この手の中の光

惣山沙樹

この手の中の光

 高校を卒業した俺は、すぐに就職した。うちには大学へ進めるほどの金はなかったのだ。

 父は俺が六歳、弟のれんがゼロ歳の時に交通事故に遭って死んだ。それから母は昼と夜、仕事をかけもちして俺たちを育ててくれた。

 俺は仕事が終わるとすぐにスーパーに行き、見切り品なんかに目をつけて献立を組み立て、夕食を作ることを日課にしていた。


「蓮、今日は焼きそばな」

「わーい!」


 蓮は小学六年生。俺と違って勉強がよくできて、将来は学校の先生になりたいと言っている、自慢の弟だ。


「兄ちゃんの焼きそば、ちくわがたくさん入ってて好きやで!」

「本当は豚バラがええんやけどな」


 母は既に夜の仕事、スナックに出かけていた。兄弟二人だけの夕食はすっかり慣れっこであったが、父が生きてさえいてくれたら、と思うことは何度もある。

 俺たちの住むアパートは、リビングの他に部屋が一つしかなく、そこに家族三人布団を敷いて寝ていた。俺が夕食の後片付けをしている間、蓮には寝床の準備をしてもらうようになった。


「兄ちゃん……お風呂一緒に入るよなぁ?」

「ええ、また? 蓮も来年には中学生やねんで?」

「だって、だって」

「まあええよ。背中流したるわ」


 父親がいないせいだろう。蓮は俺にべったりだ。流行りのゲームなんかは買ってやれず、同年代の子供と話が合わず、それで孤立しているのかもしれなかった。

 だから俺は密かに考えていた。蓮には夢を叶えてほしい。大学に行かせてやりたい。そのために、金を貯めて貯めて、貯めまくるんだ。


「兄ちゃんの背中ひろーい」


 蓮は石けんを泡立ててすりすりと塗ってくれた。今は小さいこの手も、いつかはたくましくなるのだろう。その日が待ち遠しい。


「はい、次は蓮な」

「えへへー」


 こんな日常のひとコマも、いつかは懐かしくなるのだろう。血の繋がりはあるとはいえ、兄弟なんていずれは離れるものだ。


「兄ちゃん、兄ちゃん、大好き」

「うん。俺も好きやで」


 このまま、穏やかに時が過ぎますように。そう思っていたんだ。

 風呂からあがってさっさと身体を拭いて着替え、布団に寝転んだ。電気代は気になるところだが、熱中症になってはシャレにならないので、クーラーはつけていた。


「兄ちゃん……もう寝るの? 明日休みなんやろ? 僕も夏休みやねんし」

「小学生ははよ寝ぇ。大きくなれへんで」


 むくれた蓮の頭をポンポンと撫で、電気を消した。このところ疲れがたまっていたので、眠りはすぐに訪れた。

 ところが。


「兄ちゃん! 兄ちゃん! おかしい! 僕のちんちんおかしい!」


 蓮がそうわめいている声が聞こえてきた。


 ――ちんちんおかしい? まあ、蓮もそういう年頃やもんなぁ……そういうことやろなぁ……。


 のっそりと身体を起こすと、暗闇の中で何かがぽおっと光っているのが見えた。


「えっ」

「どうしよう兄ちゃん! 僕のちんちん光っとう!」


 蓮はあぐらをかいていた。その股間、ジャージ越しに光が漏れているのだ。


「えっ、嘘っ、とりあえず……見せてみ?」

「うわぁっ、わぁっ……」


 蓮は泣きながら下着とジャージを脱いだ。大きさ自体は小学生ながらも、キッチリと屹立したその先が、紛れもなく発光していた。


「兄ちゃん、ちんちんって光るの?」

「いや……普通は光らへん」

「僕、病気なん?」

「に、兄ちゃんもわからへん。どないしよ……痛いとか辛いとかないか?」

「そういうのはないけど、何か、何か、変な気分」


 弟の一大事だ。俺は必死に頭を働かせた。子供の急病相談は8000番。もしもの時のために覚えていた。だが、どう説明する? 弟のチンコが光っている? そんなの誰が信じてくれる?


「蓮、とりあえずググる!」


 俺はあらゆるワードで検索したが、男性器が光る玩具やら掲示板のネタまとめやらが出てくるだけだった。違う。俺はそんなの求めてない。俺が求めているのはチンコの光を消す方法だ。


「兄ちゃぁぁぁん!」

「あかん……見つからへん……ほんまにどうしたらええんや……」


 一つ、思い当たる方法があった。確実ではないが、とにかくやってみるしかない。


「蓮、しごくで!」

「しごく? しごくって何?」

「じっとしとき」

「兄ちゃんっ!」


 そんなわけで、俺は弟に手コキをした。ティッシュは間に合った。光も消えた。


「よし!」

「兄ちゃん……ようわからんけど、ありがとう兄ちゃん……」


 蓮も落ち着いた様子だったので、俺は蓮に優しく説明をした。


「うん……何で光るんかはわからんのやけどな、大きくなって、白いの出るのは男としては自然なことなんや……せやからそこは心配いらへん……」

「兄ちゃんは光らへんの?」

「うん、光らへん……」

「なんで、なんで僕は光るの?」

「それがわからへんねや……」


 ぎゅっと蓮を抱きしめて寝させて、俺はぐるぐるとこの現象のことを考えていた。そして、一つの仮説を立てた。


 ――もしかしたら、最初の一回は誰でも光るんかもしれへん。俺も覚えてないだけで光っとったんかもしれへん。とりあえず、様子見やな。


 母に言ったところで、信じてもらえるかどうか。兄弟揃ってアホな夢を見たと決めつけられるかもしれない。なので、このことは打ち明けず、一週間が過ぎた。


「兄ちゃん! 光ったぁ!」

「ま、またかぁ!」


 俺の仮説は覆った。蓮のチンコは光るチンコなのだ。


「兄ちゃん、こわいよぉ! 早く消して! 消して!」

「よっしゃ!」


 やってしまってから、自分でする方法を教えるべきだったかと思ったが、蓮はすっかり怯えているし、そんな余裕はなさそうだった。


「兄ちゃん、光ったらまた消してな?」


 そんなことまで言い始める始末だ。


「まあ……うん……原因わかるまでは兄ちゃんが何とかしたる」

「っていうか、何で白いの出るの?」

「授業ちゃんと聞いてへんかったんか……?」


 夜中の性教育が始まった。蓮はまだセックスと子供の誕生が結びついていなかったらしく、その辺りの説明には時間がかかった。


「えっ、じゃあ兄ちゃん、僕が産まれたのって父さんと母さんがセックスしたからなん?」

「今は体外受精とかあるけどな……そんなんしたって聞いてへんから、そうやと思うよ」

「そうなんや……うわぁ……そうなんや……」

「まあ、俺もそれに気付いた時はショックやったけど」


 二回目があった以上、この先も続くと考えていい。俺は意を決して、翌日母に相談することにした。


「なぁ、母さん。嘘みたいな話するけど、ほんまのことやねん。冗談やないねん。信じてほしい」

「どうしたん? そんなこわい顔して」


 俺は用意していたセリフを述べた。


「蓮のチンコな。勃起したら光るねん。出したら消える。きっと今までに症例のない病気やと思うねん。大きい病院に連れて行きたいんやけど……」


 すると、母はプッと吹き出した。俺の真剣さが伝わらなかったのかと思いきや、そうではなかった。


「そうかぁ! やっぱりあの人の子やなぁ。お父さんもな、光ちんぽやってん」

「……光ちんぽ?」


 何でも、父も光る人だったらしい。それが恥ずかしくてなかなか女性との交流を持てず、初めて打ち明けたのが母だったのだとか。


「光るだけ、光るだけやから、そんなに心配いらへんで! ちなみに刺激の種類で色が」

「もうそれ以上言わんといて」


 蓮にもそのことを説明すると、ぽやんとした顔をした後、ぐすぐすと泣き始めた。


「ほな……僕、僕、一生光るん?」

「母さんの話ではそうみたい……」

「嫌やぁ! 嫌やぁぁぁ!」


 いつか蓮を受け入れてくれる人が現れるまで、兄のこの俺が支えてやろう。そう腹をくくった俺は、蓮が光る度に手コキをするのであった。

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この手の中の光 惣山沙樹 @saki-souyama

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