狂奔のランゼ

『蛇の塔』が三階建てというのを、三階に到着して初めて知った。

 頭頂部の裏面が天井、王城からも見えた巨塔の中身は思いのほか空っぽだった。こんなものにカームズの民は揺るがされていたのか……と、ランゼはぼんやり思う。

 三階は下のフロアよりも狭く、寝室の方が広い。それでも居心地は悪くない。島の頂点での孤独であれば優越感さえ覚えるというもの。

 快適の理由は他にもあった。フロアの中心にある鋭角な岩よりも、それに気付いて壁際を調べた。

 風通しが良い。一・二階の構造から考えもしなかったが、壁際に近付くと謎はすぐに解けた。屋内というのに、三百六十度から光が射し込んでいて眩しいから分かった。

 外側から確認できる高さではなく、何より誰も気にしていなかったことだが、ランゼの細い腕なら通せるほどの隙間が空いているのだ。

 まるで、鳥籠の檻みたく。

 電波とやらを放出するために意図してこうしたのだろうと思うも、秀でた芸術作品とも言える構造にランゼの風情観がくすぐられる。

 暫し虜になった後、使命を思い出してアンテナに向き直る。腕を通せる程度、地上の兵たちには何もしてあげられない以上、役目に徹する。

 普通なら爆薬に頼るところ、ランゼはアンテナの前に立っただけで『壊せる』と直感した。タクトの要石を破壊した経験と、壊せるからタクトは自分をここへ送ったのだという推測もある。

 タクトにトドメを刺した時と同じく、槍を握る両手に力を込める。

 これで終わり。獣たちは機能を停止して、カームズ勢は死者ゼロで勝利を収める。

 最高のハッピーエンドは目前となった。帰ってクロスとシャンナに謝らなければいけない。

 この島に流れて以降の様々な出来事が流れてくる。

 他に誰もいない空間だからこそ遠慮なく苦笑し、赤面し、怒り……それから涙を流す。よく泣くなぁ……と、自分の脆さか幼さを自嘲した。

 まずは気持ちを落ち着かせようと、構えを解く。深呼吸する。天井を見上げる。鳥籠の外から漏れる光に目を細める。

「……あれ?」

 どうしても涙が止まらない。体の水分が尽きて死ぬのではないかと冗談を思い付いても、それでも涙は零れた。

 足元には水溜まりが出来ていた。王城での生活が始まってすぐのこと、トイレがどこにあるのか分からず夜の廊下を彷徨った結果、我慢できず漏らしてシャンナに迷惑を掛けた過去を思い出して急激に恥ずかしくなる。

 それも過ぎた話だと断ち切っても、改めて槍を構えても、涙は止まなかった。

 これではザイを失った時より情けない。動揺はより激しさを増し、情弱な自分を客観視して「どうしてそんなにだらしない!」と叱責するも、自分がそれに傷付く。

 時間が無為に去っていく。

 すると、傾向が見えてきた。アンテナから距離を取ると少しだけ……本当に極僅かだけ嗚咽が抑えられるのだ。

 そうして落ち着き、「今度こそ!」と決心して迫ると、また乱れる。

 不意に乾いた笑いが漏れた。

 理由は明快だった。『狂奔』の真意には程遠いが、自分の性分くらいは把握している。

 考えてもみれば、始めからこうなることは決まっていたのだから。


 ――私は戦いを、夢の時間を終わらせたくない。


 今度は大笑が出た。喉が痛いほど、他に誰かこの場にいたら間違いなく敬遠されるほどに。

 これを破壊したら、終わってしまう。

 実績を持たない自分でも信じてくれた英雄たちの命と、敵ながらも最後まで自分を優先して考えていた兄の愛情を無下にするように……ランゼは終戦を受け入れられずにいた。

 時間が無い。戦いたい。早くしないと皆が死ぬ。まだやめたくない。

 ランゼには初めから信念など無かった。今もまだ選択できず、才能と兄の計略だけでここまで来てしまったから、このように取り乱すのは必然のこと。

 息を荒げ、グチャグチャなまま槍を構える。どうにでもなれと矛先をアンテナに刺すも力足りず、何も変わらなかった。

 ランゼは安心した。おかげで戦いが続くからだ。

 これまで戦いを取り上げてきた大人たちへの恨みはもう忘れていた。

 今が最も辛い。こんな想いをするのなら、ずっと鳥籠の中でも良かったのかもしれない。誰も恨むことが出来ず、それでいて心も決まらない。

「壊れて。壊れて。壊れて。壊れて……」

 貧弱な力でアンテナを突く。浅く傷が入っただけ、壊れるほどではない。

 ランゼは早々にこの苦痛から解放されたく、自分も予期しないタイミングで壊れてもらっても良かったのだが、やはり覚悟を決めなければならない塩梅だった。

「……あっそ。どうせ、そんな感じね」

 その後も何度か惑い、結局ランゼは諦めることになった。

 夢から覚めると、自分を縛り付けていたこれまでのすれ違いと誤解を思い返した。

 それで余計につまらなくなった。子供の訴えなど初めから相手にされていない。それなら真剣になるのも下らない。自分と自分を信じた誇りある男たちに目を背けて、冷静になることを選んだ。

 

 ――私が諦めないと、世界を救えないから、仕方なく。


 これが最後。これで駄目だったら、自分はもうアンテナを壊せない。ランゼはそう思い込んだ。

 自分を欺く。自分を裏切る。

 槍を構えた時、この一撃で確実に決着がつくと確信した。

 雑念が沸き上がってくる。きっとそれは子供の我が儘だろうけど、大人たちも同様に持つ『譲れないもの』に等しいと思う。

 それを今だけ忘却する。終わりたくない本心を、皆の喜ぶ表情で上書きして……。

 これを果たして誇りと呼べるのだろうか?それを守るために今も戦い続けている彼らに、後で再会しても許される選択だろうか?

「嗚呼、終わる」

 結論出ず慟哭するも、どうにか自我を保つ。視界が霞むも、勘でアンテナを補足する。

 終わる。決着を確信。終わった。

「さようなら、私の戦い……」

 世の中のため。誰かのため。

 それらが自分の理想に反する世界の話なら、自分もこうするしかない。

 自分の夢は最初から報われないものだったのだと悟り、ランゼは目蓋を閉じて、それから円らな瞳を尖らせて……。


 ――橋を、崩します。


 戦いたい。燃え尽きたい。限界を知りたい。

 タクトたちと同類だった以上は必ず破滅しなければならない。その点に気付くのがこの時まで遅れただけのこと。

 これで、この島は永い平和を獲得する。

 戦争と決別すること。『譲れないもの』を守るためにはこの結末しかなく、この先の平和過ぎる未来に期待を寄せるのは困難だった。

 戦いへの欲求、戦いと無縁な世界にこそ自分の恩人が待っていること。いずれかを選択するのであれば、道は一つと決まっていたのだ。

 全く以て自由ではなかったのだと思い知り、まだ十五歳のランゼは大人になることを余儀なくされた。

 


 ランゼ自身も驚く剛力で、ザイより大きい鋭角の岩を砕いた。

 直後、岩から雷のように激しいエネルギーが暴発した。その衝撃を至近距離で受けてランゼは吹き飛んだ。

 雷は何度も発射され、狭いフロアを破壊していく。

 尻もちをつくランゼにも追撃があった。直撃すれば丸焦げになること必須の雷光が襲うも、ランゼは天才の直感で槍を前に出して最悪を免れる。槍がバラバラに砕かれ、両手が熱を帯びる程度で済んだ。

 大切な従者から預かった槍が一瞬で壊れたことによりランゼは再び繊細になりかけたが、今は時間が惜しい。壊れたアンテナは未だに暴発を続けている。

 一発が天井を撃つと瓦礫が降ってきて、ランゼはどうにかそれを躱した。一発が床を破ると深淵が覗けた。ジッとしてなどいられず立ち上がった。

 放電が檻に穴を空けた。そこから飛び降りるのが唯一の手段だった。

 それこそ死ぬに決まっているが、他に道の無いランゼは外から射す光が大きくなると、釣られるようにそこを目指して走っていた。

 一度風に押し戻されて、それからゆっくりと身を乗り出す。王城のてっぺんより高いこの場所から見下ろす島国と大海は絶景で、不意に感嘆してしまう。ここで果てるのもアリだと本気で思った。

 しかし、何だか下の方がうるさい気がして視線を下げると……。


 ――いたぞ!ランゼ様だ!

 ――急げ!やはりこれしかない!

 ――獣を集めろ!

 ――思っていたより高いところにいたね。

 ――馬鹿だからだべ。

 ――そこの二人、眺めてないで手伝え!


 落下しないよう慎重に草原を見下ろすと、カームズ勢の男たちが揃って口を大きく開けて何かを言っていた。

 同時に彼らが自分を救出するために動き出しているのを、彼らの溜まりの手前にある、別の黒い溜まりから読み取れてしまった。


 ――ランゼ、飛べ!


「マジかい……」

 オルダルの叫びがランゼの耳に届いてしまった。

 彼がそう言うということは、他の男たちもそれに賛同したということで、準備が整ったからにはもうやるしかなくなった。

 先程と比べれば迷いはないが、こんなことを思い付く彼らもやはり子供で、狂っている……などと考えても無駄で、腹をくくった。

「う……うああああああああっ!」

 飛ーべ!飛ーべ!飛ーべ!飛ーべ!

 従えた男たちが一斉にコールを始め、背後で最大の爆発音が聞こえると、ランゼは行くしかなかった。

 今回の決断が最も残酷なのではないか……と、今さっきの苦悩を忘れてしまうほどだった。

 飛び降りた。崩れる『蛇の塔』の三階から。三階と言えばまだ低く思われるが、島を一望できる王城のてっぺんより更に高い場所からだ。

 ランゼ、絶叫。高速で向かう地上には彼女の無事を案じる者少数、面白がっている者多数。

「ランゼ様、ようやく羽ばたいたのですね」

「翼は無いけどな」

 ビスタンに次ぐジョンクの皮肉は、鼓膜が破れる錯覚に陥ったランゼには聞こえなかった。

「アハハハハハハハハハハッ!ばーか!ばーか!みんな、ばーか!」

 あれほど躊躇し、多くの人々を裏切り勝利したというのに、そこからの生還の手段がこれなのだ。とても冷静ではいられない。

 ただし、誰もランゼの発狂を狂気とは思わなかった。

 共に戦い抜いた男たちは皆、ランゼの、これまでの煮え切らない様子を気にしていた。一般的には異常とされる少女の闘争心にも、少なからず共感できる部分があったからだ。

「ようやく、少しは気が晴れたようだ」と、誰もがランゼの生還に心から歓喜した。

 動かなくなった獣たちを一箇所に集めてクッションにする。頂点から落ちてきた勝利の女神に拍手と喝采が送られるも、残念ながらランゼは気を失っていた。

 よって、自分が英雄たちにとっての『譲れないもの』になっていたことを知るのはまだ先の話となる。

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