従者 Ⅲ

 カームズ側の全戦力を以て敵拠点へ挑む。至ってシンプルな突撃作戦だ。

 決戦前ながらも城内の警備は甘い。明日の戦いに参加する者の大半が英気を養っているため、ランゼの計画は滞りなく進んだ。

 オルダルにはやはり怒られた。事前に伝えておかなかったこと、勝手に敵の主格と交戦したことにより「王の行動ではない」などと罵声を浴びせられた。

 子供の無謀として咎められることはなかった。別れ際に「今日はもう休めよ」と言われ、幼い頃でさえそのように気遣われた覚えがないランゼは、オルダルの配慮を奇妙と捉え、逃げるように寝室へ移った。

『秘密』に関しては昔の寝室を利用している。クロスとシャンナが付きっ切りで留まるため、決着がつくまでの間は他にバレることもないはず。

 夜明けまで余裕があったはずも、多くの時間を消費した。ランゼは慌てて体を洗い、シャンナが用意してくれた食事を平らげてベッドに入った。

 理想郷へ到達する前夜。人生最大の日になると予想すれば眠りに就くのが惜しくなる。

 しかし、戦場から離れた今のランゼは頭の足りない十五歳の箱入り娘でしかないため、歯を磨き忘れたことよりも一夜のうちに溜まった疲労を実感して微睡みの方へ……。



 決戦の朝。上空はまだ暗いが、地平線には闇夜を払う陽光が存在をチラつかせている。

 まだ朝ではなく夜と言える。朝になったら例の寝室にいるシャンナが起きしに来る手筈だが、夜のうちにランゼは起床した。

 シャンナにも村と浜での顛末を説明したが、出立の準備を手伝わせれば更に心を痛めると思い、何も言わずに城を出ると決めていた。

 この戦いを以てランゼは死ぬかもしれない。そうなればシャンナは第三王子・コヨークに続き、またも大切な人を失うことになる。それなら戦地へ向かう後ろ姿を見せない方が負担を抑えられると、ランゼの解釈によりそうなった。

 クロスには「シャンナを騙す」と明言していた。礼服に着替えて廊下へ出たランゼの前に、壁に寄り掛かり腕組む彼の姿があった。

「いよいよですね。外でオルダル殿がお待ちです」

 寝起きはいつも不機嫌なランゼだが、戦いの前ということで頭が冴えている。クロスとしては悟られないようにしていたが、少し様子がおかしいと見抜く。

 彼を教育係に指名し、従者として供をさせてきて良かったと、心から思ったのはこの時だ。

「これを。万全の状態です」

 クロスから槍を託される。名手と謳われた彼の所有物だと知ったのは昨晩だが、その彼から整備された槍を直接手渡されることを誉れに思い、ランページの騎士たちと同じく両手で神妙に権利を受け継いだ。

「さて、またしても槍を奪われてしまったわけですが、私はどうしたものか」

 いつものおとぼけか本気か、判別が難しい。それでもランゼは真面目に向き合う。

 こんなやり取りも、もしかしたら最後になるかもしれない。そんな切なさに駆られて。

「クロス、貴方は残りなさい」

「おや?私はランゼ様より前に立たされるのではなかったのですか?」

「オルダルも出るのです。貴方まで城を離れては戦えない者たちに重責を負わせることになってしまいます」

「私は貴女様と違って争いを好まないのでね、留守番は望むところです。しかし、カームズ国が敗れた場合は地獄ですな。ここは最深部です。国が滅ぶ様を見届ける羽目になってしまう」

「侵略された場合は貴方がどうにかしてください。あと、ボルテス隊長を街に配置するので、その時が来たら仲良くするように。少なくともシャンナだけは必ず守り切りなさい」

「逃げる術もあるにはありますからな。それはそうですが、まず勝利してください」

「それはそうです」

 健全で平穏な国の、異端児たちが邪悪な笑みを重ねる。

 それで最後。時間を掛けるとシャンナどころか残る臣たちにも疑われるため、ランゼはクロスと別れて街に出て、廃村に集う兵たちと合流する。

「行ってきます」

「ええ。どうぞ、ご存分に」

 無理をなさらずに。ご無事で。……。

 ランゼの従者であるからには案じる言葉など口にしてはならない。そのような本心があるとしてもだ。

 愉快に皺を深めるクロスに欺かれて悟れず、ランゼは立ち去った。

 一本道の廊下を行く少女はまだ十五歳で、実戦も昨晩切り。

 それでも、その背中には『未来』を切り開く力があると、彼女や、彼女がこれから討つ彼のように一線を越えられず同じ場所に留まる道を歩んできた異分子は、若者に国の未来を託すことへの情けなさよりも嫉妬が勝っていた。

 ……そんな妬みも下らない。彼女のようにもっと素直で良かったのだと、すぐに思い知らされる。

「クロス!」

「はい?」

 突き当たりまで進むも、ランゼが駆け足で戻ってきた。物騒とは無縁な、豊かに暮らす少女らしさが垣間見えてクロスは戸惑った。

「ランゼ様、忘れ物ですかな?」

「うん、忘れ物!」

 そう言うランゼは、本当にいつも通りの悪童の笑みだった。

 正門での邂逅、高台での語らい、その後のあらゆる出来事を思い出すクロス。軟禁生活とは思えないほど可能な範囲で好き勝手にやってきた、愉快過ぎた日常を。

 耽るクロスの目を覚ますか、あるいは更に夢心地へ誘うように……。


 ランゼはゆらりと密着して、彼の頬に口付けした。


 唇を離した後、ランゼは赤面を隠すために戻ってきた時みたく廊下を駆けていった。

「生きて帰ってきなさい!」

 戦場に赴く恩人の背中へ。従者としての別れは先に済ませてあるため、今度は『クロス』として、退屈な人生から解放してくれた『ランゼ』の無事を祈った。

 ランゼは振り返らず、天井を刺しかけるギリギリまで槍を掲げて応えた。



 不器用な二人なりの配慮だったが、シャンナにはお見通し。これまで騙されてきた経験が生きて、今回は騙されなかった。

 ランゼの現在の寝室は過去の寝室の隣にある。

 仮眠を済ませたシャンナが起こしに行く手筈で、その裏をかいたつもりでいたランゼとクロスだが、ランゼが響く足音で廊下を駆けるよりも前からシャンナは目覚めていた。

 自分には何も伝えずに発つ気でいたことも、予想していた。

 知った上でシャンナは一方の寝室から飛び出せなかった。引き留めるべきかと惑う間にランゼは行ってしまったのだ。

 窓が破壊されて風通しが良過ぎるこの部屋から外を眺めるも、出掛けるランゼの背中はどこにも見当たらない。

 強制で戦地へ連行されるわけではない。オルダルたちと共に、自ら望んで最後の戦いへ赴く姫君にはきっと躊躇いなど何も無く、ようやく充足を感じられるのだろう。

 それが複雑なのだ。シャンナはクロスや他の誰よりも、ランゼが危ない目に遭うのが嫌いだったから。


 ――早朝に出ますので、その前に起こしてくださいね。


 確かにそう言った彼女が今まで見たこともない充実した顔をしていたから、無理やり袖を引っ張ることも、泣き落としも出来なくなってしまったのだ。

 シャンナほどの被害者はいない。一度たりとも悪事を働かず、誰も欺かず……王族のため、愛しい人たちのために尽くしてきた聖なる侍女こそが、このように独りで悲哀に暮れる。ランゼとクロスは彼女に庇護の心を持ちながらも、やはり本質的に悪のため、完全に安心させる方法までは考えられなかった。

 聞き耳を立てた扉から、開放された窓辺に移る。

 来たる朝と去る夜が混沌とした空。ほとんどが城壁に遮られている景色を見つめてシャンナは落涙。既に喪失した過去がある彼女には、この先の未来を前向きに夢見ることがどうしても難しい。

『シャンナ』にとって『ランゼ』とは、指導者でも救世主でもない。主君というのも何だか違うように思う。

 家族ではないが、家族よりも特別な……譲れないもの。それが相応しい。

 大切に想うほど過去が呼び起こされて、後悔の念に潰されてしまいそうになる。

 この業からシャンナが解放されるには、ランゼが凱旋を遂げる他ない。トラウマを克服するために出来る限りの努力をしてきたシャンナだが、彼女の未来も結局はランゼ次第だ。

「生きて帰ってきなさい……」

 架け橋が両国を繋ぐより前から平和を体現し、その後いかなる騒乱や風評に巻き込まれても変わらずランゼの安らぎを願い続けてきたシャンナは、やはりそう願うばかりだった。

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