第21話 抜け殻の決意

 透が帰らなくなってから数日が過ぎ、明日で夏休みも終わる。

 夏休みの課題のやり残しがないか確認しているとインターホンが鳴った。

 インターホンを鳴らした主は鳴らすだけ鳴らしてそのまま部屋に上がり込んできた。

「やっほーお兄ちゃん!今日も来たよ!」

「今課題の確認してるから待っててくれ」

「可愛い可愛い妹の願いが聞けないというの!?」

「まだ何一つ願いは聞いてないけど?」

「結婚しよう!」

「階段も段階も過程も家庭もすっ飛ばすな」

 透がいなくなってからというもの代わりと言わんばかりに満桜が家に来る回数と時間が増えた。

 家に来ること自体は別にいいんだけど…

「お兄ちゃん、調子は?」

「ん?…いつも通りだけど」

 何故かしきりにこちらの体調やらメンタルを心配してくる。これも以前までは見られなかった。

「うんうん!いい事だね!」

 そして何故かやたらと元気。

「お兄ちゃん今日はね―――」

 なぜ入れ替わるようにして家に来る回数が増えたのか、様子を気にするのは何故か。

「―――という訳でゲームの気分なんだけど、透ちゃんとならどう過ごす?」

 何故、透ならどうするか、透と俺ならどうするかを気にするのか。

 夏休みももう終わり、二学期が始まる。

 二学期には学園祭、クリスマスとイベントがたくさん行われる。

 今の状態を引きずるのは良くない、それは間違いないだろう。

「なあ、満桜」

「なんだいお兄ちゃん?」

「透の代わりにならなくてもいい」

「……なん、の、ことかなー?」

「誤魔化すには流石に無理がある。透の事、何か知ってるのか?」

「…………知らない、何も」

「じゃあ最近の行動はどうしたの?」

 満桜の頭を撫でながら、優しく諭すように話しかける。

 数分、満桜は悔しそうな顔で撫でられ続けやっと口を開いた。

「この前の旅行で透ちゃんに言われたの」

「満桜が俺にキスマークつけようとした時?」

「うん。この後の夏休みはあなたにあげるって」

「あげる?」

「多分言葉通りで、今の状況のことだと思う。透ちゃんが一時的にお兄ちゃんから離れて、私と過ごす時間が増えてるもん」

「確かに」

「じゃあ、何が不満だった?」

「不満じゃないもん」

「そんなに不服そうな顔してちゃ説得力がない」

 満桜は時折悔しそうな顔をしていた。

 それがどこから来るものか、どこまで根の深いものかは分からない。

「こんな顔したくてしてない」

「笑えない?」

「笑えない」

 どんどん満桜の顔が歪んでいく。

「話せる?」

「いや」

 ここまで頑なに話そうとしないのは珍しい。それこそ出会った頃以来無かったかもしれない。

「何か出来ることはある?」

 言いながら無力さを感じていく。お兄ちゃんなのに何も出来ない自分に対して。

「何も…しないで…」

「できないじゃなくて、しないで?」

「うん」

 俺が何かすればこの状況は変わるのだろうか。

 だけど今の俺には何をすればいいか分からない。

「お兄ちゃんはさ、好きって何かわかる?」

「…ううん、分からない」

「好きってね、大変なの」

 満桜は下を向き話を続ける。

「好きになると周りが見えなくなっちゃうの。お兄ちゃんのことを目で追っちゃうし、近くにいるといい匂いするし、話すだけで楽しくなっちゃう。連絡来るだけで嬉しいし、いつだって声が聞きたいし、触れていたくなって止まらなくなる。」

 手を取られ、指と指を絡め合う。いわゆる恋人繋ぎ。

「こうやって触れて、手を握るだけで私すっごくドキドキしてる。お兄ちゃんはどう?」

 満桜の手は少し震えていて、表情も不安気だ。

 こんなにも俺にドキドキしてくれていて、懐き慕って何より想ってくれている。

 それなのに俺の心臓は―――

「ごめん、特にドキドキはしてない」

「…だよね、そうなんだよ。私じゃお兄ちゃんをドキドキさせられない。それこそ体を使って本能的なものに訴え掛けでもしなければ」

 ついには涙を流し、満桜は静かに言葉を吐き続ける。

「皮肉だよね…お兄ちゃんを何とかしたい、好きになってもらいたいって思ってる私じゃお兄ちゃんを動かせない。なのに、お兄ちゃんに変わって欲しくない、今のままでずっと居たいって思ってる透ちゃんの方がお兄ちゃんを変えられる」

 あまりにも情けない話、俺は2人と、母さんと、ひー姉と過ごせればいいと思っていた。

 人の輪を広げなければ失わないから。

 母の死がトラウマになっているのか、最低限の人間関係の中で生きていた結果が今だ。

 大切な人は離れ、家族を泣かせているのが結果、情けなさすぎて悔しさを感じることすら傲慢だろう。

「お兄ちゃんと過ごしててそこら中に透ちゃんの気配を感じたの。歯ブラシが置いてあったり、透ちゃん用の着替えを置くスペースがあったり。あまり減ってなかったけどシャンプーとかタオルもあった。ああ、ここには私じゃないんだなって。お兄ちゃんの隣は透ちゃんなんだなって思ったら寂しくなっちゃった。」

 ボロボロと涙を流し、話してくれている妹に俺は何も出来ない、資格がない。

 妹を追い詰めたのは自分自身でそんな人間が何をしてやれるのだろうか。

「お兄ちゃん…私はどうしたら良かったのかなぁ」

 何を言えばいいのだろう。何をしてあげられるだろう。

 いつものように頭を撫でる?それは余計に惨めな気持ちにさせるだけだろう。

 満桜の気持ちを受け入れる?それは最低だ。何よりお互いの気持ちが一致していないのだから。

 慰める、時間を置く、励ます…思いつく可能性は全て最悪だ。何も解決しない。

 悪戯に満桜を傷つけるだけになってしまうだろう。

 なら、するべき事は決まっている。

「満桜、ごめん。俺がちゃんと向き合うべきだった」

「お兄ちゃん…?」

「ずっとなあなあで過ごしてきたけど、それは2人に甘えてただけだったんだろうな」

「ううん、それは違う!私たちだってお兄ちゃんに甘えてたよ!」

「ありがとう…2人の望む結果にはならないかもしれない。それでも向き合わせてくれないか。今更虫のいい話をしてるのは分かってる」

 満桜に頭を下げる。昔満桜のアイスを間違えて食べて謝った時以来だろうか…あの時の満桜は怖かったな。

「私は良いよって言えない」

 返答は否定、それはそうだろう。こちらに都合のいいことしか言ってないのだから。

「勝手な事いっ―――」

「だけど」

 突然、下げた頭を柔らかく包まれる。

「お兄ちゃんが進むことを止める権利は誰にもないんだよ。だから、私は見守る。お兄ちゃんがちゃんと歩けるように、転んじゃったら立てるように」

 良い妹を持ったなと心の底から思える。

 それに比べると俺はダメな兄そのものなのだろう。だが、それを言い訳にはできない。

「ありがとう…透に会いに行ってくる。その結果どうなったとしても。少なくとも今のままじゃ何も変わらない」

 そしてちゃんと、自分の気持ちと向き合うために。

「うん…うん。お兄ちゃんなら大丈夫、私もお母さんも陽女ちゃん先輩もついてるから」


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 スマホが鳴った。

 水穏:会いたい、今どこにいる?

「え」

 会いたい?会いたいと言ったの?

「……」

 1度無視して画像だけ送り付ける。

 水穏:会って話しをしたい

 トーク画面では言葉で返信しない、電話も出ないから会いたいってこと?

 透:

 何かを送ろうとしたけれど何一つ送らなかった…送れなかった。

 怖い。今の水穏はどっちなんだろう。

 私は嫌われたのかな。

 もしそうなら私はもう二度と彼に迷惑をかけることが無くなる。

 それはいい事なのでは?

 いいえ、違う。

 何故?

 私は、彼に私を刻んで生きてきたから。だから、彼に嫌われた私を誰も救ってくれやしない。

 彼…水穏以外に救ってくれる人がいるかもしれない。


 そんなものは存在しない

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