狂奔 Ⅰ

 そういったこれまでを経て、ランゼと彼女を信じた者たちは夜明けの草原を疾走している。

 小さな島に、反対の拠点から見える敵の根城。獣の数は三十まで増えた。

 うち一匹を仕留めても戦況に変化など起きず、聳える『蛇の塔』は依然、主格たちも出てこない。

 黒い獣はカームズ人のみを狙う。そして、知性もある。ランゼの率いる軍勢がランページ人のみで構成されていれば、あるいはすんなりと塔へ入れたのかもしれない。

 だが、これは決戦であり、殲滅戦。開戦前にランゼ、ザイ、オルダルを中心にして開いた会議でも「塔のどこかに隠れているタクト王子とグカを討ち取れば勝ちというわけではない」と念が押された。

 昨日、その主格から聞いた数より増えた残り二十九……二十八……二十七……全ての獣をここで始末しなくてはならない。

 そのためにカームズの騎士と衛兵は囮として獣を猛らせるために働く。

 カームズ人が引き付け、隙を見せた獣をランページの騎士が仕留めに掛かる。ザイは一撃で首を落とせるが、他の騎士たちは手練れとはいえ一撃必殺は無理。パターンを何度も繰り返してようやく死に至らしめる。

 巧みだ……と、感嘆したのはランゼとオルダル、衛兵たちだった。

 カームズの騎士とランページの騎士は海の向こうで既に共闘している。ランゼたちの想像以上に互いの呼吸を合わせのが上手かった。

 当時のカームズ騎士団を支えたベテラン勢はもういないが、あの日から今日まで生き延びてきた若手は一人として役割をこなすことに迷いがない。

 それぞれ多少なり復讐の念を抱えてはいるものの、今はただ国のために、愛する誰かのために最善を尽くす。特に両国の騎士はこのような聖戦に臨める機会を待ち焦がれていたため、充実を感じて細かな諍いなど忘れていた。

 獣を五匹討伐。尻尾がかすったり、風圧を受けて転がる者はいても負傷するほどではない。ランページの騎士などは鎧に感謝していた。

 全くの快調。特に実戦での連携に慣れた者たちの威勢は後に続く経験浅い衛兵の士気も高めた。

 獣が迫り、騎士たちの支援が遅れても誰も臆さなかった。

「ジョンク!ビスタン!」

 ランゼはザイとオルダルを連れて塔の入り口へひた走る。無敵のアドバンテージから背後を窺う余裕もあり、獣の一部が後続の彼らを襲う瞬間を目撃してしまう。

「振り返るな!」

 オルダルがランゼにそう叫ぶも、戦いの中でこそ幸せを感じられると断定した少女でもやはり『譲れないもの』は心配か……と感心した。

 歪な展開とはいえ、亡き友の想いを引き継ぎ、必ず生還させると独り誓った。



 ジョンクとビスタンを狙う一匹が高く飛び、二人をまとめて食らう勢いで襲ってきた。

 寸前でそれを回避した二人は、左右から獣を囲う形で走る。他の衛兵たちも疎らかつ不規則に走り回るため、考える脳があるからこそ獣はどれから食らうべきか迷い、ランページの騎士に不意を突かれた。

 それだけでは絶命に至らず、血飛沫を吹く獣が天へ絶叫するところ、囮役を無視して衛兵コンビが攻勢に入り、それぞれの剣を獣の急所に刺し込む。獣は息絶えて、ゆっくりと目蓋を閉じた。

「ビスタンとジョンク、仕留めました!」

「ウオオオオオ!俺たち結構やれんじゃん!」

 普段ならボルテス衛兵隊長の雷が落ちる場面だが、彼は街に残っている。

 一応、両国の大人たちは逸る少年二人を咎めたが、次の獣が迫ってきているため、大人の体制を保っておく余裕もあまりなく、若者ながらランゼと同様に業火へ飛び込んでいく蛮勇の持ち主なのだと諦め、内心では「怖いもの知らずに勝る勇気もない」と評価を改めた。

「行ってこい!ランゼ!」

「ここはお任せを!」

 世間からは狂人だの災厄の元凶だのと酷評されてきたが、断じてそれだけではないと、彼女を庇護してきた大人たちよりも早くランゼの魅力に気付いていた少年たちは、彼女がこちらを振り返ったことにも気付いていた。

 ジョンクとビスタンは、戦争も、両国の諍いも、正直よく分かっていない。深く考えたこともない。

 ランゼという面白い少女との思い出が二人にとっての『譲れないもの』だから、それを守るためだけに飛び込んでみせたのだ。

 塔へ挑む背中を見届ける。あれほど揚々としているランゼを初めて見た。命を賭ける価値があったのだと確信した。



 少年たちから激励を受けても振り返らず、獣の群れを割って抜ける。ランゼとザイは素通り出来るが、オルダルの存在により獣たちは道を開けながらも総じて唸っていた。

 獣たちは外に残る兵たちに任せて、三人は塔の入り口に迫った。

 門番のように一匹だけが立ち塞がった。それもこちらを襲うことは出来ず、進んで始末に掛かろうとするランゼをザイの大きな手が制す。黒ずくめの鎧で跳躍して大斧を振り下ろし、門番を狩った。

 巨大な獣故に出血量も尋常でなく、ランゼたちが通過する入り口も赤いインクに塗れて各々の靴を濡らした。

 ザイとしては陰鬱な気分だった。無抵抗の獣を殺害することが。

『双頭のミナ』『螺旋のグカ』『天秤のタクト』

 敵の主格たちは自分たちに対して明らかな敵意と悪意があるため、タクト王子も含めて躊躇うことはない。純粋に敵として排除できる。

 しかし、獣たちは違う。彼らは死後、あるいは生きているうちに獣へ変貌させられたランページ人で、いかにカームズ国にとって危険な思想の持ち主だったかなども不明。

 ランゼとザイにとって黒き獣たちは本来殺すべき敵ではなく、守らなくてはならない民なのだ。

 ……その、人の心があれば必ず行き着くこの戦いの残酷な要素について、ランゼはここまで来てようやく気が付いた。

 獣たちと戦うカームズ勢も獣の正体には察しがついている。だからこそ迷っていては自分が狩られてしまうため、覚悟を決めなくてはならないものの、心はやはり痛む。

 しかし、一番槍を得た時のランゼには……。


 本当に、快感しかなかったのだ。


「白い獣もいないな」

 二人の境遇を汲んで話題を選ぶオルダルだが、ランゼの狂気には鈍感だった。

 塔の内部。広い円形の空間は石造りに思えるも、真実は不明。

 一階にタクトたちはいない。白い獣はここにも外にもいなかった。

「進みましょう。彼らなら全て知っているかもしれません」

 ランゼはまだ幼かった。ザイも分野外の魔法には詳しくない。

 それでもフロアの奥で妖しく光っている魔法陣を使えば遠い天井に空いた空洞を抜けられる仕組みになっているのは、オルダルでも分かることだった。

 魔法陣を利用するには、その前に並び立つ高齢の魔法使いたちを退けなくてはならない。

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