犯人
第18話
数分後、ヘリコプターの轟音は病院の屋上で止まる。
病院屋上のヘリポートに着陸した陸自のヘリから、八九式小銃を背負った自衛官が数人ほど降りてきた。
彼らはバラクラバで顔を隠しており、その表情は窺えない。
自衛官たちは、病院の守備をしていた警官の案内で看護師たちの行き交う廊下を進み、重傷患者用の病室へと向かう。
彼らがドアを開けた時、晴矢はベッドで目を瞑っていて、楽一はその傍に座り晴矢の手を握っていた。
「楽一警部ですね?」
病室に入った自衛官たちは楽一警部に近づくと、そう聞く。
「はい。私は楽一です。すみません。わざわざ迎えにきていただいて」
「細かな調節は西田警部補で十分ですが、最終的な決定にはあなたが必要ですので」
自衛官は感情のない口調で伝える。
「皆さんは、例の
洗練された殺意を纏い、多くの警官に守られた病院内だというのに油断なく周囲を警戒する自衛官たちへ、楽一はそう聞いた。
「そんなところです。それでは来てくれますね?」
「もちろんです。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
楽一は深く頭を下げる。
「構いません。それよりも、早く行きましょう」
自衛官はそう言ってドアを開けた。楽一と自衛官たちは眠っている重傷者たちを起こしてしまわないよう、静かに病室を出る。
名残惜しそうに振り返った楽一の目の前で、自衛官は素早く病室の扉を閉めた。
ドアが閉まる瞬間、わずかに目を開いて微笑む晴矢の表情を、楽一は目に焼き付ける。
どこか儚げで、それでいて暖かい晴矢の表情は、神話に登場する女神のようだった。
これが最後になるかもしれない。
ヘリコプターへと乗り込む楽一の心にふっと弱気な思いが広がったが、晴矢の顔を思い出すと霧散した。
◇◇◇◇
五日目の早朝。
冷たい夜の香りが残る空を、空中消火用バケツを吊り下げた陸上自衛隊のヘリコプター隊が、大学を目指して首都の空を飛行していた。
巨大なバケツは首都湾で汲み上げたばかりの海水で満たされており、機体にはかなりの重量がかかっている。
だが、今回の任務を完遂するため選抜された陸自のパイロットたちは、海水の重量で不安定化する機体を巧みに操り、安定した飛行を維持していた。
ヘリコプター隊は首都上空を進み、東大学上空へと進入する。
東大学の敷地内には、警察と自衛隊による大規模作戦をニュースか何かで知った暴徒たちが、ゲバ棒や火炎瓶を持ってひしめいていた。
いくら精強な機動隊でも、あの中に突撃すればただじゃ済まない。
だが、今回は自衛隊の全面的な協力がある。
「こちらヘリコプター隊。所定の位置についた」
「こちら地上部隊。準備完了」
「こちら第32戦闘団司令部。了解。作戦を開始せよ」
「こちらヘリコプター隊。了解」
「こちら地上部隊。了解」
無線で短く端的な会話が交わされる。
上空で作戦が進行する中、大学の正面玄関付近では大盾を持った機動隊員たちと暴徒が睨み合っていた。
一部の乱れもない隊伍を組んだ機動隊員らの後ろには、自衛隊の装甲車両と警察の放水車が控えている。
彼らに対峙する暴徒は無秩序な殺意を燃え上がらせながらも、完璧な陣形を組む警察、自衛隊の気迫に圧倒され、沈黙していた。
地上部隊を巻き込まないよう最終確認を終えたヘリコプター隊は、慎重に決定された高度に展開する。
「放水開始せよ」
ヘリコプター隊の指揮を取る偵察ヘリが、無線でそう命令を下す。
直後、大学上空に展開したヘリコプターたちは、一斉に空中消火用バケツを解放した。
首都湾から汲み上げた数十トンの海水が、一斉に地上へと降り注ぐ。数秒後、滝のような水の衝撃が暴徒を襲った。
暴徒たちが頚椎を折らないよう威力は調節されていたが、それでも激しい山火事すら一瞬で制圧できる水の暴力に、暴徒たちはたまらず押し倒される。
凄まじい濁流は火炎瓶や鉄パイプ爆弾を一瞬にして台無しにし、建物の中に保管された食料まで汚れた塩水に浸らせ、暴徒たちの持久力、戦闘力を大きく削いだ。
「突撃!」
ヘリからの放水を受けて大混乱に陥った大学内へと、完全武装した機動隊と自衛隊が共同で突入していく。
彼らは連携を取りながら、次々と暴徒を逮捕していった。
突入する自衛官の武装は邦人救出に使用されるような防弾盾程度で、暴徒に対し射撃することは想定していない。
だが、大学の包囲網に参加している自衛隊員には着剣された小銃と実弾が支給されており、銃器で武装したテロリストによる突撃に備えていた。
本来であれば大学の包囲は警視庁のするべき任務だが、現状、自動小銃に対抗しうる装備を持っている警察系部隊は銃器運用部隊の五名のみで、大学を包囲するには到底足りない。
一般的な警察官では、暴徒ならばともかくテロリストの突撃に対しては全くの無力だ。
現在の警察が自動小銃を持ったテロリストに対抗するならば、そもそも自衛隊の協力は必要不可欠だったのだ。
国民からの猛烈な批判を覚悟して自衛隊を投入したこの作戦は、想定以上に功を奏した。
暴徒の大半は爆撃のような放水で戦意を喪失するか、そうでなくても負傷しており、ほとんど無抵抗で逮捕あるいは救急搬送されていく。
鉄パイプ爆弾やゲバ棒で抵抗をしようとする暴徒もいたが、訓練を受けた機動隊員や自衛官の前では敵にもなれない。
なんとか逃げ出そうとした暴徒についても、大学の包囲に参加する管区機動隊員によって迅速に確保されるか、銃を持った自衛官を見てすぐ大人しくなった。
テレビ画面に釘付けの国民たちは、各大手メディアの中継で様々な角度から映し出された東大学を、固唾を飲んで見守る。
だが状況は圧倒的であり、作戦開始から20分が経過する頃には、すでに大半の国民が警察の勝利を確信していた。
しかし、国民がどれほど警察の勝利を確信していようと、テロリストを殲滅するまで作戦は終わらないし、勝利もない。
そして突入した警察と自衛隊の大部隊も、自動小銃で武装したテロリストを制圧するには火力不足だ。
テロリストの殲滅。
それは国内最高峰の精鋭部隊である特殊作戦群と銃器運用部隊の仕事だ。
地上で作戦が進行する中、首都上空を全速力で飛行する大型輸送ヘリの機内では、楽一警部率いる銃器運用部隊と特殊作戦群の隊員たちが戦闘準備を整えていた。
「特殊作戦群の皆様には、医学部棟の包囲と狙撃支援をお願いします。突入は我々に任せてください」
楽一警部は機内でそう要請する。
「了解した。だが、万が一作戦が失敗するか不測の事態が発生した場合、我々は君達の要請を待たずに突入する。装備の火力と規模なら、こちらの方が充実している。それは構わないな?」
「ええ。もちろんです。あなた方の方が実戦経験は多いでしょうし、もし我々が危機的状況に陥ったら、ぜひ助けてください」
「ああ、分かった」
楽一警部と特殊作戦群長が、各々の銃器に弾倉を押し込みつつ会話を交わす。
ヘリコプターの轟音で肉声は消えてしまうため、すぐ目の前の相手と会話するのにも無線機は欠かせない。
耳をすっぽりと覆うヘッドフォンは周囲の音を適度に取り込みながらも無線が支障なく聞こえるように音量調節されており、口元のマイクは人の声のみを拾えるようになっている。
最終確認を完了した十分後、大型ヘリコプターは東大学医学部棟の上空でホバリングを開始した。
煉瓦造りの建物に風がぶつかり、大学に植えられた木々と建物の窓が揺れる。
特殊作戦群の隊員が、太いロープを医学部棟の屋上へと投げた。
「よし。降下開始!」
特殊作戦群の隊員による報告を聞いて、楽一警部は素早く太いロープに捕まり地上へと降下を開始する。
直後、楽一は医学部棟屋上の貯水槽の影に、長い筒を肩に構えた一人のテロリストが立っていることに気がついた。
「ん?……まずい。回避しろ!」
楽一はそう怒号を飛ばすが、今まさにロープで人を降下させている最中のヘリが急に加速することなど不可能だ。
直後、テロリストの抱えた筒から一発のミサイルが放たれた。
炎の尾を引いて空を貫いた細いミサイルは、ヘリに回避行動を取らせる時間すら与えず、そのエンジンを貫く。
動力を失ったヘリは、クルクルと回転しながら急激に高度を下げ始めた。
「メーデーメーデー」
ヘリパイロットが無線でそう叫ぶ。だが、今まさに墜落するヘリを助けることができる人間は、この場に一人もいない。
落下していったヘリは、ガラスと木材が使用された近代的なデザインの東大学新図書館に直撃した。
つい一年ほど前に建てられたばかりの建物は、多くの戦闘員を乗せた大型輸送ヘリもろとも爆発炎上する。
その映像は、大学周囲を飛び回る報道のヘリを通じて、全国民へと報道された。
もちろん、それは楽一の無事を祈りがならテレビを見つめる晴矢の目にも届く。
「そんな」
晴矢は病室のテレビ越しに、燃え上がる新図書館と墜落したヘリを見つめて、絶望の声を漏らす。
粗い映像の向こうで、赤い炎の混じった黒い煙が空高く舞い上がった。
大学占拠 曇空 鈍縒 @sora2021
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