には行ってない」

 じゃあどこに?出ていったとはなんだったのか。

 そもそも夏休みの間満桜に時間をあげたのだから戻ってくるとしたら今日のはず。

 昨日送った会いたいという連絡には既読だけついて返信が無い。

 会うつもりは無いのか、それとも何らかの理由で会えないのか。

「それは…やだな」

 ずっと一緒に過ごしてきた人を失うのはやっぱり怖い。これ以上踏み込んで透を探し出したとしても拒絶されたらと思うと動けないでいる。

 そうして数分頭を悩ませていると電話が鳴った。

『もしもしみーくん今大丈夫?』

「大丈夫だよ、何かあった?」

『…何かあったのはそっちでしょうに』

「え?」

 ひー姉はまるで俺が今、何かに悩んでいることを察したかのように喋る。

『満桜ちゃんから聞いたんだよ、お兄ちゃんが歩けるようになったよって。だから助けて欲しいって、泣きながら言ってた。…決めたんだね?』

 本当に兄想いな妹を持って俺は幸せ者だ。

「うん、決めた。ひー姉もごめん。」

『いいんだよ、あたしは……ううん、何でもない!それより解決策は見つかりそう?』

 俺は気づいたことと思ったことをそのままひー姉に話した。

「そういう訳で、透がどこかに出かけた訳じゃなく適当にネットから画像を漁って毎日出かけたと装ってるかも」

『なるほどねー、じゃあ今はどこにいるか悩んでるところかな?』

「あー、うん」

 とは言うものの、ほとんど検討はついている。

 じゃあ何を悩んでいるのか。

『ダウト。さっさと乗り込んで決着をつけて来なさい』

「……俺が気づいていて動かないみたいな言い方するね」

『気づいてるけど動けないの方が正しいんじゃない?』

 全くもってその通りすぎてぐうの音も出ない。

『……聞き方を変えるよ。みーくんはさ、透ちゃんのこと好き?』

「………。」

『怖いよね、自分の気持ちを決めちゃうのって。そう決めてしまったらもうそうとしか捉えられなくなりそうで』

 俺の姉さんはどこまでも弟思いなんだろう。

『特にみーくんはそれを避けて生きてきた。お母さんの事があったから。それは仕方がないし、怖いって言ってもそれを責める権利は誰にもない』

 俺の気持ちを察していつも俺が話しやすいように、動きやすいように道を整えてくれる。

『だからみーくんは優しくなれたんだよ、誰に対しても分け隔てなく接することが出来た。好き嫌いがないから。これは他の人にはできない凄いことなんだよ』

「俺はそんなに褒められるような人じゃ―――」

『あたしの弟は、誰かを傷つけないために自分を犠牲にできるとっても優しい子なんだ!だけどもうそれも終わり、ここからは自分と大切な人の為に残りの人生を使ってもいいんだよ』

「ありがとう……ありがとう、ひー姉」

『もう充分苦しんだんじゃないかな?あたしはみーくんじゃないから気持ちはわからない。みーくん自信にも分からないかもしれない。だからあたしが代弁してあげる、図々しくなってあげる。今だけはSNSに蔓延る他人の気持ち代弁マンだよ!』

「締まらないなぁ…」

『みーくんは頑張った!今までよく耐えた!お姉ちゃんが保証してあげる!だから…だから行ってらっしゃい、次会った時にはいっぱい頭を撫でてあげるから!よく頑張ったねって、いっーぱいっ!』

 なんて青臭いのだろう、なんて恥ずかしいことを言うのだろう。

 俺の冷めた心はそう思う、と思ったのに。

 熱くて、暖かくて、心臓の音がする。

 自分の心臓の音ってこんな音だったんだと未だ残る冷静な部分が冷やかしてくる。

 だからこそ、こう返そう。

「うん、行ってきます…姉さん!」

『…っ!うん、行ってらっしゃい!』


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 インターホンが鳴る。

 ここ暫く、インターホンがなるのはデリバリーか宅配便の人が来た時だけだった。

 毎度毎度彼がいないと気を見計らって出かけたり配達を頼んでいた。

 だけど今日は何も頼んでいない、誰も来るはずは無い。

 壁にあるモニターを見ると、そこに居たのは彼だった。

「なん、で」

 物音は立ててないはず、配達もいないタイミングで、洗濯機だって動かしてないし、ベランダにも出ていないから私がここに居るのは気づかれていないはずなのに。

「気付いたのね…」

 適当にネットで拾った画像を送ったのがダメだったのか、はたまた他の理由で気づかれたのかは分からない。

「………はい」

 観念してマイクをオンにする。今日帰ってきたと誤魔化せばいいだろう、疲れたと言えば無理に会おうとはしないはず。

 だって彼は人に踏み込むことを恐れているから、私と同じで。

 だと言うのに。

『透に会いたい』

 たった一言、文字でも見た言葉。

 それを耳から聞くだけで泣きそうになる。

「…今日帰ってきて疲れてるから、無理」

 お願い、帰って。私を揺さぶらないで。

『どうしても、ダメか?』

「満桜にでも相手してもらいなさい。夏休みで仲良くなれたでしょ、兄妹以上になっててもおかしくは無いわね」

 思ってもない言葉で自分を痛め付ける。

 本当は嫌だ、彼と一緒にいたい。だけど私は誰にも好かれないから、彼から捨てられるくらいなら自分から投げ捨てたと思い込む方がいい。

『満桜とは決着を付けた。俺は満桜を選ばない』

「え……」

『俺は、透と生きて行きたい』

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