報国 Ⅰ
消滅集落にいる誰もが緊張からの解放に肩を下ろした。
瓦礫の撤去は後回しにすると決めたランゼたちには、他にやるべきことがある。
頭を掻くオルダルだが、ランゼが凛々しい表情で塔を見据えているのを覗くと、少なくともザイを召喚するタイミングは正解だったと分かった。
……もっと早くから機会を与えても良かったのかもしれない。
オルダルも、待機するクロスも反省を免れなかったが、今こそ一刻が惜しい。敵将の言うように惑う時間が長引くほど不利になるのが事実だ。
役者は揃った。カームズ側の戦力はもうこれ以上増えない。
今すぐに動き出さなければならない。獣たちが日の出に弱いのなら、準備は夜のうちに済ませる必要がある。
戦いであるからにはランゼも承知していた。巣に帰る敵たちを見届ける中、最初に動き出したのもランゼだった。
「オルダル」
委細は任せます。……という意思を込めた円らな瞳。
この少女の幸福は戦いの中にある。
軟禁生活を終えて自由に動いた瞬間、両陣営も大きく動いた。偶然とも言えるが、敵がランゼを特別視している以上、中心はやはりランゼなのだ。
少女の健やかな未来を考慮して争いから遠ざけてきた、主君にして友の想いがある。
その意思を、平和を体現してきた者から受け継いだ正しさを……破る決断となる。
「細かい事はこっちでやっておく。騎士と衛兵にも俺から話をつける。……最低限、戦場でのお前は本物だと皆も認めたはずだろうからな」
「いえ、私はまだ全然です」
「そうだ。だが、お前にしか出来ないことがある。まずはそれを果たせ」
まだ不服なオルダルだが、ランゼを自由にさせる道を選択した。
父性にも似た想いでランゼを見守ってきたと知るクロスは、平静を装う彼の心中を察し、案じた。
ランゼもオルダルが意地悪で邪魔なだけの大人ではないと理解し始めている。彼のポーカーフェイスを見破ることは出来なかったが、ずっと見守っていてくれたことへの感謝から「ありがとう」という言葉が自然に出た。
争いと縁遠い慈愛の相貌に、亡き友と、その友が愛した奥方の面影が重なった。
「ランゼ様ー!クロス隊長ー!」
脅威が去ったのを確認してボルテス隊長と一部の兵が駆け付ける。
まだ自分を「隊長」と呼ぶ存命の友に肩を竦めるクロスが「さて、ここからですな」と、主君とその騎士を順に見つめる。
ランゼも高みにある騎士の顔を見上げて「ついてきてください」と言うと、騎士は主君より倍太い首で頷いた。
最後の戦いの前に、済ませておくべき儀式がある。
決戦は夜明け。カームズ側の総力を以て『蛇の塔』へ。
ランゼとオルダル、残る騎士総員、ジョンクとビスタンに焚き付けられた衛兵たち……。戦える者、総動員で臨む。
村にいる全員を集めて話し合いをした。言葉足らずかつ大人数の視線を浴びながら語るのも初めてで、途中何度もオルダルが補足を入れ、クロスには茶々を入れられ、衛兵コンビに便乗して笑い出す無礼者も多数いたが……ランゼが先頭に立つことに不満を持つ者はいなかった。
実力はとうに知れ渡っている。何より、境遇をかなぐり捨てて、疑惑のランページ人を救うべく躍動したのは自分たちと一緒なため、それを無謀や暴走とは誰も言えなかった。
ランゼは気付いていないが、騎士も衛兵も皆、主としてランゼを認め始めている。
ランゼとしては嘲笑されたのが印象的で手応えを得られず、道中、共に歩くクロスどころかザイにさえも愚痴を零していた。
ランゼの破天荒ぶりにザイは困惑した。クロスから「貴方のお姫様は現在こんな感じです」と言われて更に動揺した。
ランページ村での出来事については、先に戻ったボルテス隊長たちから民へ説明が為された。おかげでザイを連れていても諍いが起きずに済む。
民の目の色も変わった。ランページ村が塔の勢力に襲われて甚大な被害を受けるも、ランゼを始め、無償で救援に駆け付けた者たちにより火の手は街まで伸びなかった。……複雑な事情を省いた事実を伝える衛兵たちの言葉により、ランゼへの悪評が覆る兆しを見せていた。
臆して壁の中に籠っていただけの自分たちとは違い、立場を顧みず城を飛び出してきた少女の勇姿は、あらかじめ認めていた美麗な容姿そのままに高潔と認めざるを得なかった。ランゼが両国の重要人物を連れて街を行く様さえ、これまでとは違いちゃんと貴族らしい貫禄のようなものがあるように思われていた。
……残念ながらランゼは移り変わる世評にすら鈍感で、戦いから離れた以上は頭も回らず、何かいつもより視線が重いなぁくらいにしか感じていなかった。
頭上にクエスチョンマークを増殖させる姫君に、教育係は微笑みながら「おかげで出世ゲームは順調です」と、意味不明は言葉を送った。
「入場口は開けてあります。独房にはもう誰もいません」
「……オルダルですね」
「はい。想定内です。どうも」
ランゼはまたしても自分の知らないところで大人たちが暗躍していることに不満を抱く。ついさっきオルダルに感謝を伝えたのも今となっては恥ずかしい。
クロスは八つ当たりの対象に最適で、「そういえば貴方の槍を忘れました」と自らのうっかりを利用するも、「あれなら回収させましたよ。決戦前に届く手筈です」と負かされた。
三人が向かったのは闘技場だった。夜間にこの場所を訪れるのが初のランゼは、無観客で心地良い風に涼むと、それだけで機嫌を回復した。
用があるのは、未だ闘技場に留まっているランページの騎士、全十名。そして、ザイだ。
全員へ、ランゼから伝えるべきことがある。
地下独房へ続く表の地味な扉ではなく、入場口から中へ進む三人は観客席を越えて舞台へ抜けられるように設計されている偽装の壁を外す。
舞台には、独房から釈放され、手錠も外された十人の男が待ち受けていた。
彼らの傍には、彼らの扱うランページ製の剣と鎧がシートの上にまとめて置かれている。それらを装備して脱走・暴動も可能だった。ランページ村の二の舞になる大変危険かつ不用心な状況だ。カームズの主力が全て村に集結していた先程など、彼らからすればまたとない好機だったはず。
だが、彼らがそのような行動には出ないことをオルダルは知っていた。事前に知らされていたクロスもオルダルの判断に異存はなく、ランゼも納得した。
今に始まったことではないのだ。『彼ら』との共存は。
脱走の機会など、これまでも沢山あった。舞台へ連行される際には手錠を外されるのだから、警備が薄い現在など特に不意打ちは可能だった。
彼らは望んでここにいる。『正しい闘争』を待っている。
遺恨のある両国だから仕方なく監禁しているだけで、彼らの本質を尊重すれば無用なこと。真実を知る者からすれば、彼らを奴隷剣闘士などに落とす必要は始めから無かったと誰もが罪悪感に駆られるところだ。
そして、その理解者とは、やがてカームズ国内に飛び火するかもしれない獣の脅威へ立ち向かい、そして退けたランページ国の姫と騎士の勇姿を以て数を増す一方なのだ。
「ザイ」
名を呼ばれた代表者は皆の前に移り、改めてランゼを正面から見つめる。四十センチほどある身長差からして主君を見下ろす格好になるも、ザイはあえて跪かなかった。
誰も何も言わず、奴隷の扱いを受けてもなお、錆びぬ眼でランゼを待つ十一本の刃。
今は亡き祖国の、最後の王族。真なる主君・ランゼ姫。
自分たちと同じくカームズ国への恩に報いる道を、理屈ではなく本能のようなもので選択した、まだあどけなさが残るも凛として麗しい彼女の気持ちを確かめる。
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