報国 Ⅱ

 ランゼが自ら指名した教育係というおまけもあるが、カームズ領内に残るランページ人が集結した。

 ランゼでさえ、言語化が困難なだけで、彼らの理想が『そういうもの』だと朧気ながらも分かり始めている。

 やることは決まっていて、意見する者もいない。ランゼたちは決戦へ臨む決意と、その中で死ぬかもしれない未来すらも承知している。

 地獄を生き延びて離島に流れ、それでもなお信念のために更なる地獄で苦難に耐えてきた彼らは、紛れもなく狂っている。

 言葉など始めから野暮である。彼らの指導者は、ただ『機会』を与えれば良かっただけなのだから。

 よって、問題はその王が誰かということに尽きる。

 滅びゆく祖国の誇りを守るため大陸に残り戦い、そして今はここに留まっている。戦いを手放すことも、恩義あるカームズ国に裏切りで返すことも拒んだ彼らが、改めて心からの忠誠を捧げるに能う存在といえば……。

「私は、ずっと機会を待っていました。偉くて幼いからという理由で皆と共に戦うことを禁じられ、自分の理想と違う安全な暮らしを続けるたび、早くその時が来てほしいと願う気持ちは強まっていった」

 少し、見当違いな話となる。皆もすぐに察したが、口を挟む者などいない。クロスでさえ、それが主君の『やるべきこと』であるのならと傾聴する。

「そして今宵、私はようやく、生まれて初めて命を懸けた戦いに赴くことが叶いました。本当に、満ち足りた時間でした。……しかし、その時になってようやく気付かされたのです。私には足りないものが多過ぎる。他人と比べて、何か、大事なものが欠けているような気がする……と。実際、ザイが来てくれなければあのまま殺されていたのでしょうし。そのザイを呼んだオルダルにも命を救われたのが事実です。悔しいですが」

 歴戦を物語る精悍な相貌のザイ。彼を真っ直ぐに見つめるランゼ。互いの瞳は優しかった。

「けどまぁ、それに関しては別に。進んで戦場に飛び込んだのです。死んでも納得できます。獣の口が被さった時も、悔いることなど何も無かったので。理想が叶った後に関してはどうでもいいのです。やっぱり戦後のことはどうにも考えられません」

 振り返り、老いても若い従者に微笑む。オルダルがいない今、クロスは主君の危ない本質をとぼけることなく受容した。

「大事なのはやはり心でした。私はね、最初から自由だったのです。窮屈な籠の中に閉じ込められていると思い込み、王城の大人たちに反抗してきましたが、それは私が無意識に行っていた自制の限度だったのです。グカや兄上に倣うのも癪ですけど、彼らのように周囲の人々どころか世界にまで迷惑を掛けることも、本当は初めから可能だったのです」

 ランゼが戦闘狂なだけではないのをクロスは理解している。ザイを始め、ランページの騎士たちもランゼの知らないところでクロスから近況を聞かされてきたため、危険思想をそのまま畏怖することもない。

 本当は自由でも、飛び出せない理由があったのは騎士たちも同じで、そのような友愛の精神がまだ幼く思える姫君にも確かにあるのだと分かり感動を覚えた。

「でも、出来なかった。痛感しました。仮に早くから自分が自由の身だったと気付いても、私はきっとランページではなくカームズのために戦う道を選んでいたと思うのです。この六年間、色々言われてきましたけど、こんな私にも『譲れないもの』が沢山できてしまったからです」

 侍女を王城に置いてきて良かった……等の理由でクロスは感嘆した。


「私は謝りません。皆、今の私はカームズの王です。ランページの亡き権威を振るい戦うことは……出来ない。私はランページ国最後の王族としての誇りを……捨てます」


 覚悟は揺るぎない。それでもまだ大人でないランゼは、祖国を裏切る決断を祖国の人々へ堂々と宣言することに抵抗を感じ、いないシャンナの代わりに感極まった。

 そして、少女がそのように心を痛める決断をした際に支える者たちこそ、他でもなく彼女が『譲れないもの』と言ったこれまでの大人たちで……。

 この先、これまで少女の日常には無かった業火の中にてそれを請け負う者たちこそが……。

「……これで私はもう貴方たちの主君ではなくなった。カームズ陣営で戦う志は同じでしょうけど、貴方たちを従える資格はもうありません。ですから……お願いします」

 最も高貴で、最も生意気な少女が躊躇いなく頭を下げる様にザイやクロスも驚いた。強制的に騎士たちを統率する道もあったというのに、ランゼはあくまで上からの『命令』ではなく、下から『お願い』する道を選んだのだ。

「力を貸してください。誓いの大地が滅んでもなお誇り高く在れる真の英雄たち。貴方たちがいれば兄上たちに勝てます。私が認められないならクロスやオルダルを、それも嫌なら独断で動いてもらっても構いませんから……」

 膝まで突きそうな勢いだったが、彼女の願いに疾く応じる者は一人もいなかった。

 クロスも彼らの本質までは知らない。夜中に地下独房を訪れて水や食料を提供、世情やランゼの様子を伝えるなどしてきたが、その程度で互いの全てを分かり合うはずもなく、彼らを聖人として認めているからこそ裏を疑ってしまう。

 ランゼの願いは、クロスからしてみれば遠回りに思えてならない。元より協力関係にある彼らに「ランページを捨てる」と伝えてしまうのは、時間の限られた交渉である以上巧くない。現に騎士たちの反応はイマイチだった。

 しかし、クロスはランゼに甘く、弱い。共犯のようで、後ろを取られる場面も稀にある。

 彼らとは、そうではなかったのだ。

「惜しかったな。確かに王の器らしくない。まだやんちゃな少女だ」

「え……」

 ここに来てオルダルに代わる説教役が出てくるのか……と、大男の言葉が意外でつい頭を上げた。

「何より勘違いが過剰だな。確かに俺たちは亡きランページ国の騎士としての誇りを胸に、ここにいる。そう、王族であれば誰でも良いというわけでもない。従う相手くらい自分で選ぶ」

「じゃあ……私が貴方たちを統べるのは初めから不可の――」

「だから、選んだのさ」


 亡きランページ国最強の男に次ぎ、カームズ国への恩返しを選びここに残った十人の騎士も一斉に膝を突く。

 正直に想いを告白してくれた己が王よりも低い地にこうべを垂れた。


 ランゼとしては複雑で苦手だった大人特有の駆け引きを潔い者たちにさえやられて困惑したが、カームズで得た従者は独り納得していた。

「ランゼ様、御身がランページ国最後の王族としての誇りを捨てようとも構わない。貴女は今の言葉と先程の戦いを以て、恩義あるカームズ国の未来を守るために命を懸けられると証明してみせた。それで我々の王に能う器だと確信が持てた」

 逆に、正面から分かりやすく称賛されるのは初めてで、ランゼは顔面の紅潮から分かりやすく喜びを露わにした。

 クネクネして、クロスに助けを求めようとするも、どうせニヤニヤと笑っているのだろうと予感してキャンセルする。向き直った騎士たちの表情が真剣そのもので更に照れる。

「つまり、ランページの姫だからではなく、私だからこそ手を貸してくれると?」

「然り。元より我々は凶刃そのもの。戦うことしか出来ない。私は亡き貴方の父君に、王族の血ではなく『ランゼ』を守れと託された。であれば、戦いを望む貴女と共に戦場を駆けることこそが我々にとっての『正しい闘争』に違いない」

「……フフ、それで私が死んだら、貴方は亡き王まで裏切ることになりますね」

「憂いは無用。我が斧は貴女の心で切れ味を決める。貴女が折れぬ限り、何十、何百でも敵を屠ってみせよう」

 先程の戦いも同様、失敗した場合ばかりを想定して攻めに行かない大人たちにうんざりしていたランゼにとって、他でもなく最強の騎士こそが自分と同じく好戦的で大胆と分かり、かつてないほどの爽快感と報われた気分を味わえた。

 これで戦力は全て揃った。

 他にもやることがあり、夜明けに備えて体が休息を求めているのを実感するランゼは、まとめて置かれた彼らの装備から特に存在感のある物に触れ、見た目以上の重さに苦労して騎士たちに苦笑されるも、どうにか自分の力だけで持ち主まで届けてみせた。

「ザイ、皆も。私とカームズ国のために思い切り暴れなさい!」

 短い距離を運ぶのにも手間取る黒鉄の大斧。膝を突いたままそれを受け取るザイは、初めて口角を緩めて誓いを立てた。

「我が騎士道を以て、貴女と貴女の愛する国を勝利へ導く。これより『報国のザイ』は貴女の命令に従う!」

 ランゼにとっても、ザイにとっても待ち焦がれていた瞬間。

 同時に、必ずこうなると信じ続けた理想郷でもあった。

 誰が見ても戦闘狂だが、善良な側面も併せ持つランゼが争いのない国で生きてきた大人たちに育てられるとこうなる。騎士というのも肩書きに過ぎず、個人として正しく在ろうとするザイに救いの手を差し伸べられる存在は彼女と決まっていた。

 主従か、友愛か、あるいは……。

 これだけやってもはっきりしない二人だが、見据える方角だけは共通している。このように互いの心を確かめ合うことが叶うと、これまでの煮え切らない日々にも価値があったと思えた。



 騎士たちは遠慮したが、ランゼの我が儘により一人一人に武器を直接手渡していくことになった。忍耐の怪物たちからすればどうという事もないが、装備を手に取り騎士の前に移る作業を繰り返すランゼは段々と機嫌が悪くなっていき、それが却って雰囲気を和ませた。

 堅苦しさを拒むランゼにとっても都合が良く、苛立ちを誤魔化すためにも気になっていた点について触れるようになる。

「そういえば、独房で話した時はどうしてあんなに冷たかったのです?」

 ザイはギョッとした後、良く響く低音で「オルダル殿に、すぐ調子に乗るから厳しく接してくれ、何か頼まれても一度目は必ず断れ……などといった忠告を受けていた」と答えた。

 ランゼはオルダルの周到さに寒気を感じた。そのくだりを知っているクロスは遠慮なく大笑した。

 全ての装備を渡し終えると、かなりの時間を費やしたことに気付いたランゼが慌てる素振りを見せる。

 ランゼとクロスの手前、ザイ一人くらいなら往来を歩けたが、ランページの騎士全員での移動はまだ危ない。夜間のうちに各個人で動き、廃村まで移ってカームズの兵たちと合流する手筈となっている。

 奴隷剣闘士だった男たちが一人ずつ闘技場を去る中、ランゼがザイに「あの剣はもう要りませんよね?」と話し掛ける。「もう不要だな」と率直に答えると、クロスが「まだ使い道があるかもしれません」と口を挟んだ。

 今回はクロスが正解だった。

「それなら私にください。夜明け前に斬っておきたい相手がいるので」

 邪悪に笑うランゼは『やるべきこと』を済ませるため、奴隷剣闘士たちが使用していた無骨な剣を譲り受けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る