集落に濁流を Ⅳ

「ランゼ様、問題です。元気な手前の獣と、疲れたように寝転がっている後ろの獣。果たしてどちらへの突撃を試みるべきでしょうか?」

「手前です。皆、準備を」

 瓦礫の散らばる村へ、慎重な足取りで進むランゼと兵たち。順に剣を抜き、呼吸を整えてその時に備えている。

 その中でクロスはランゼが将として覚醒したと断定し、軍師をやめて再び教育係に戻った。後ろに続く兵たちも二人の会話に耳を傾ける。

「それは何故?」

 ランゼは二匹の獣と、先程の地点からは隠れて見えなかった一つの人影を見据えながら理由を述べる。

「寝ている方は隙だらけのように見えて、仕掛けた途端、野生の勘で対応してくるかもしれない。それで元気な方まで相手取ることになれば結果は明らか。それなら寝ている間は距離を置き、元気な方を疾く始末するのがよろしい」

「手前と戦っている間に奥が動き出したら?」

「そっちの方がこっちも対応しやすい。その時のために兵を借りたのでしょう?」

「然り。で、分担は?」

「私と五名で手前を倒します。クロスは中間地点から両方を見てください。ジョンクとビスタンは……」

 役割を認識し、皆の集中が増した。衛兵コンビも指示される前に察して了解する。

 ランゼたちが発見するより前からその対象は獣たちの間に佇んでいた。ランゼは知っていたから驚愕もなく、兵たちも「やはり」と予想していた。最も危険な場所で不敵な笑みを浮かべている黒衣の女に目を細め、それから手前の獣を注視する。

「あの女を包囲しなさい。下手な動きをしたら止めること。殺しても構わない。何もしなければ、こっちも何もしなくて良い」

「めちゃくちゃ大役じゃん」

「望むところです!」

 いつもと同じ様子の二人に安堵し、ランゼは微笑みを見せる。狂気を帯びたものではなく、確かに真っ当な、隣人との繋がりを感じられたことにより。

「行きます!」

 そして、駆け出した。

 佇む女と寝転ぶ獣からは距離を取る。右斜めに疾走し、五人の兵も間隔を空けてランゼに続く。

 情報通り白い獣はランゼを追ってきた。逃げ遅れた村人全てを食らった後、そこに新たなランページ人が現れ、槍を振り回して駆けているのを見つければ遠慮しない。

 後ろの獣も起き上がった。早速しくじったかと誰もが焦るも、呻き声を上げてその場で転がるばかり。ランゼを殺すために動くことはなく、襲われない衛兵コンビは容易に敵のもとに辿り着く。囲まれた女は気にせず獣たちの観察を続け、黒色とは異なる動きをする獣たちに「恐るべき執念ね」と呟いた。



「勝負だ化け物!ワハハハハハハハハ!」

 初陣。それもランページ人のみを限定して襲うという奇妙な白き獣が相手。

 だというのに、恐怖など微塵も感じず、好機に備える兵たちには見せられない敵と似た悍ましい形相で走り続けていた。

 スケールも速度も白い獣が勝る。跳躍し、少女を踏み潰しに掛かると「やっぱり駄目か!」と兵の一人が呆気ない幕切れについ叫ぶ。

 しかし、獣が手をどけた地に赤いインクは零れていない。ランゼは寸前でプレスを回避し、一度の低空ジャンプで獣の腹部に到達していた。

 表情は真剣そのものに切り替わる。全身を、槍を伸ばして敵を穿つ麗人の手際に兵たちは惚れ惚れした。

 ギャアアアアアアアア!

 白き獣の腹に棘を刺し、即座にそれを引き抜いて後退する。ランゼが消えた地点にこそ赤いインクが噴き出し、流れる地点に血溜まりが出来ていく。

 勝ち目はある。希望が見えるも、今のが致命傷になるとは誰も思わない。闘技場に現れた獣、塔を守る群れ。結果として討伐に至ったものの連中はタフで、腹に小さな穴が開いた程度では絶命しないという情報なら既に得ている。

 かつて最強の奴隷剣闘士がランゼの目の前でやってのけたように、巨大な首を斬り落とすか、あるいは失血死に至るまで穴を増やさなくてはならない。

 ランゼには速さと勘があるが、何より求められるのは体力だった。

「ランゼ様!」

「助太刀いたす!」

 獣の動きが一旦止まり、今が好機と判断した兵二人が走り出そうとしていた。

 その次の瞬間、獣は天を見上げて絶叫、明らかに激昂した様子でランゼを襲った。

 兵たちは立ち止まる。今更臆することもないが、生き物としてのスケールがあまりにも別格なため、つい自分がランページ人でなくて良かったと安堵してしまうほどの迫力があった。

 しかし、それ以上に、初陣かつまだ十五歳の少女だろうに……攻守それぞれのタイミングを一切間違えないランゼの戦闘センスとその再現性に天賦の才を感じた。

 崩れた屋根を遮蔽物として獣の視界から消えた。ランゼの方はうるさい足音で獣の位置が分かるため、背中を向けて隙だらけになるまで潜むつもりでいた。

 だが、獣は迷わず瓦礫の山からランゼの居場所を特定し、嵐のように邪魔なゴミを排除しだす。直撃は免れたが、ランゼはたまらず姿を現した。

 隠れても無駄。獣はこちらの居場所を嗅覚か、果ては魔法のような何かにより見つけ出すことが出来る。

 力では敵うはずもない以上、遮蔽物の多いこの環境を利用し、囮どころか本当に単騎で仕留める気でいたランゼだが、この時ようやく不安を覚える。

「なんの……!」

 闘志はそれでも揺ぎない。『譲れないもの』がはっきりしない分だけ失うものもなく、窮地においても大胆に動ける。

 ランゼはいつでも左右へ回避できる程度の余裕を残して直進するも、巨大な白き獣と、比較して小さき少女だ。両者が同時に突撃すれば小さい方は途中で回避に専念せざるを得なくなる。

 顎が裂けそうになるまで口を開き、瓦礫ごとランゼを呑み込もうとする獣。紛れもなく必殺、避けられないタイミングでそれを繰り出すあたり獣にもセンスがある。今わの際、兵たちがランゼの名を叫んだ。

 ランゼは急ブレーキで止まると、祈るように槍を両手で握った。食われる直前で石突を思い切り地面に打ち付けて上空へ逃れた。

 回避を成功させると、思わず兵が「凄い……」と感嘆し、ランゼも一発勝負の芸を成功させた喜びに空中から尊顔を誇った。

 油断したわけではない。そこまでのセンスがあるとは情報不足だったのだ。

 食らう気だった獣の猛進は凄まじく、それだけ着地して体勢を整える時間も後にあるとランゼは読んでいた。……獣の側も。

 獣の必殺も偽装だった。どれだけの知性か、あるいはランゼのセンスを知っているのか。

 獣はランゼが跳躍した直後、四足全てに急ブレーキをかけた。ランゼの着地点を通過したものの、その場で後転して長い尾で宙を舞うランゼを叩き落としたのだ。

「ぶふっ!?」

 真芯を逃れ、尾も柔らかいのが最後の幸運。鞭のように放たれた尾が顔面に直撃したランゼは、頬を歪ませて瓦礫の山へ吹き飛び、全身まで痺れて苦悶、起き上がれなくなった。

「まずい!」

 慌てて兵たちが駆け付けるが、もう間に合わない距離。人と獅子が混ざる巨大な相貌が滝のように涎を垂らす。ランゼはその狂気と殺意入り混じる形相に既視感があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る