天秤・螺旋 Ⅲ

 どちらが上手かは、慧眼なタクトだけでなくランゼもすぐに把握した。

 剣をどかして急所に一撃。最後にはそうなる運命だが、そこへ到達するまでに幾度かの試みが要され、簡単には行かない。

 タクトはランゼの想像を絶する剣士で、勝てる自信があっても油断ならない技量だった。

 タクトとの稽古は記憶にない。ランゼは隙あらば頭を撫でてくるタクトに苛立ち、無理やり試合へ持ち込もうとしたことが何度もあったが、全て彼らしい軽快な話術・場読みで流されてきた。

 それも、この決戦のためだったのかもしれない。

 ザイの喪失と許し難い洗脳により腸が煮えくり返っていても、眼前の敵を討つだけとなれば戦いに没入することが出来る。……そのように考えられる余地はある。

 タクトはランゼという天才の完成を願い、暗躍してきた。

 それでランゼが曇る想いに駆られるのであれば、その措置として自分が秘策になればいい。そこまで折り込み済みだったのだ。

「兄上、まさか……」

 互いに本気で相手の命を奪いに来ているというのに、ランゼは兄の思惑に気付き、改めて彼の計算力に恐れを抱く。

 対するタクトは、戦場でさえ鈍間になる妹にやや失望するも、それすらランゼの完成に欠かせない苦悩なのだとすれば愛しく思えた。

「集中しろよ。今までお前の挑発に乗ってこなかった意味が無くなるだろうが」

 クロスが槍を手放し、自分が台頭するまでの間、カームズ国の最強はタクトだったのだ。誰かに聞いたわけではなく、数多の騎士たちと稽古してきたランゼだから、比較すればそう断定できる。

 兄の剣は……面白い。貴公子らしく汚れと無縁な美青年だったはずも、それが表面に限った話というのは初めから知っていた。六年前の邂逅でボルテスを簡単に投げ飛ばしたのが印象に強く、柔を以て剛を支配する技術が彼にはある。

 印象のままに彼の剣と身のこなしはどれも軽快で、捉えたはずのランゼの槍も寸前で躱されていく。

 カームズ騎士団は基本に忠実で、連携も上手く、何より誰かのために全霊を賭して戦える精神の持ち主で構成されているため、ランゼも素直に敬意を感じた。

 タクトは彼らと真逆だ。彼の戦い方……言い換えれば、生き延び方には芯が無い。

 理想を語った際には彼の『譲れないもの』がランゼの胸を貫いたが、手段は狡猾そのもの。グカと組み、胸郭に妖しい要石を埋めるような男だからと納得するも、どうして今になってそんなことを考えるのか……と、自身をも疑い始める。

 タクトのやり方はランゼが最も嫌う、シンプルさとは真逆のものだった。頭を撫でられた記憶が蘇り、相対するこの時間さえ忌避の念が芽生える。


 貴方のことは、別に嫌いではなかったのに。

 他の大人たちが向ける視線とは違う色を感じられて、不透明ながらに繋がりを感じられたのに。

 どうしてこんなことになってしまったのか……。


 敵拠点、最後の戦い。どれもこれも意味が分からず、ランゼの幼い怒りもピークを迎えた。

「愚兄、貴方は間違っている」

「だろうな。しかし、これが俺の選択だ」

「どうしてそんな姿で戻ってきたのです?裏切りも世界征服も、第一王子のまま始めても良かったはずなのに」

 互いの得物が軋み合う。ランゼは露わな胸郭が放つ光に怯まず、瞬きも捨てる。

「俺のことが嫌いになったか?」

「昔からずっと嫌いです」

「お前はまだ幼いから分からんだろうが、事情があるんだよ」

「だからそれが何なのかを教えろって言ってんですよ!」

「……優しさを手放すためだと思う。英雄のままカームズを滅ぼすのが何となく嫌だった。だから、母上も俺の手で殺めた」

 ランゼの頭こそ爆発寸前だった。タクトの言葉が脳まで行き届いた瞬間に腕力が増幅されて押し負かし、吹き飛ばした。

「何も変わってない……。何も変われないんですよ、私たちは!ずっと半端なまま……『狂奔』なんて出来やしない!生まれてから死ぬまで、誰と出会っても、何を感じても、いくつ機会を貰っても……ずっと螺旋を彷徨い続けるだけだ!自由になどなれやしない!」

 叫びが広いフロアに反響する。この場を支配するのはランゼだが、頼りなく揺らいでいるのもランゼだった。

「半端者……」

 起き上がろうとするタクトをランゼは蔑む。タクトは「お前も同じ」だとは言わず、今にも泣き出しそうな妹と真摯に向き合う。

 ランゼの主張はタクトの痛点だった。正統性やポジティブシンキングなど最早どうでもよく、『半端者』というのも自覚している。

 自己の限界を知りたい。そのためだけに世界へ喧嘩を売る。

 しかし、手放せないものがあったのも事実だ。この決闘も理想の展開だが……これまでの、どこかの場面で、ランゼに退場してもらった方が半端者を脱却する分には都合が良かったのだから。

「ランゼ、だが『狂奔』こそがお前の本質だ。お前はまだ幼いから受け入れられないだけで――」

「知るか!いつまで子供扱いしている!街も村も草原も塔も全て私のものだ!私が決める!ランゼ・カームズは、カームズとランページの誇り高き者たちの導き手だ!」

 相手が体勢を整えるまで攻撃しない主義のランゼだが、賊にまで情けをかけるつもりはない。

 何より決闘である前に戦争だから迷わずに済んだ。容赦なく突きを連発、タクトは猛攻を防ぎ切れずに傷を負っていく。

「お前たちは認めない!お望み通りここで格の違いを教えてやる!」

「いいぞ、お前は正しい!それでこそだ!」

「違う!私は正しくない!……ずっと迷子なんだ!」

 涙を散らして振るう槍は、実は軽く、タクトも巻き返すことが可能だった。

 しかし、妹にそんな顔をされては本気を出せず、タクトは力負けして剣を飛ばされるフリをした。

 ランゼは嗚咽しながら得物を無くした敵に矛先を向ける。タクトは抵抗せず、身を差し出すように両手を広げて敗北を認めた。

「泣くなよ。夢が叶ったのに」

「だって……」

「ランゼ、『狂奔』とは戦いに限った話でもないだろう?お前は誰の『未来』を守りたくてここまで来た?」

「それは……」

 これまで自分を守ってくれていた皆の、惨劇の外側にある温かい微笑みが脳裏に浮かんだ。

「どれだけ躊躇わないか、ではなく、何に奔れるか、だろ?まあ、俺も今さっき気付いたわけだがな」

「分かるのですか?私の変化が」

「当然だ。俺は『天秤』……見誤るはずもない」

 理想のため、生者の尊厳を自ら放棄した青年は、夢破れてもなお賢者の姿勢を貫く。

 本当に馬鹿過ぎる。しかし、それでこそ彼なのだと思う。

 全てに呆れ果て、ランゼは駄目な兄貴の我が儘に振り回される妹らしく、仕方ないように要石を砕いた。

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