集落に濁流を Ⅱ

 草原に設けた集落のため、街のように門や壁はない。正門から歩いて十分の距離だから、惨状が鮮明に見えるのもすぐだった。

 何者かの手引きにより闘技場に現れた、人と獅子を融合させたような顔面の獣。当時のそれも、塔を守る者たちも総じて全長三メートルほどの黒い毛並み。皆の認識する『獣』とはそれに限る。

 しかし、現在ランページ村を蹂躙している二匹の獣が異なる部類であるのは、到着前のランゼたちの目にも明らかだった。

 二匹は、夜間でも浮き彫りになるほど真っ白な毛並みだった。顔面も含め、体の構造は同じようだが、全長は更に一回り巨大。既に村として終わっている瓦礫の山を更に貪っていた。

 一方が家の中に隠れていた老人を掘り起こし、巨大な口で食らって血飛沫を撒くと、ジョンクも「やっぱり勝ち目なくね?」と弱気になる。彼が弱るのは珍しく、ビスタンも無言ながらに動悸が激しくなる。

 クロスは紅蓮に染まり転がる騎士だったものの屍を見つけた。死してなお剣を手放さず握り続けた者も。その者ではなく、持ち主不明でポツンと落ちる剣を拾ってから主君の様子を窺う。

「ランゼさ――」

 名前を呼ぼうとしてやめた。

 クロスが愕然とするのも珍しい。ランゼが大人たちと本気で喧嘩をした時でさえ無敵の立ち位置から傍観を決め込んでいたほどで、衛兵隊長時代も罰せられない程度で自由に生きてきた男だからだ。

 そんなクロスでさえ共感できない。ランゼよりも彼女の葛藤について深く理解してきたつもりが、やはりこの御方の素質には際限がない……と、ランゼ自身が言った『鎖』など些細なきっかけにより容易く食い千切られてしまうのだと思い知った。


 架け橋の姫君・ランゼとは元からこうだった。

 それなら『正しい闘争』の意味も、譲れないものも思い付くはずがない。


「ランゼ様、貴女とはそれほどまで……」

 この戦いに勝算はない。加えて逃げられない戦いでもなく、空っぽの志のまま進んでここまでやって来たのが実に阿呆らしい。

 いかに実戦を知らず、知能が足りないとはいえ、これほど絶望的な状況であれば『間違っていた』と気付くもの。我に返れば、その時ようやく愚行を反省するかもしれないが、唇を赤く化粧した一方は既にランゼに狙いを定めていた。

 絶対に死ぬ。運命は変えられない。

 もうシャンナに甘えることも、オルダルに厳しく説かれることもない。自分が本当はどこへ行きたいのかもはっきりさせられないまま少女はここで散るのだ。

「ハ……」

 それなのに、ランゼは時々これまでの思い出が脳裏に流れるも、悔いはなく……。

「ハハハハハハ」

 まだあどけなさの残る相貌を汗で濡らし、肢体を震わせて……。

「クロス……」

 次の瞬間には巨大な口に狩られるかもしれないのに、後ろのクロスに振り返る余裕を見せて……。

「叶いました!」

 肉を前にした獣の形相から一変、恋を覚えたような乙女の笑みを浮かべていた。

 他の大人たちと比べて好きにやらせてくれたクロスだから、素直に喜びを表しても許してもらえると思った。いつもみたく、何だかんだ自分の味方として傍に居続けてくれると信じた。

 しかし、満面の笑みを受けたクロスの心中に穏やかさはまるで無い。二匹の白い獣がいつこちらへ迫ってくるか、瓦礫ばかりで見えにくいが、自国の兵が何人か動いているのが分かり気が気でない。

 カームズ国の長であり、戦いから縁遠い乙女の笑顔さえ出来るというのに、この戦況を心から楽しんでいる主君の状態に……これまでの過保護が全て無駄であり、彼女の居場所が王城などという安寧の鳥籠ではないのだと確信が持ててしまったのだ。

 クロスの渋い反応を意外に思い、ランゼは汗だくのまま首を傾げた。衛兵コンビもそれには「狂ってる……」と、堪えてきた実評を零した。


「ランゼ様!?って隊ちょ……クロス殿も!それにジョンクとビスタン!何故ここに!?」


 四人の到着に気付いた騎士が慌ただしく叫ぶ。厳密には騎士ではなく、ここで彼らを指揮している逞しい体躯の男。

 衛兵コンビは同時に気まずくなった。声を掛けてきたのは彼らの上司、衛兵隊長のボルテスだった。負傷したランページ人に肩を預けている。他の騎士や衛兵もランページ人を連れて避難している最中だった。

「間に合わず、大勢の村人が殺されました。あの畜生共はそれでも足りず、瓦礫の中から逃げ遅れた者を探しているようです。我々は今のうちに脱出を……」

「……ん?」

 四人はランページ人の保護を優先する兵たちの手際よりも当然の疑問に行き着く。少し落ち着いたランゼが獣を睨みながらボルテスにそれを問う。

「どうして逃げられたのです?どう考えても私たちはあの白い獣たちに惨殺されると決まっているのに」

「も、申し訳ありません!しかし、今はこれが最善だと判断しまして……」

「いえ、逃走を責めるつもりはありません。何故、貴方たちは無事なのかと聞いているのです」

「それは……」

 庶民が目指せる数少ない名誉でもある衛兵隊長の地位をあっさり譲ってくれた前任の手前、発言を間違えるわけにもいかず、ボルテスは不意にランゼから視線を逸らす。獣たちが順に雄叫びを上げると心臓が飛び跳ね、釈然としない事実を述べるようになる。

「妙な術により操られているのか、あるいは他の獣とは異なる習性か何かか……。あの白い獣たちは我々を襲ってこないのです」

 若者三人は同時に険しい表情になるが、クロスだけは騎士の大半が存命なことで「やはり」と合点がいく。

「奴らはこの村の住人と建物だけを蹂躙しているのです。我々カームズ人を襲ってこようともしない。それでも騎士を数人死なせてしまった。習性に気付けず、襲い来る獣と襲われる村人の間に介入してしまい……」

「ボルテス隊長、反省は後で。それと――」

 救助されたランページ人たちも居心地が悪くて俯くばかり。中には家族や愛する人を失った者もいるはずだが、情報量は同じらしく混乱して涙も流せずにいる。

「村人の避難ですが、それはやらない方がいい」

「何ですと!?」

 ボルテスを筆頭に騎士も衛兵もクロスの言葉に驚愕した。……三人の悪ガキを除いて。

「そも、避難とはどこへ?壁の中には入れられませんが」

「非常時です!納得しない者も多いはずですが、見殺しにするわけにはいきません!」

「それは勿論」

「それ……えっ!?」

 翻弄される衛兵隊長と皆の気は同じ。不和になるからではなく、後の存亡に影響する問題になると想定できる者は少なかった。

「あれらはランページ人のみを狙っている。そう仮定して、村人たちを私たちの国に入れたらどうなります?追いかけてくるやもしれません」

「し、しかし……獣たちはあの忌まわしき日以降、我々の領土を責めてくることは……」

 ボルテスは途中で自らの落ち度に気付いた。

「そう、ここまで侵攻を受けたのは今日が初です」

 獣が闘技場に現れ、第一・第二王子が女アサシンに殺されてからカームズ国は狂った。……いや、第三王子が欺かれ、両国が初めて衝突したあの事件から。

 あるいは、もっと昔から。

 小さな島国。歴史はあるが知識は少ない。昔はそれでも十分だった。

 しかし、このような狂気が連続すると、どのように対応すれば良いのか分からず誰もが路頭に迷う。ランゼが解釈した通り、彼らも子供で、正しい答えを導き出すことなど不可能。

 救助したランページ人とカームズの戦力は一箇所に集まり、権威ある者たちの判断を待っている。誰も、元はと言えば……と、ランゼや村人を責めることはしない。皆がまだ復讐に囚われていないとクロスは思い、それなら出来ることがあると可能性を信じた。

「では、どうすれば……」

 カームズ国一の図体を誇るボルテス衛兵隊長が肩を竦める。情けないではなく、正直であると捉えられ、衛兵も騎士も彼に幻滅などしない。

 しかし、彼が決断できないのなら……と、後から来たカームズ国最後の主従に注目した。

「情報が足りない。私たちの生きてきた世界は狭く、それ故に知見の範囲も制限されている。だから、あのように謎な敵が、謎な動きを見せるたび次の判断に迷う」

「……ええ。オルダル殿も、亡きタクト王子もそこを嘆いておられた」

「タクト王子が?そうか……」

『それ』を知っているのはクロスとランゼだけ。それも、敵の工作員が囁いたことでまだ確認が取れていないため共有は早計。

 ランゼには特に迷いなど無く、今も瓦礫をあさる獣を睨み続けている。唇が赤い方を。

 もう一匹は絶叫して転げ回っていた。誰かが「苦しんでいるのか?」と疑った。

「ボルテス隊長、我々はもう限界です。しかし、若者には無限の可能性がある。成長期で、これからが長いから……という意味ではなく、年老いるとどうにも見逃してしまうアイデアに思い至る場合があるからです」

「クロス殿、猛烈に嫌な予感がするのですが……」

「いやぁ、難しく考えるほど不幸を呼ぶものですなぁ」

 ボルテスは昔からずっとこのように弄ばれてきた。時にやり返すこともあるが、庶民の地位から実力と支持で衛兵隊長にまで上り詰め、引退後ちゃっかり女王の教育係になっていたこの老成には一生勝てないのだと諦めている。

 付き合いは長く、彼の独特の間も分かる。クロスがとんでもない提案を繰り出してくると読めてしまい、先程のランゼ以上に大粒の汗を流した。

「ここで倒してしまえばよろしい。元よりランゼ様はそのつもりですし」

「ガッ!」

 ボルテスは痰が喉に詰まって喋れなくなった。やる気満々らしい御方を窺うと、ランゼもボルテスの視線に気付いて振り向き、最高のドヤ顔を誇った。ボルテスは昏倒しかけた。

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