天秤・螺旋 Ⅰ

 二階へ運ばれるランゼは光に包まれた一階を見下ろして叫ぶしかなかった。

 ザイでもタダで済む爆発ではない。シュール過ぎるほど長く二階へ着くまで待たされると、やがて冷静になり、ついさっき自分がやったように人の命とはあっさり散るものなのだと痛感し、ザイとの縁が終わってしまったと悟る。

 ランゼにとって経験のない情動で、自分は今どのようにしていれば良いのかさえ分からなくなる。

 オルダルを始めとする大人たちとの揉め合いなど、本当に些事だったのだ。

 第二王子に虐められているシャンナを発見した際には、制御できない怒りに体を乗っ取られたものだが、それは自分の大切な存在が貶されていたからだと理由が付く。

 ザイの喪失には激しく動揺している自覚が持てる。彼はきっと生きている。そのように考えることは出来ないのに。

 最強の騎士・ザイとは、憧れていた英雄であり、特別な関係ではないはず。

 それで何故、これほど追い詰められたようになるのか。伽藍洞を魔法陣に乗り見送るだけというのに、ランゼは少しパニックになり、前後左右あらゆる方角をぼやけた視界で警戒した。

「どうして……こんなに?ザイは……私の……なに?」

 独り呟く声が尋常じゃないほど震えていて、それが怖かった。槍を握る右手の汗は酷く、これでは決闘の最中に滑ってしまうかもなー……などと呑気なフリをして、黙ると肩が震えた。

 戦場へ臨む。正義としてタクトとグカを処断する。ランゼの理想で、既に半分は叶っていること。

 夢心地というのが今現在を言うのなら、それは吐き気のする最低な味だった。塔に入るまでは戦場の息吹に癒しを得られていたというのに、爆ぜる前の自分などもう思い出せもしない。思い出したくもない。

 一階は無くなったのだ。帰還する方法を考えなくてはならない。

 いや、まずはタクトとグカを始末することに専念すべきだ。何か秘策を隠し持っているだろうから油断できない。

 秘密はバレていないか。シャンナとクロスは今なにをしているのか。

 どうして失うのがこれほど寂しいのか。

 ……気持ちが定まらない。

 ランゼは二階に到着しても魔法陣から降りずにザイを想っていた。タクトが「妹、起きてるかー?」と声を掛けても、心ここにあらずの状態で。

「少し待つか」

「はぁ」

 少し待ってくれるようなので、遠慮せず気持ちの整理と原因の解明に時間を使った。

 この島に渡って以降、ザイと対面した回数は指で数え切れるほどしかない。

 昨夜の闘技場にて、主従とは少し異なる形ながらも繋がることが叶ったが、それも互いの心が元から同じ方を向いていたから円滑化したに過ぎない。

 よって、彼との思い出は特にない。観客席から見た、舞台に立つ彼の姿ばかりが思い出される。

「……あっ」

 彼について考えると、自分のことを想ってくれていた古い侍女が脳裏によぎる。それがきっかけでランゼは見落としに気付いた。

 海を渡る以前の段階でも、自分には九年の時間があった。

 物心がつく前まで含めるのはミナ以上に強烈だが、印象に残っていないか、振り返る余裕がなかっただけで、自分は過去に……。

「グカ、ランページ、私、ザイ」

「む?……ああ」

 四単語のみでランゼの意図を理解するあたり衰え知らず。タクトはすぐに決闘へ進む心構えだったため、大きく欠伸をした。

「貴女様は幼い頃にザイと会っています。いや、会っているなどでは足りない。まるで恋をするように彼との鍛錬を日々楽しんでおられた。ミナが激しく嫉妬していた」

「本当ですか?どうしても思い出せません。ザイが今さっき死んだかもしれないのですが、それだけで突然のセンチメンタルです」

「おー、ちゃんと爆発を浴びてくれたのか!ザイは俺が見た中で最強の男だからな。仕留めるにはあれくらいやる必要があった。あいつには何人束になっても敵わない。それは戦後の闘技場でテストして分かった」

「兄上は黙ってて。それで?」

 最大の敵はタクトだが、一番の気掛かりを解消するのに彼は関係ないはず。ランゼは唇をアヒルにする兄を放ってグカに注目する。

 グカとしては心底痛快な状況なのだが、笑いの間合いが常人と異なるため厳かなままだった。

「操作ですよ。記憶の催眠と言う方が正しいか。戦火を逃れる前、ランゼ様にはザイと過ごした思い出を全て忘れてもらいました」

「許し難い話ですね……」

「いえ、ランゼ様が悪い。幼い貴女様はカームズの末子になって以降を凌ぐレベルで我が儘だったもので、賊軍に侵略された時などザイと共に戦うと言って止まなかったのです。そんな死に急ぎの馬鹿娘だろうと、貴女様の父君からすれば未来への希望だ。命だけでなく心も守るため、仕方なく狂気の一端でもあったザイのことを忘れてもらう他なかったのです」

「あ、あれ?本当に私が悪いみたいです……」

「結果は成功。ミナを始め、一部は洗脳に反対しましたが、やる気になっていた貴女様を止めるにはあのようにする他なかった。結局、抵抗する貴女様を押さえ付けたのもミナですがね」

「ミナが私を……」

「未だ全てを思い出すには至っていないご様子。しかし、彼を特別に想う残滓までは消滅し得ない。貴女様が珍しく弱っている原因に違いないでしょう」

 ランページ国が滅ぶ前までの、ザイとの思い出に蓋を被せられている。それでもザイを特別視する理由としては十分だった。

 魔法の底知れなさを、底知れないと断じ、ランゼは納得して鳥肌が立つ。

「よく私を制御できたものです」

「ランゼ様は立派になられた。再度の洗脳はもう無理でしょう。……拘束する前の、自分が逃がされると知った時の貴女様の暴れようは今でも鮮明に覚えていますよ。ランゼ姫は九歳の時点でも戦力足り得ると、貴女様自身が自覚していた。娘の未来を想う父君に対して『臆病者』と連呼しておられたなぁ……」

「そんなことより、私のザイに対する想いはそれほどだったのですか?」

「貴女様だけでなく、ザイの性からして忘却は最適な手段だったのですよ。何故なら彼は……まだ九歳だった貴女様の出陣に賛成していたのでね」

 衝撃を受けて、ランゼは彼の発言を振り返る。カームズ時代では数少ない、それでも印象に残るいくつかのやり取りを。

 すると、一つの推測が浮かび上がってきた。彼は従者や臣と違って戦うことが専門だが、それでも騎士や衛兵とも違う観点を持っていたように思える。

『ランゼ』だから、共に戦う。それは嘘ではないと信じられる。

 しかし彼は、まだ自分に明かしていない、本当の『正しい闘争』をひた隠しているのではないか……?

「ザイは……私のことをどう想っているのでしょう……」

「「若いなぁ」」

 不惑のザイを、問い質さなくてはならない。

 だが、それを果たす未来がどこにも無いかもしれず、胸を締め付けるような痛みに苛まれる。話の流れから敵たちは大きく誤解した。

「老骨への質問はもうよろしいか?それならタクト王子との雌雄を決していただいて――」

「あとは獣化のことです」

 意外だった。タクトはランゼ以上に彼女の本質を理解しているため、今のは予想できなかった。

「人から獣へ変貌する経過については別にどうでもいいです。魔法には関心もありませんので。それよりも外の獣たちです。彼らは、元はランページ村の人々ですね?」

「はい」

 猟奇犯罪者は悪びれもせず認める。

「彼らを獣にする必要は、そもそもあったのでしょうか?カームズ人をまとめて洗脳でもすればあっという間に島を落とせたはずです」

「いえ、カームズ人は洗脳できません。理不尽なまでに彼らは生者としての格が高いのです。獣化も、死者しか出来ない。黒い獣をカームズ領内に出現させようにも見つかるリスクが高く、あの一度切りしか叶わなかった。警備が厳重でしたからな。それに、昨日まではランページ村が障害となり侵攻も不可能だった。……それで、村人を獣に選んだ理由ですが――」

 グカの硬い口角が砕けたように歪む。ランゼもタクトも自分を曝け出したが、グカの秘めていた狂気とはこれなのだ。


「この下らない島国を滅ぼした後で私とタクト王子は海を渡り、再び大陸にランページ国の御旗を立てる。しかし、同じ志を持つ仲間たちは全て殺されてしまった……。今や共存などという温い言葉に惑わされて、何もせず静かに余生を送るなどと抜かす売国奴ばかり。であれば何も迷うことはなかった。どうせ死ぬだけなのだろう?何もやらないのだろう?それならいつ死のうと同じではないか。甘えるな!我々は生きるために逃れたのではない!復活の時に備えていただけだ!この、タクト王子という国境なき天才が現れるまでな!」


 誰よりもランページ国の誇りを滾らせてきた。いずれ必ず巻き返すという決意を胸に。

 残虐ながらも意志の伝わるグカにランゼも気圧される。常人であればその手段を糾弾するところ、ランゼは「道理で獣たちは鈍いわけです」と挑発。グカは「仰る通り」と大笑して続けた。

「所詮は捨て駒に過ぎません。船にも乗せられないので、どう転んでも奴らに未来はない」

「強がりですね。こっちの軍が思いのほか強くて動揺しているのでは?」

「貴女が信じた男たちの実力と精神は知っています。素晴らしい。尊敬に値する。しかし、ザイを外に残さなかったのは失敗でしたな。あれらは根本的な問題を解決しない限り何度でも再起動するようになっています。臓物の中に要石をあらかじめ仕込んでおいたのでね。停止しても、しばらくすれば動き出します」

「馬鹿な……」

 ランゼは急ぎ空洞から草原を見下ろした。

 まだ死者は出ていないようだが、最初と比べて軍勢の動きが鈍い。ジョンクたちの仕留めた獣が、ゆっくりと起き上がる瞬間を確認した。

「まずい……」

 呑気に語っている場合ではなかったのだ。焦るランゼに二人がほくそ笑む。

「戦いの魅力は私には理解し難い。ですが、必要不可欠な要素だと確信しました」

「何ですって?」

「準備段階の方が好きでしてね。自分たちは何故進んで塔へ移動しているのか、地下へ追い遣られた自分たちがこれからどうなるのか。何も分からぬまま不細工な獣へ変貌していく馬鹿共の悲鳴は……美術でした。私は『螺旋のグカ』だ。実験!悲鳴!実験!悲鳴!……何度も繰り返し、ランページ国に仇為す者全てを終わらぬ拷問へ誘う。私こそが歯車であり、この物語を操作していたのも私なのだ!」

 グカは残る三階の天井を見上げた。ランゼからして先程の代表者と重なるも、充足の理由はあまりにも邪悪だった。

「想い人がまだ生き残っている者の慟哭が特に良かった。ミナですよ、ランゼ様。彼女はただ蘇生しただけですが、ランゼ様との思い出を一部削除したと嘘を吐いてみた時の反応は面白かった」

 ランゼは臓物が焦げるように憤る。その際の表情もグカを刺激して止まなかった。

「ザイが落ちた地下には獣の失敗作を大量に放置してあります。無害とはいえ数が多い。海へ出る洞窟に繋がっているも、その前に踏み潰される。心が折れる。何より爆発からの落下で決死。良くても致命傷は免れない。ランゼ様の失われた初恋は、ランゼ様の心配通りに終わったのです」

「もういい。いずれにしろお前たちもここで終わりだ」

 透き通るような殺意もなく、ランゼは純粋な怒りを槍に纏わせた。

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