楽園に毒麦を SOW

 第二王子・フルーガはランゼを嫌悪していた。

 家族での会食など最悪で、廊下ですれ違うのも、庭で騎士たちを相手に活き活きと得物を振るっているランゼを目にするのも不快だった。

 他国の姫君を妹として迎え入れる。やがては自分たちと同じくこの島国の未来を担っていくようになる。

 それらは別にどうでもよかった。第一印象から気に入らなかったわけではない。生意気で、王城の者全員が手を焼いているのも知っていたが、弟のように付きっ切りで面倒を見るわけでもなく、平穏過ぎるこの世界に新たな衝撃が流れること自体は国家が成長する上で良い試練になるとも思った。

 それでも、フルーガにはランゼを認められない理由があった。

 弟・コヨークの死と共にランページ人との争いが始まり、ランゼも本格的に忌み嫌われていったが、フルーガが激しい怒りを覚えたのは、それより更に前の段階からだ。

 フルーガは兄のタクトに次ぐ人気の美男子で、長く綻びのない金髪は異性どころか同性さえも惑わした。タクトの場合、貴公子そのものと言える外見にそぐわない豪胆さが同性からも支持を集めたが、フルーガへの支持とは正しく性的な事情で、時には男を抱くこともあった。

 しかし、彼が最も恋焦がれ、傍にいるだけで幸せに思えた存在と一つになる夜は最後まで訪れなかった。


 麗しき第二王子・フルーガは、実の兄であり同性のタクト王子に重大な感情を抱いていた。


 兄・タクトは次期国王として皆から認められている偉大な英雄だ。

 第二王子のフルーガは、父におけるオルダルのように傍で支える立場になるのが既定路線で、フルーガとしてもそれが理想的だった。

 だが、タクトへの想いが冷めることはない。ドライなようで、いざという時には自分を頼ってくれる彼に乙女さながらの恋愛をしている心地に浸かることが出来た。海の向こうのランページ人を救いに行く際、自分を分隊長に指名してくれた際の歓喜はフルーガの絶頂期となった。

 男も抱く。女も抱く。肝心の兄上には抱いてもらえない。

 報われぬ日々はフルーガの煩悩を育み、ランゼが妹になると知らされた際には「自分も姫として振る舞えば……」と本気で考えた。

 想いも言葉にして伝えた。それでも断られた。タクトは誰よりもモテるのに、性行為そのものに関心がない。臣や民と酒を酌み交わし、朝まで歌い明かす方が好きな男だから結果は分かり切っていた。諦められず、寝室で休むタクトに夜這いを試みてボコボコにされた過去もあるが……。

 想いが実を結ぶことはない。

 それでも幸せな日々だった。切なさに心乱れる夜もあったが、彼の傍にいられるのは自分が彼の弟として生まれてきたからだと思い、激情を静めた。

 フルーガはこの日常を愛していた。そして、タクトが混沌の時代を望んでいるのも知っていた。

 もし本当にそんな時代が来てしまったとしても、これまでと同じく彼と共に在れるなら良いと、そのような考えに至り、到る夜をいくつも越えていった。



 満たされた時間が過ぎれば、後は沈みゆくのみ。

 臣を持たないタクトにとっての臣のつもりでいるフルーガは彼の変化を見逃さない。ランページの姫君が城に来て以降、非常に愉快そうなのだ。

 皆の前では気前良く振る舞うも、時折満たされない本性を垣間見ることがあり、その頻度がランゼの登場により減り、いよいよゼロになるとフルーガは猛烈な不安に駆られた。

 現状維持に満足していたフルーガは、ランゼという異分子の登場により変化したタクトの心に何の刺激も与えられていないことに焦燥した。

 不安の原因は全てあの小娘にある。二年続いた海の向こうでの戦いの最中、士気を見定めて騎士を入れ替えるために帰国することが数度あり、王子二人も戦時ながら王城へ帰還する機会があった。

 囚われの身だというのに、幼さ故に気付いていないのか、架け橋の姫君が思いのほか活発でフルーガも驚いた。槍術もこの時目の当たりにする。

 これを暴走させてはまずい……。そのような感想を抱く技量だった。

 兄が小娘の才能に関心を示していると分かれば気が気でなかった。彼が小娘の頭を撫でる時、それを見守る周囲の大人たちも揃って生温い表情をしていた。フルーガは表情をあまり変えない男だから誰も見抜けなかったが、その愛撫の瞬間を目撃するたび鬱憤を積もらせていた。

 兄弟なのに、二十年以上も共に生きてきたのに、愛を伝えたのに……自分は一度たりとも頭を撫でられたことも、褒められたこともないからだ。


 ――俺と同じ孤独だよ、あれは。


 以降、フルーガはランゼの言動全てを下品なものとして捉えるようになった。

 大人たちが見ていない隙に舌打ちをしたり、耳元で不満を囁くなど。些細なことしか出来ないが「お前など認めない」という意志を直に訴え、それらに全く傷付いていない様子の小さな頬を叩いたこともあった。

 世話役の弟と侍女見習いが腫れ上がった頬を案じる場面を隠れて見ていると、「虫が止まったので叩いて殺したのです」などと誤魔化していて、小娘への不満は更に増していった。

 恋情による憎しみは留まることを知らず、自分がいかに陰湿な行いをしているのかも素直に認められない。フルーガの怒りは熱を増すばかり。

 反してランゼが大人たちから「面倒ながらもやはり可愛い」と評され、殺意も芽生え始める。

 ランゼは淑女の格好を拒んだ。存命の王族全員が男性であれ、女児用のドレスも多種揃っているというのに、タクトが幼い頃に着ていた男児用の衣類を好んだ。

 少年・タクトは短パンがダサくて嫌いだった。つまりランゼも長ズボンを履いた。それにブーツやワイシャツ、高価な装飾をいくつも合わせると、彼女を嫌うフルーガでもそのポテンシャルに敗北する。

 王城に務める女性は若手からベテランまで独身が多い。ただし、タクト王子のように無関心というわけではないため、男装の麗人としての片鱗を見せ始めるランゼに期待した。ランゼも同性の大人を弄るのが好きで、小芝居を本気にする者も割といた。

 皆、ランゼに甘かった。

 これまで自分に向けられていた「次第によっては玉の輿を……」などといった豚共の卑しい視線。過去にはあったそれらが自分からランゼへ移り変わると、フルーガは「もうかつての平穏な島国ではなくなったのだ」とパニックに陥る。どうでもよかったランページ人との共存にも否定的になり、ランページ人のいわれなき悪評を賄賂で流させた。

 このままでは彼の興味どころか自身の人気もあの忌み子に奪われる。フルーガの形相は日に日に悍ましいものへ変貌していく。人と獅子の面を融合させたように。

 最愛の兄が望む混沌の時代は、順当に行けばランページ人の悪評がきっかけで現実になるかもしれない。そうなればランゼを殺すことも正当化されるのではないかと思い、可愛くないあの小娘が泣き喚き、命乞いする様を妄想するようになる。

 陰湿な嫌がらせもエスカレート。立場が危ぶまれない程度で何でもしてやろうと思った。仮にバレたとしても、兄上ならきっと許してくれると信じて。

 侍女見習いのシャンナと外廊下ですれ違う際、立ち止まり頭を下げる彼女の髪を思い切り引っ張って「痛い!」と泣かせたことがある。

 これに関してはフルーガも何故そうしたのか分からず、隠れていたランゼが出てきて「おい!殺すぞ!」と威嚇された。戦場でも冷静だったフルーガが、初めて死を予感した瞬間だった。

 取り返しのつかない段階へ来たのだとようやく自覚する。

 その時ランゼは槍を握っており、目障りな存在を排除する絶好の『機会』が来たと思った。

 フルーガも剣を携えてはいるものの、その透き通るほど純粋な殺意から「敵わない」と悟り、膝を震わせた。

 シャンナが必死で間に入り「私が至らないばかりに……申し訳ございません!」と、許されるまで何度も謝った。それでランゼも殺意を静めて事なきを得る。

 しかし、救われた分際でもフルーガは懲りず、「我が弟だけでなく同性の子供までたぶらかすとは。淫婦め、恥を知れ!」と冷徹を演じた。

「何でシャンナが謝るの!悪いのはあいつでしょ!」

 害虫を指差しながら侍女と共に離れていくランゼ。二人が視界から消えるまでフルーガは一歩も動けなかった。



「醜い……」

 その一件以来、フルーガはそう呟くことが増えた。兄に心配してほしかったからだ。

 しかし、タクトは弟の変貌ぶりなど気にもしなかった。むしろ一人で街へ繰り出すことが増え、フルーガはより哀れとなる。

 弟の死と共に両国が衝突。悪評を流すよう指示した者たちは、気が変わる前に暗殺した。

 それらもフルーガにとっては些事だった。ただ無為に時間と心を削っていくばかりで、救いと呼べるものは何もない。

 成長したランゼは礼服が様になり、行動可能の範囲内で性別問わず人気を集めていく。

 フルーガだけはそれが気に食わず、今度はランゼの悪評を流すよう賄賂を払うも、やっていることの下らなさに「醜い……」が増すばかり。

 弟・コヨークのことは真っ当に気に入っていた。しかし、もう帰ってこない。

 兄・タクトも夜間に出掛けたまま帰ってこない日が多い。

 彼らと兄弟の自分だけが変わらずここに留まり、吐き出すことの出来ない怒りを無為に育んでいく。ランゼを始末する隙も見つからず、それこそかつての兄と同じく変わらぬ日々にうんざりしていた。

 それならせめて、これほど自分を狂わせた元凶の目の前で散りたい。

 愛憎の果て、フルーガはそう望むようになる。一時代の終わりを、理想の舞台を整えるためだけに夢見るようになった。

 結果としてそれらは現実になった。

 しかし、順番が逆。女アサシンに最愛の彼を殺されたことにより「先に自分を殺してほしかった」と憂い突撃、そして敗れた。

 自分の死が彼の脳味噌に刻み込まれないのは残念だが、同じ場所、横並びの順序で命を散らす結果となったのを幸運に思った。フルーガはこの時、初めて救いを得たのだ。

 ただ一つ、決して許せない敵への恨みを残して……。


 ――おい、愚弟。聞こえているか?俺の声が分かるか?


 だから、その愛しい声音も夢幻の産物だと誤解した。

 フルーガは自身が高貴な人類としての誇りを捨てて醜い獣になったのだと思い込み、実際そのように変貌した。

 その声を同族のものと認識することも叶わず、あるいは全てをやり直すことも出来ただろうに、狂うのに慣れ過ぎて惑いもしない。

 積年の恨みを晴らすことが叶った歓喜。隙だらけになろうと今は余韻に浸りたい。あの小娘の無様を堪能したい。

 巨大になった己の首をも一撃で斬り落とす黒き斧さえ、構ってなどいられなかった。

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