集落に濁流を Ⅲ

「このように、ランゼ様はやる気に満ち溢れておられます。頼もしい限りだ」

「言うと思ったわ!ですが……!」

 強引に痰を呑み込んだボルテス衛兵隊長だが、彼は昔からランゼの味方側だった。

 直接関わる機会はあまりなく、世間がランゼを諸悪の根源として忌み嫌っていることなど衛兵をやっていれば嫌でも知れること。

 それでも真に忠誠を捧げていたクルーダ王や、個人としても尊敬するオルダルや第一王子・タクトも異邦の娘に一目置いていたため、噂以上に優れた部分があるのだろうと信じてきた。

 それが……とんだ思い違いだったと結論付く。

 勇ましいのは結構だが、次代の指導者が先陣を切るつもりでいるのは見過ごせない。決死で『第二次蛇の塔調査隊』を率いた亡き王が重なる上、高貴な生まれながらも臣として王城に務めるのではなく、兵として外で活躍したいと望む意思をカームズ王家に汲んでもらった手前、快諾など出来るはずもなかった。

「なりません……なりませんぞ、そんなこと!それではクルーダ王らがランゼ様を守ってきた意味が無くなるではありませんか!」

「もうその段階を通過した、あるいは常軌を逸する変な娘だったと、私とオルダル殿は認めました」

「えっ、オルダルが?」

 行動を共にしていたはずが、自分の知らない情報が出てきて戸惑うランゼ。そんな二人の行き違いからしてまだ揺蕩う段階にあると見抜き、ボルテスも譲らない。

「ランゼ様の力量は皆も認めています。ですが、貴女様に命を預けることを快く思う者ばかりではないのが実情です」

「それは、そうでしょうね」

 ランゼが兵たちを見渡す。気まずくてアイコンタクトを避ける者、あるいはどちらかの意志を込めた熱視線の者、バラバラだった。

「ボルテス隊長、それに皆も、無理に私に従う必要はありません」

 その、まだどっちつかずな集団へ、ランゼは全て理解したように慈愛の眼差しを向けた。

「私が自らの拘束を解きここまで来たように、皆も自分の好きに戦ってもらって構いません。国を守るため、民を救うために率先して動ける者たちですから、邪魔になることもないでしょうし」

 クロスは自分から説明するつもりでいた。しかし、もう世話などいらないと分かり傾聴に徹する。

 戦場ここでは、ランゼが最も正しくなる。位や力の問題ではなく、槍を握る手の震えはとうに治まり、誰よりも冷静に状況を整理できているから。

 これまでの風評や境遇から、ボルテスの言う通り偏見を抱く騎士と衛兵も確かにいる。

 それでも今のランゼ姫であれば信用できると感じた。皆は大人で、賢いから切り替えられるのだ。

「……なるほど、立派になられたようだ。しかし、やはり行かせられません」

「何ですって?」

「皆も既に貴女が風評通りではないことに気付いています。少なくとも、詰まったこの状況で、何か策があるのなら付き合ってみても良いと思えるほどまで。ですが、貴女は大将である前に最後の王族だ。貴女はカームズにとっても、残るランページ人にとっても欠かせない象徴で――」

「はああああ……」

 衛兵隊長・ボルテスが次代を想定して説く途中で大袈裟に溜め息を吐く者がいた。

 ランゼも驚いた。一衛兵が上司に背いたからだ。

「隊長、何をごちゃごちゃ言ってんスか。こんな事やってないで逃げ遅れた村人助けに行く方が未来に繋がるでしょうが」

「ジョンク……」

 彼は衛兵の中でも指折りの問題児で、サボり魔。普段がだらしないからこそ、妙に真っ当な主張をする彼に誰もが困惑する中、同じ十五歳の二人だけは違和感を覚えず得意な顔をした。

「ランゼの立場とか戦後とか、そんなもん後回しだろ。ここ戦場ッスよね?」

「ジョンク、一応『様』を付けろ。それに場所は関係ない。私は断固としてランゼ様が前に出るのは認めない。お前たちもだぞ。戦争に勝利した場合を見越して危険から遠ざけているというのに」

「俺たちは自分たちの意志でここへ来ました。迷惑かもしれませんがお役に立ちたく」

「ビスタンも思い上がるな。我々が手詰まりだというのにお前たちに何が――」

 ボルテスは尊敬する前衛兵隊長の言葉を思い出した。

「隊長、遅かれ早かれ獣は殺すんだろ?必勝法なんて無いんだろ?じゃあもうやるしかねぇだろうがよ」

「ジョンク、お前は実戦を知らないからそんなことが――」

「御託なぞ捨てろって言ってんだよ腰抜けが。俺らが悩んでいるうちに死人が増える。救助済みの村人もカームズの民も緊張状態が続く。だが、動き出せば展開が変わり、情報も増やせる。逃げるのはやばくなってからでいい。頭数だけ知恵もあるだろうが。駄目な場合だけじゃなく、全て上手くいく場合も考えろや!」

「馬鹿な……ジョンクが正しいことを言っている……」

 ボルテスは愕然としたが、聞いていた皆はつい笑いを零して和やかになる。

 時を待っていたクロスが口を開く。それにより兵の誰もが充実した心持ちのまま開戦を予想した。

「ボルテス隊長、二匹の白い獣はランページ人のみを狙う。近付けば巻き込まれるが、そうでなければ安全ですね?」

「あくまで仮定ですがね。あとは今みたく両国の人間が疎らになっていれば、あのように威嚇してくるのみ」

 今にもこっちへ飛び掛かってきそうな白い獣の形相を共に観察する。

「それは重畳」

「獣ですし、気まぐれで動いているだけかもしれませんがね」

 顔色を窺い合う両国民を横目に、クロスはまずランゼを、それから彼女がずっと見つめている獣たちへ再び視線を移す。

 一匹は未だに瓦礫を掘り漁り、もう一匹は苦悶とも言える暴れようから一変、身を丸めて寝転がっている。

 それらにランゼが「クロス、やるなら今です」と、透き通るような声音で告げた。

 まさか、我があるじはずっと好機を見極めていたのか……。クロスはつい畏敬を感じた。

「よろしい。では、兵の大半はここに待機させましょう。動くのはランゼ様、私、ジョンク殿にビスタン殿。あと、兵を五人ほど貸してください。ボルテス隊長にはここに残り、戦況に応じて兵を追加するなどしてもらえればと」

 ボルテスはまだ賛成していないが、村人一人につき兵が二人もつく必要はないと感じていた余り者たちが率先して前に出てきた。若人の威勢と一匹が隙だらけなことから、今が攻め時だと断定したのは彼らも同じだった。

 ボルテスを始め、歴の長い兵ほど躊躇いがある。ボルテスは「あの獣たちはどこかおかしい。我々カームズ人だけで近付くと距離を取ってしまうのです」と、説得材料を付け足した。

 しかし、それが出撃の決定打となってしまった。

「素晴らしい情報です。それなら犠牲者ゼロも見込めそうだ」

「そも戦いにならない!互いに睨み合うだけで我らの剣はいつまで経っても巨大な首に届かんのですよ!それでは塔を守る黒い獣の大群を遠くから観察してきたこれまでと大差な――」

 兵たちも軍師となった教育係の狙いに見当が付く。ボルテスも「ま、まさか……」と青ざめる。

 当人は数多の視線を、集団の中で最も細い体躯に浴びて首を傾げている。

「いるじゃないですか。獣を引き付けることが出来る上に、自ら望んで戦場にやってきた死にたがりが」

 獣の懐に飛び込む気概と戦況を見極める視野はあれど、深くは考えられないお姫様。背後に回った従者の両手が自分の両肩に乗っかることでようやく察しが付いた。

「ああ、私が囮になればいいのですね」

「正解です。元より貴女様は両国の架け橋。誰がどう見ても生贄。いやぁ、色々と繋がってきましたなぁ」

「「失敬!」」

 ランゼとボルテスのツッコミが重なる。

 それでもランゼとしてはまたとない好条件に他ならず、一瞬で勇ましい表情に変貌する。不信は拭い切れないが、共に業火へ飛び込む戦士として兵たちを納得させた。

 誰よりも未来を示したつもりが、まるで何も尊重されなかったボルテスは「もうやだ……」と項垂れた。更には出撃する全九名が並ぶところ、ジョンクが「お前の死は無駄にしないぜ」とか抜かし、対してランゼが「うっかり槍がすっぽ抜けたらごめんなさいね。何分初陣なもので」とあしらう。間で笑うビスタンが「死地までも一緒とは。恐ろしい縁だなぁ」と、悪過ぎる冗談をかましているのが聞こえて泡を吹きかけた。

 未来への投資として若者を生かしてきたのに、当の若者たちは死地へ赴くことにまるで抵抗がない。クルーダ王に習い、次代を想定した采配を心掛けてきたボルテスには彼らという異分子が理解できなかった。

 同時に、彼らのようにいかなる困難にも臆さず、それでも困難に挑戦する機会そのものが無いことを憂いていた若者の存在が記憶に蘇った。

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