従者 Ⅰ

 場所はどこでも良かったのだと思いつつ、目的地ははっきりとしていた。

 誰も手を出さない信用があったとしても、二人きりになれるのが理想だった。クロスにも今回ばかりは「一人で行かせてほしい」と伝えた。

 城内の庭から行ける高台も候補の一つだったが、あそこは隠れスポットのようで意外と目立つのだと思い知った。

 街のどこかともいかず、壁の外に出てしまうと、生き残った村人のための簡易避難場を設置している兵や、協力する民に見つかってしまう。

 彼女であれば閉鎖した王の間にも侵入できるかもしれないが、聖域を荒らしてはせっかくの決戦前というのにまたオルダルに叱られてしまうと考えて独り首を横に振る。

 そのように候補を潰していくと、彼女の経緯と性格からして『そこ』に気付いてくれるのではないかと賭けられた。

 朝はまだ遠いが、断じて暇ではない。地上の自分たちはこれほど時間に追われているというのに、能天気に鎮座する夜空の月と星に幼い怒りが芽生えつつ、誰もいるはずのないその場所へ歩を進めた。

 ランゼは王城の裏手にある岸壁の下の浜辺に来た。

 潮風を浴びて心が落ち着く。夜空で偉そうに瞬く宝石たちにも「悪くない」と掌を返す。軟禁生活の頃から、こういった言葉にし難い風情に好意的だったランゼは自然にほころんだ。自らも吹けば飛ぶような軽さなのだと、自嘲も込めて。

 桟橋には二隻の船がある。

『名もなき島国』だったこの土地に生きる者たちが、ランページ人より前に訪れた先駆者から預かった一隻。

 六年前、亡国が最後の王族や重臣などを連れて現在『蛇の塔』が建つ裏手に流れ着き、その後も闘争と延命のために大海を行き来した一隻。

 これほどまでに両国は憎み合っているというのに、物言わぬ箱舟は世情に無関心なまま仲良く並び、同じ波に巨体を揺らしている。

 あのように、ただ誰かの命を救うために黙って務めを果たし、その後も互いを尊重して寄り添うことは不可能だったのか。

 ランゼですらそのように考えるのだから、喧騒から外れたこの場所に立てば誰であれ今の自分と二隻を重ねることだろう。

 クルーダ王が存命であれば特に嘆くはず。何故、話し合わなかったのか……と。

 息子こそが大波だったこと。島国だけでなく、大陸さえも呑み込む野望を秘めていたこと。自慢の息子だと誇るばかりで、才能の爆発を想定していなかったことを……。

「貴女はどうですか?」

 どれもランゼの想像する臆病者像に過ぎない。問われた『貴女』からすれば突拍子もなく、全くの無関係のはずも……。

「私たちは物以下ね」

 砂浜に優しく足跡を付けてランゼに迫る女性も似たことを考えていたらしく、誰かを嘲笑しながら返答してみせた。

 声だけでも妖艶と分かる相手に振り向く。夜間に黒衣ながらも、空の輝きと、それが反射する水面により視界は十分。期待通り彼女はこの場所に現れた。

 そして、いつもみたくしたたかな笑みを浮かべているようで、実は相当に参っていることすらもランゼの目には明らかとなっている。

「ミナ」

「こんばんは、ランゼ。運命的な再会ね」

 ミナは妖艶な女として振る舞うことに徹した。

 ランページ国が滅ぼされる以前、まだ十年も生きていないランゼと二人きりでいる時こそ異性の欲情を駆り立てる振る舞いを多用してきたが、逆にランゼ以外の相手には無情で、一切隙を見せない女アサシンの典型だった。

 今や極少数しかいないミナの過去を知る者であれば開放的になった彼女の変貌ぶりに仰天するところ、ランゼは一度死んで吹っ切れたのだと思い追及しなかった。

 全てはランゼに嫉妬してもらいたかったから。ミナはランゼに対して特別な感情がある。

 しかし、二人は敵対する運命だった。明日、戦場で相まみえた際には殺し合わなければならない。

 だから、ミナは勿論、ランゼとしてもこの夜が最後なのだ。

「ランゼ、本当に立派になったわ。さっきはごめんなさい。貴女を束縛したこの国の大人たちは正しかった」

「別にいいですよ。気にしてません」

 ランゼとしては単純に出た言葉だが、他に寄る辺の無いミナにとっては凍えるほど冷たく感じた。

「もう分かっているわね。明朝、決戦が始まる。そうなればカームズ勢は全て排除しなくてはならなくなる」

「そうです。だからミナは私の前に現れた。双頭の……復讐や祖国への想いではなく、ただ一つの激情のために」

「そうよ。そして、来た意味は無かったと分かった」

 俯くと前髪に相貌が隠れる。流れる黒髪の美女だけに不気味で、潮騒が彼女の無念を代弁しているようにも思えた。

 それに呑まれるランゼではないが、ミナの不安定な様子には違和感があった。

「ランゼの心は知っている。もうカームズの人間なのね?」

「あの、もしかして闘技場にいました?」

「いいえ。けど、兵や民が貴女に向ける視線には期待が帯び込まれていた。この夜のうちに何もかもが変わった。特に外へ出てきたランページの騎士たちの浮かれた顔なんてねぇ」

「彼らを裏切り者として侮蔑しますか?」

「そんなことはどうだっていい!」

 癇癪を起こした子供みたく怒鳴り、砂浜に深く足跡を残す。

 ミナがいよいよ本性を現すと、これまで大人たちに見せてきた醜態とはこういったものだったのか……と、自分のこれまでを客観視してランゼも恥を知る。

「戻ってきなさい、ランゼ!貴女の心すらもこの際どうだっていいの!とにかく貴女は私と共に安全な場所で生きるべきなのよ!」

「落ち着きなさい、ミナ。私の心が最優先に決まっているでしょうが。それに、その安全な場所というのは勝利した後でのみ辿り着けるはずです」

「いいえ、そんな楽園ここには無いわ!貴女は都合の良い囮として利用されるだけ。これまでも、今も、明日も、この先も!それを幸福とは言わせない。……見なさい!」

 冷静さを身に付けたランゼは、対する元侍女の焦燥を憐れむようになった。やることが決まっている以上、その提案は全く以て無意味なのだが、息を荒げて指差す彼女に渋々付き合う。

「ランページの船とカームズの船があるわね?私とランゼはこれからランページの船に乗ってこの島を脱出する。カームズの船には大量の爆薬を潜ませてあるから使えない。元はタクトたちが大陸へ侵攻するために用意した罠だけど、利用させてもらうわ。大陸を征服するなんて馬鹿みたいな野望もここで終わり!明日の生存競争なんてどっちに転がっても結局無駄なのよ!ご苦労様!」

 激しく咳き込むミナは腹部より上を押さえて苦悶の表情を浮かべる。つい歩み寄ろうとしたが、ランゼは握り拳で止まった。

「ミナ、分かっているでしょう?私はそれをやらない。そして、貴女の理想が果たされる条件といえば、私を気絶・拘束して無理やり拉致する他ありません」

「そんなのイヤ……。でも、そう言うと思ったから今回はこれを持ってきたの」

 荒い息遣いのまま腰に携える双剣の柄を指で叩く。

 この先の展開は分かり切っている。ランゼとしても狙い通りで、結果すら既に見えていた。

「頑固なランゼ。やはり戦うしかないようね」

「やりましょう。ですが、貴女が勝っても私が大陸に渡ることはありません。途中で自害しますので」

「なっ!?……この……!」

「私としてもこの夜にミナと会えて良かった。決闘も理想的です」

「そ、そんなに……?」

「けど、残念ながら貴女の望む展開には決してなり得ません。ご苦労様」

 赤面するミナから、オルダルに論破された時の自分を思い出して朱色がうつる。

 カームズの代表になった自覚はあれど、自分の人生は自分のものだという意識が強い。決戦に間に合わなくなるかもしれない危機的状況だというのに、第一はやはり自分の意志だった。

「やっぱりランゼは異常ね……。そこが刺激的で最高なんだけど……。でも、貴女の軍勢がタクトたちを下すなんて無理に決まっているわ」

「そうでしょうか?互いの戦力を見比べたところ、勝ち目は十分にあると思いますが」

「貴女たちがまだ知らない秘密兵器があるとしたら?」

「それならこっちにもあります」

「嘘ね」

「勿論。敵に真実は教えません」

 不敵な笑みをやり返し、ランゼは奴隷剣闘士用の剣を抜いた。刃が月光を反射すると、その輝きにミナの目も眩む。

 和解は初めから無い。私たちには心があるから、誰かの命を救うだけでは満足できないと、ミナともタクトとも違う『未来』を見据えるランゼは独自に答えを得て十全な心持ちで決闘に臨めた。

 その佇まいはミナの知らない女王の貫録。成長に思わず感極まりかけた。

 ……だが直後、恋する女の情動をぐちゃぐちゃにする言葉が愛する者より掛けられる。

「さっき私を異常と言いましたがね、ミナも大概ですよ。ランページにいた頃の記憶もちゃんと残っているんです。私の実の兄や父には冷たかったのに、私と二人きりの時だけドロドロに甘えてきて、もうどっちが尽くす側なのか謎だったじゃないですか。もしかして私がこうなったのって……」

「ランゼ、誤解のないように言っておくけど、私は年下の同性が好きというわけではないわ。男相手にもちゃんと激しく付き合ってきたもの」

「いや、聞いてないです。私に劣情を抱いていたのは事実でしょう?狂ってしまうほど、私を好いているのでしょう?ミナ……」

 時が止まる。潮騒だけがやかましい。

 ミナは爆発しそうなほど頬を赤らめてから時を動かす。「どうしてそう思うのかしらぁ?」と問う声は弱々しかった。

「私はかなりモテますけど、貴女ほど強烈な熱意を発射してくる人は他にいないのですよ。けど、ごめんなさい。その想いには応えられません」

「……どうして?」

 ミナの情動がより乱れるように間を置き、剣を預かった時と同じ邪悪な笑みでランゼは答える。大人をからかう悪ガキの状態に回帰していた。

「私が最も愛しているのはシャンナだからです」

「…………へー、変わった名前の男の子ね。殺してもいい?」

「シャンナは女ですよ。私の侍女です。四六時中想いを寄せて止まない……。いつもシャンナのことを考えています。勿論、今も。シャンナと比較することで貴女の異常さがよく分かりました。けど、感謝しますよ。シャンナの健気さが愛おしくて堪らなくなりましたから。あー、さっさと切り上げてシャンナを抱きてーなー」

 そして、剣戟へ。涙目のミナは「意地悪!意地悪!」と何度も叫び、ランゼを襲った。

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