君に示すエビデンス

受験生A

君に示すエビデンス

 ――どうして好きになったのか言葉に出来ないほど、その言葉を言うのに時間が掛かった。


「あの! ぉ俺と、付き合ってみませんか?」


 転職を繰り返し、ようやく安定して来た社会人三年目の夏。

 

 同じ駅から別々の電車に乗って出勤し、同じ時間帯に退社して、「また明日」で終わる日常。


 俺は、を終わらせてしまった。


「え、どういう事……?」


 人通りが少ない田舎町の駅。その片隅で発した言葉は、同期の宮川亜紀みやがわあきさんに上手く伝わっていなかった。


 付き合ってくださいとお願いする方が良かったのか。仕事の帰りじゃなく、休日の予定を聞いて一緒に買い物をしている時に言った方が良かったのではないか。色々な後悔が、宮川さんから返って来た言葉を苦い思い出に変えて行く。


「あの、その……好きなんです。俺は、宮川さんの事が好きで…………」


 正直、卑怯だと思う。人通りの少ない駅の側でその言葉を発し、はっきりと「好きだから付き合ってください」と言わないこの言い方が、既に卑怯だ。


 宮川さんにとって、俺と同じ駅から職場に向かい、俺と同じ電車に乗ってこの田舎町に帰って来るのは、特別な事では無かったはず。


 勘違い野郎と言われても仕方がないほど、俺は大きな間違いを犯したかもしれない。時期を見誤った。


「……なんで私が好きなの?」


 ――なんでって聞かれても、答えられない。


「なんでって言われても……」

「それってさ、ただ恋人が欲しいだけじゃないの? 言えるタイミングがあるなら、別に誰でも良い感じなんじゃない? 松井くん、結構他の女の子の事も見てるよね」


 今、酷い事を言われた気がする。


 いや、確かに酷い事を言われている。誤解されている。


「そんな事はないです」

「そんな事あると思うよ?」


 喧嘩がしたい訳じゃないのに、なぜか熱くなってしまう。空気が生暖かくて、線路の側の室外機から吐き出される風が臭い事も、自棄になりそうな原因かもしれない。


「それは絶対に違いますよ」

「違わないよ」

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「だって私には、一緒の駅から通えるから付き合おうと思っただけに見えるもん。都合が良いから好きになったんでしょ? 気のせいだよ、その感情は」


 それが気のせいかどうかは、俺が決める事だ。


「だったら……」


 俺が決めて、宮川さんがそれを信じるかどうかの話だ。


「だったら! なんでいつもここで別れる時に、『また明日』って言うんですか?」


 日常の終わりに告げる挨拶の意味を問いながら宮川さんに近寄り、その不機嫌そうな表情を真剣に見つめる。


「宮川さん、いつも久保田先輩に相談してますよね。もう会社を辞めたいって、虐められているから助けて欲しいって頼んでますよね?」


 久保田先輩は、宮川さんの上司に当たる女性だ。


 久保田先輩は俺達の上司であり、更衣室でいつも泣いている宮川さんを後輩に虐めさせている張本人。更衣室で泣いている宮川さんを笑って、その喜びを俺に共有してくるような奴だ。


「……誰に聞いたの? その話」

「聞かなくても分かりますよ。久保田先輩は宮川さんが泣いている時に限って上機嫌で俺に絡んで来るし、昼食の時だって宮川さんを孤立させるように座ってる」


 俺が転職を繰り返した理由も同じ事だったから、虐めに気付いてしまった。明らかにおかしいと、そういう空気を感じていた。


 俺が職場で宮川さんを見る目と、宮川さん以外を見る目は違う。


「じゃあ何? 松井くんは、私が虐められてて可哀想だから、付き合おうって言ってるの? そう言ってくれてるの?」

「違います」

「違わないでしょ!」

「絶対に違う!!」


 可哀想だと思った事は否定できないけど、好きに成った理由はそこじゃない。


 つい大声で否定してしまうほど、涙が出るほど、俺は宮川さんが好きだ。


「俺は、嫌だとか辞めたいとか口にしてても、絶対にここで『また明日ね』って言ってくれる宮川さんが好きなんだ。そんな宮川さんが、このまま会社を辞めるのは、俺にとってフラれるより辛い事なんだ!」


 前職の出来事が蘇り、涙が止まらない。


 陰湿な虐めもあったし、暴力を振るわれるような虐めもあった。なんで仕事をしに来てるのにこんな思いをしなきゃ行けないんだと嫌になって、鬱になって会社を辞めた。


 ――その連鎖は、二年も続いていた。


「俺が宮川さんを好きな証拠は、俺が今日もここに立っている理由全てだ。自分勝手な理由だけど、好きになる許可をいちいち求めてたら、誰も恋なんて出来ない。恋は身勝手な理由で始めるべき事だ」


 タイムカードを押す時の、「おはよう」という素っ気ない挨拶だけでも最初は十分だった。でも、次第にそれだけじゃ満足出来なくなった。


 また明日ねって言って欲しいから、一緒に帰ろうって誘うようになった。


 仕事を楽しんで欲しいから、休憩時間に「そっちの調子はどう?」って聞くようになった。


 隣を歩きたいから靴を磨くようになったし、嫌われたくないからネクタイもしっかり結んで、シャツも毎朝アイロンをかけるようになった。頑固な寝癖も直して、髪も短くして、髭も剃って、眉毛も整えて、身だしなみに気を遣うようになった。


「宮川さん。俺が宮川さんの事を好きだという証拠は、今目の前に在る。この俺がその証拠だ」


 ――宮川さんが、汗で湿った俺の髪を軽く撫でる。


「……なんか松井くん、汗かき過ぎじゃない?」

「あ、暑いから……」


 暑いと答えると、宮川さんの綺麗な人差し指が俺のネクタイに掛かる。


「きつく絞め過ぎでしょ。もっと緩く結びなよ」

「うん……」


 ネクタイを緩めてくれた宮川さんの右手が、汗で透けたシャツの第一ボタンを外す。


「首元、剃り残しあるよ? 顎のとこ。これ、ここ!」

「家を出てから気付きました……」

「ダメじゃんそれ。今日は特に気合入れて来ないといけなかったんじゃない?」

「はい……」


 剃り残した髭を指先で撫でる宮川さんが、どこか嬉しそうに見える。


「あの、遊ばないでくださいよ……」

「どうして? くすぐったい!?」

「まあ、少し……」


 ――間違いなく、宮川さんは喜んでいる。


「そっかぁ。くすぐったいんだぁ……へー?」

「へーって何ですか?」

「へーは、へーだよ。そうなんだーっていう『へー』に決まってるじゃん」

 

 まだはっきりとした答えは貰えてないけど、もう答えを貰う必要はない気がする。


「宮川さん」

「ん……?」


 俺は今、とても満足出来ている。


 ――でもやっぱり、はっきりと答えて欲しい。


「俺と付き――」

「隙アリ!!」


 息を吐くタイミングで、宮川さんのパンチがみぞおちに入る。


「ハハッ! ごめん、松井くん、結構本気で殴っちゃった、ほんとごめん!」

 

 咽る俺から子供のように離れて行く宮川さんは、俺を指差して満面の笑みを浮かべている。


「いきなり何するんですか宮川さん、ゴホッ、ゴホッ…………ていうか、結構力強いですね」

「えー! 松井くんが弱いだけだよ。もっと体鍛えてっ!」


 足を大きく上げて高架下の暗闇に入る宮川さんが、何かを思い出したように振り返る。


「松井くん!」


 ――はい。


「上手く付き合えたら、いつか『おかえり』って言ってあげるね!」


 ――その時が来るまで、俺も頑張ります。


「俺も、その時は『ただいま』って言いますよ! 宮川さんより先に」

「おおー? 言うじゃん! フフッ……ちょっと今のはキュンキュンしちゃったかもぉ!」


 会社では絶対に見せないその笑顔に、俺もキュンキュンしました。


 ――これからも、よろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君に示すエビデンス 受験生A @JK_neo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ