数式はおやつに入りますか?

あしゃる

数式はおやつに入りますか?

 「おなかすいた」

 ぐぅ、と小さく鳴く腹の虫。わたしのものであり、てつのものであるそれが、悲しく教室に響く。ちら、と時計を見るとまだお昼前で、昼食を取るにはいささか早い時間。何かつまめるものがないか、とリュックを漁っていると、不意にてつがノートの数式をなぞった。

 数式をなぞったって、腹の足しにもならないのに。そうやって少し馬鹿にしながらリュックの底をひっくり返していると、ぺりぺり、というシールを剥がすような音がする。何の音だ、と顔を上げると、


 てつが、ノートから数式を剥がしていた。


 それで、その数式を。


 「いただきまーす」


 食べた。


 ――――正直、暑さで自分の頭がイカれたと思った。「数式を食べる」なんて不思議現象、小説の中でしかありえないはずだから。それが目の前で起きて、しかもその現象を起こしたのが友だちで、なんでもないような顔をして食べているのだから。夏の暑さで頭がイカれたか、勉強のし過ぎで頭がイカれたか、空腹で頭がイカれたか。ともかく、目の前の現象に固まってしまったのは確かだった。

 もぐもぐ、と何回か咀嚼したあと、喉を嚥下して水を飲むてつ。その顔は食べる前と変わっておらず、さっきのことが嘘みたいに思えてくる。

 なんだ、やっぱり頭がイカれたのか。後でラムネを食べて脳を回復させよう、と思って、なんとなくてつのノートに目を落とす。びっしりと途中計算の書き込まれたそのページの中で、ぽつんと一箇所だけ、何も書かれていなかったような空白が生まれていた。


 いややっぱ食べたな。


 「てつ、数式食べられるのか」

 「まあ、うん」

 「まじでか、どんな味すんの?」

 「色んな味。種類によって違うけど、おいしいよ」

 てつ曰く、数式は美味しいらしい。しかも色んな味があるらしい。未だ半信半疑のわたしを見て、てつはまた1つ、数式をノートから剥がした。

 「ほら、なつも食べてみろよ」

 ん、と無造作に数式が渡される。手のひらに乗せた数式、判別式は羽のように軽くて、息を吹きかければ飛んでいってしまいそうな気がした。


 不思議現象注意報。黎明高校1−1の教室にて不思議現象勃発中です。該当者は直ちに報告書に記入をしてください。そんな的はずれなアナウンスが頭の中に響いている。


 「これ、お腹壊したりしないよね?」

 「しねーよ、今まで食べてきたけど全然壊したことない。お母さんの弁当の方がお腹壊したことある」

 「お母さんに謝れバカ」

 軽口を叩き合いながら、式のDの部分を摘んでひらひらと動かす。やっぱり重さは感じない。


 ――――ものは試し。食べてみる、か。


 「い、ただきます」

 「召し上がれ」

 あ、と口を大きく開けて、ひと思いに判別式を放り込む。舌にのっけて、それから何回か咀嚼して、じわ、と何かが溶け出す感覚。同時に、ある風味が口の中に広がる。

 「この味、って……!」

 「おいしいだろ、判別式はその味なんだ。おれが一番好きな味だ」

 どうせなつに食べてもらうなら、一番うまい味がいいだろ、と笑うてつ。やや得意げなその顔にムカついたけど、実際判別式は美味しかったので口を閉じる。そのまま飲み込んで水を飲んで、自分のノートに目を落とした。

 「わたしにもできる……ワケないな」

 「やってみれば?成功したら一生おやつに困らないぜ、自給自足だ」

 「はは、できないって」

 半笑いを浮かべながら、てつがやったみたいに数式をなぞる。確か、端っこをひっかいて剥がしていたはず。

 かり、とノートをひっかく。指先は数式の上を滑って、何も引っかかることはなかった。


 ――――はず、だった。


 「……っ、そだろ」

 「お」

 ぺり、と爪に引っかかる感覚。横に動かすと、そのままぺりぺり……、と音を立てて剥がれていく。

 嘘だ、嘘だろ。ありえない。なんで剥がれてくんだ、今までできたことなかっただろ。おかしい、わたしに不思議現象は無縁なはずだ。

 段々と呼吸が早くなっていく。やがて、数式は完全に剥がれて、ひらひらとそよいでいた。

 「とれた……。嘘じゃん……」

 「できたじゃん。食べてみれば?」

 「…………」

 つまんだ数式はてつのと同じく、重さを全く感じない。どうしたものか、このままノートに戻そうにも戻し方を知らない。


 …………いや、食べる以外ないだろ。


 目をつむり、あ、と先ほどと同じように口を開け、数式を放り込む。何度か咀嚼して味が広がって、目を開いた。

 「味が、ちがう」

 「え?」

 「味が違う。てつのやつと全然違う。同じ判別式なのに」

 「え、マジで?なつ、おれにもちょーだい」

 ほらよ、とわたしのノートから判別式を剥がし、てつに手渡す。すぐに口に放り込んだてつは、目を丸くしていた。

 「本当だ、全然違う。しかも、この味……」

 「だろ?……もしかして、味は剥がす人によって異なるのかな」

 ふと思いついたこと。何となく呟くと、てつが目を輝かせて言い出す。

 「どーせなら自由研究のテーマにしようぜ。共同制作アリだったろ」

  自由研究。夏休み最大の敵。全くテーマが浮かんで来ず、ずっとどうやって片付けるか悩んでいた。今年は夏休みの宿題を最初の一週間で片付けたいのもあって、なおさら。


 数式を食べる力。確かに、自由研究のテーマにはぴったりだ。


 てつと無言でうなずき合い、宿題をリュックに押し込んで、代わりにルーズリーフを取り出して、簡単なイメージマップを作る。 テーマ名は何にしようか。あーじゃない、こーじゃないと言い合いながらイメージマップに書き込んでいく。わたしもてつも好奇心が抑えきれなくて、ずっとニヤけ面のまま話し合っていた。

 「…………よしっ、大体こんなもんかな」

 「なつ、後でマップちょうだい。おれの方でまとめとく」

 「頼んだ」

 やがて、ある程度イメージマップが埋まり、テーマ名も決まる。いつの間にか時間が経っていて、時計はもう12時を指していた。

 ずっと前のめりで話していたこともあって、ぐっと伸びをすると体中がばきばきと音を鳴らす。さらに、ぐうう、と今度は腹の虫が大きく鳴いた。

 「昼ご飯、弁当持ってきた?」

 「おう。今日は傷んでないといいけど」

 「バッカ心配なら自分で保冷剤いれるんだよ。何もかも親がやってくれると思うな」

 「へいへい。外で食べるか?」

 「うん」


 ああ、研究するのが楽しみだ。


◯◯◯


 自由研究テーマ


 「数式はおやつに入るか?」


 研究者 佐藤夏、笠原鉄平

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