天秤・螺旋 Ⅱ

 タクトはランゼの殺気を受けてしたり顔になる。全て予定通り。剣を抜き、鞘を放り捨てた。

「ランゼ、俺に勝てば全てが手に入る。世界を変えられる。流れの末子とはいえ、お前は王の器に違いないのだから」

 細い首に剣先を向けられたランゼは眉間に皺を寄せた。

 両者ジリジリと距離を詰め、間合いを窺う。

 そして、互いの鋼が空間に音を響かせて衝突し合った。

 現在のカームズ最強であるランゼ。全盛期の騎士団を率いたタクト。

 実力だけならランゼの方が上手。数秒での決着とはいかずとも、ランゼの槍捌きはタクトの技量を以てしても敵わないのが事実。

 しかし、互いに無傷とはいえタクトが優勢だった。ランゼの突きを、払いを、体術を、一本の剣で軽くやり過ごしている。

「俺のは本物だろう?」

 切っ先を、上身を、時にはグリップエンドまで駆使してランゼを追い詰める。「何故それを!?」と動揺するランゼに「考えることは同じだな」と嘲る余裕もあった。

 ザイを失い、忘却を明かされた今のランゼは、タクトの理想とするものではない。

 最も肝心なその部分が不安定では面白くない。得物を弾き後退したタクトは、充実から程遠いランゼの様相に思わず溜め息を吐いた。

 ランゼを庇護してきた大人たちも、同い年の悪友たちも、タクトには到底及ばない。誰もが疑うランゼの根底にある魂の形をこの天才はとうに見抜いており、未だそれを曝け出すことの出来ないランゼが残念で、見当違いだった。

「ランゼ、何を苦戦している?俺とお前を秤にかけた場合、勝つのはお前と決まっているはずだろうに」

「は、はい……?」

 ランゼは当惑。同格との打ち合いも経験があるとはいえ、これほど早くに疲労を感じたことはない。魔法か何かにより弱体化されているのではないかと疑うも、そういった雑念が自分を弱らせるのだと思い、激しく首を振った。

 そのように惑う様がランゼの器を知るタクトにとって見過ごせないもので、いよいよ怒りまで込み上げてくる。

「これだけ機会を与えてもその様か……。当たり前だろう?まさか一つも分からずにここまで来たのか?全て自分の努力、根拠無しの強運だけでフルーガの牙を逃れ、ミナを退け、爆発を回避し、最後の舞台まで来られたと……本気で思い上がっているわけではあるまいな?」

「運だけでそこまでやれるはずがありません。クロス、オルダル、ザイ……皆の協力があったからです」

「違うな。主役はお前か俺だ。他は関係ない」

「何ですって?」

 槍の先端が微振動を起こす。心臓を掴まれたような、こんな感覚も過去には無い。

 これが実戦……。あるいは未知の、グカとも違う別の悍ましさを予期しての反応なのか。ようやく決戦の地に辿り着いたというのに、ランゼは鳥籠に囚われていた頃の鬱屈を思い出して結局弱った。

「お前をここまで連れてきたのは俺だ。俺はお前が両国の架け橋だからではなく、個人として特別な存在だと見抜いていた。それなら決めねばな。互いに万全の状態で。……『天秤』はきっと俺を弾くだろう。悪いがこの決闘のオチまで俺には見えている。だがな、俺はお前が真に時代の勝者足り得るのかを確かめねばならなかった。結果は分かっているが、結論はまだ出していない。だから、全てを利用してこの舞台を整える必要があったのだ」

 握り拳で、語る言葉にも熱を込めるタクト。

 ランゼの知らない一面だった。タクト王子はいつも、まるで未来が見えているかのように何事にも焦らず飄々としていた。父や上の弟相手には冷めた態度も窺えたが、少なくともこれほど本気になった彼を見たことがない。

 戦争は過程かつ手段。自分と、見込みのある妹を比較することが主題なのだ。

 戦いに生き、やがて散る男たちを敬愛するランゼにとってこれほどの侮辱もなく、自分が巻き込まれているからには無視できない。決闘であるからには彼の言い分を聞かなくてはならなくなった。

「俺とグカが結託したのは海の向こうで賊とやり合っていた頃だ。絶え間なく戦い続けていたわけじゃないのは知っているだろう?途中、何度か城に戻っていたからな。グカは滅んだランページ国の復活と大陸への侵略を目論んでいた。このジジイ、お前と違って複雑だから本音を引き出すのに時間を要したよ。腹黒さだけなら六年前の初見で察していたがな」

「私としてはこの島国の全てを利用し、改めてランゼ様を洗脳してランページ国の王家諸共を復活させるのが当初の企てでした。タクト王子も、キリが良いところで捨てるつもりだった」

 ランゼとタクトが衝突する間に空洞から外の戦況を眺めていたグカが答えた。

「これほどチンケで、誰が相手でも勝てるつまらん離島などで一生を終えるのは御免だった。海を渡り、本物の戦火を浴びることで決心がついた。俺は勝負がしたい。この身でどこまでやれるのか、俺の上を取れる奴が世界にどれだけいるのかを思い知りたいんだよ。思想は違うが道は同じだった。それでグカと手を組むことにしたのさ」

 ランゼを自分より格上と認めるタクトだが、それでもランゼのみならず、無限の可能性が待つ『未来』に期待している。

 曖昧で、とにかく迷惑な話だが、タクトの夢想がランゼには共感できてしまい、否定の言葉も思い付かない。

「ランゼ、お前は架け橋だ。お前を殺した後でこの『名もなき島国』を滅ぼす。ザイがいない今、草原の兵たちも不死の獣たちにいずれは食われる。ランページ村は潰えたからカームズ領内にも侵攻可能。救助された村人には何も出来ん。グカの言う通り無力な雑魚。そこに獣の群れだ。今度こそカームズの民も許さないだろう。お前たちの負けだ」

「さっきは私が勝つと言っていたはずですけど……」

「お前が覚悟を決めればな。しかし、俺の見込み違いか、どうも昔ほど頭が回らなくてな。期待外れだったようだ」

「さっきから言いたい放題に……」

「思い込みが激しいなどのニュアンスで諌められたことが多いはずだ。お前が敵拠点の中枢まで来られたのは、お前とお前の周囲の努力によるものではない。そも、お前は努力が報われない苦労など知らんだろう?俺もそれほど知らん。……全て俺の狙い通り。『狂奔のランゼ』よ、お前は大人たちに利用されていたことにも気付かず、要所で感情を揺さぶられていただけに過ぎん。ただ翻弄されていただけだ。苦労ではなく、全て誤解だ。村でフルーガに殺されかけていたが、俺はあの時既に待機していた。ザイが来なくてもフルーガを止めることは出来た。ミナがお前に会いに行ったのも知っている。あの女は昔ほど強くないから返り討ちは容易だっただろう?草原の獣たちは今更だな。そして、一階の魔法使い共は――」

「事情は聞きました。けど、私も殺すつもりでしたよね?」

「ザイを排除するためだ。爆発の前に予備動作も見せてやっただろう?お前も大概だが、ザイもお前の本当の幸福を理解している。だから、お前だけは無事にここまで送り届けると信じられた。全て俺の思い通りになったよ。ご苦労様」

 全て。自分も、自分が信じた男たちも、全てタクトの思惑通りに動いていたのだ。

 魔法よりも理知的で、彼の有能さと自分たちの愚かさを思い知る。

 猛進でタクトの胸を狙うも躱され、わざと作った隙も……見送られてしまう。勢い余って転びかけるランゼは、憤怒と羞恥の反動から最後の問いを投げた。

「私の『狂奔』とは何ですか!?兄上の『天秤』も『螺旋』『双頭』……『報国』も、それらは一体何か!?どうして私はその言葉を受けた時に、体が痺れるような、それでいて心地の良い気分に浸かれたのか!?」

「……」

「答えろ!お兄ちゃん!」

 怒鳴っても貴公子は答えなかった。彼は窓辺の同志に目を向けて「それを見つけるのには苦労した」とだけ言った。

 ランゼも釣られてグカを窺う。先程のように悍ましい相貌に化けるものと思っていたが、老人の顔はひたすらに、それこそ今生での務めを果たし終えたように満ち足りていた。

「ランゼ様、それらの単語は各々の魂の本質です。これはランページ国に古くからある簡易的な魂の救済措置にございます。救済ではなく解放と言い換えてもよろしい。あるいは、お守りとも。元より隣国と呼べる異なる文化の友を持たない我々は情弱ばかりだった。ここと違って。それ故に自身の本質を見出すことで覚醒を促してきたのです。『狂奔』と言われてそのような刺激を感じたのであれば、それが貴女の本質ということ。我々でも見出せなかった貴女様の正体をタクト王子は看破してみせた。恐るべき慧眼だ。とても敵には回せない」

「兄上はカームズ国の人間です。生まれは関係ない?」

「いや、ある。俺はお前たちのように魂の単語を見出しても何も感じなかった。俺は今も螺旋の中にいる。限界に挑み、敗れない限りは答えを得られないだろうな」

 タクトが天へと剣を掲げて、改めてランゼに向ける。

 答えを持たず、おまじないも無いとはいえ、目的だけは明確だから活き活きとしている。

 ランゼも姿勢を低くして穿つ構えに入った。決着はもうじき着く。互いにそう感じた。

「……『天秤』とはどういう意味ですか?」

「それが俺の本質かどうかは定かじゃないがな。しかし、螺旋ジジイにそう言われて納得した。俺は海の向こうの戦場で覚醒した。正しい者を勝たせ、悪しき者を裁いてきた。それだけじゃない。あらゆる場面で俺は誰かと誰かを比較してきたんだよ。お前もそうだ。お前という天才が化けるために俺は弟共の尊厳を踏みにじることにした。毛ほどの罪悪感も無しにな」

「何ですかその適当な感じ……。比較なんて、誰もがやることのはずです」

「そうだ。その究極形が俺ということだ。何故なら最後に笑うのは俺と決まっているからな。だから『比較』などではなく、より高みより世界の有象無象を試す『天の秤』こそが相応しい。文句があるならさっさと引きずり下ろしてみせろ!」

 自らを神のように誇張するタクトを、その有象無象は傲慢か異常として捉えるだろうが、ランゼには「そういうものか」という納得があった。

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