集落に濁流を Ⅰ

 騎士たちが剣を携えて走る。異様であるべき光景と、国と村を隔てる壁の向こうから騒音が漏れ出ていることで民も何かが起きていると悟り、次には自分たちの身を案じる。


 ゴアアアアアアアアアアアアアッ!!!


 遠くから人外の咆哮が轟くと、民はその場で立ち竦んだ。

 それから悲鳴、腰を抜かし、祈りを捧げた。滅びの時が来たのだと、それに抗うため門を抜ける騎士たちにも期待も寄せず「無理だ……」と嘆く。

 獣はカームズ人総員のトラウマも同然。ランページ人相手なら格上でも強気で在れるものの、その咆哮が脳を揺さぶるだけで心を折られる。昼の闘技場で野次を飛ばしていた連中も見る影なく、大人に怒鳴られて怯む子供のように無力。尊厳など、とうに失せた。

 そんなものは王族の死と共に去ったのだ。我らはこの国のために努めてきたが、それ以外のことは全て疎かにしてきた。戦う術以前に挑む気概もない。

 この身が貪られる最期までただ悔いるだけ。目標を決めて駆ける者以外全てが己の脆さを痛感し、世の終焉を「仕方ない」と受け入れ始めていた。

 ……そんな、長く生きた分だけ難しく考える賢い大人たちなど目もくれず、悪ガキは躊躇わず死地を目指して走る。

「フ、フフフフフフフフ……」

 駆け足で呼吸が揺れながらもランゼは気味悪い笑みを漏らす。待ち焦がれた戦いの機会に興奮を抑え切れないのだ。

 ランゼ姫の異常な様子を竦む民たちも目撃する。感想はそれぞれだった。


 ――あの娘は狂っている。まるで遊びに行くように業火へ飛び込むなんて……?

 ――やはりランページの人間だ。我らの無力を嘲笑うためにここへ……ん?

 ――クロスさんもあの悪魔の傀儡となってしまった。残るは私たちだけで、王城も既にあの娘の手に落ちたのかもしれない。……あれ?

 ――ランゼ様こそがこの混沌を呼んだ悪魔だ。ほら、あのように騎士たちを追いかけて…………?


 不気味な少女への恐怖もさることながら、頭のある民たちは彼女が駆けていく理由を冷静に考えると決まってその疑問に行き当たる。


 ――ところで、どうしてランゼ様が村を目指している?


 ランページ国の王賊としての責務を思い出し、非戦のランページ人たちを決起させるか処刑するために動き出したのか。現在のカームズ国で自由に動けるランページ人はランゼ様のみで、先の戦争で同胞を惨殺された報復に出たのなら筋も通る。

 自分たちもこれまで復讐をやってきた。今だって滅びの恐怖や残る臣たちの苦労に気付かぬフリをして奴隷剣闘士をはけ口に利用し、それでようやく平静で在れるよう演じている。

 もしランゼが復讐に目覚めたとしても、それを非難することはあっても全面的には否定できない。

 とにかく、平和だった歴史と乱れる今。両方を知っている大人たちこそ釈然としなかった。

 門を越えるランゼの背中を見送る。不意の襲撃、ランページ人という異邦の人種、魔法なる歪な術……それらを凌ぐ最大の謎に、何かが変わるかもしれないと期待して……。

「ランゼ!」

 遠慮しないカームズ人もいる。同い年の衛兵コンビがランゼを見つけて駆け付けた。

 ランゼも立ち止まる。村で爆発が起こり、煙と悲鳴の数が増していくのに高揚しつつ。

「ジョンク、ビスタン……」

 二人は地獄の景色に息を荒げて紅潮するランゼに悍ましいものを見る。

 ランゼがやばい女というのは知っているが、本物の戦いを前にしてもそう在れるのなら、やはり本物だな……と、これを面白がってきた自分たちの過ちに気付かされた。

「行くのか?」

「勿論」

「止めやしないけどよ……キマってる顔してんぞ。自覚あんのか?」

「……え?」

 勿論ない。抑え切れないほど興奮していて、それを一気に発散できる瞬間を求めて全身を火照らせている。

 衛兵コンビは顔を見合わせ、ランゼの狂気を諫める気にもなれず決心する。

 彼女の暴走を抑止してきた大人たちと違い、二人(特にジョンク)は幼い頃、ランゼと共に多くの大人に迷惑を掛けてきた。

 それを未だに反省していない。大人たちが臆しているのだから代わりに戦ってやればいいと都合良く考えると、先程まであった恐怖心も解消された。

「俺も行くぜ」

「自分もです」

「二人とも……」

「要するに刺激だろ?お前だけずるいぞ」

「でも、下手すれば死にますよ。というより、生き残る可能性など皆無かもしれません」

「国のためなら本望です!それに、ランゼと共に戦えるというのは死ぬ直前の経験として最高の栄誉かと!」

 とにかく街に残る選択肢はない。どちらもこの非常時においては冷静過ぎるほど自身の在り方に正直だが、いつも通りの二人を見るとランゼの興奮も少し穏やかになった。

「衛兵の仕事はいいのですか?」

「仕事なんて元からそんなにねぇよ」

「前衛兵隊長の前でよく言える……」

 国の長はともかく、戦術の長には敬意を持つランゼにとって見過ごせず、つい突っ込んでしまったが、クロスは変わらずニヤニヤしていた。

 対してジョンクは詫びもせず、立場ではなくより広い視野で騙る。

「戦時中ほど国内は乱れない。同族で争っている暇がないからだろうな」

「けど、貴方たちの存在が弱者を安心させるはずです」

「どうかな。俺らはまだ若い。使える奴だと思われていないし、そう思われるには実績が要る。警備だけじゃ衛兵にはなれんのだろうよ」

「それでも二人は衛兵です。外ではなく内の守護が務めのはず」

「お前が言うなよ。役割なぞ気にしてる場合じゃなくなったからここまで出張ってきたんだろ?」

 二人を止める気は最初からなく、不毛な言い合いだからこそ完膚なきまで言い負かさると「ううう……」と呻くことしかできない始末となる。ジョンクは大人たちと違い、敗者を指差し笑い、ビスタンも思わず笑い声が漏れる。ランゼは反射的に二人の胸倉を掴むも、心から不快ではなかった。

 ジョンクはたまに鋭い。これが面白いから少年時代から女・酒・博打に詳し過ぎてもギリギリで許されている。

 ビスタンも頷く。正義感の強い彼は本来優秀で早期の出世も可能だろうに、好んでこの場所を選び、それを損とも思っていない。

「はぁ……。どうしても付いてくるのですね?」

 無言で口角を上げる二人にランゼは溜め息を吐く。

 まだ答えを出せず、王城の誰とも分かり合えず、いずれ路頭に迷う未来が訪れるかもしれないと不安に駆られても……本当に寂しくなったら二人に会うため城を抜け出せばいいのだと、新たな脱出路を発見した。

「分かりましたよ。終わったら二人ともボルテス隊長の説教を受けてくださいね」

 悪ガキ三人は邪気のある瞳で微笑み合ったが、やり取りを見守っていたクロスに「彼には私が無理を言って二人を同行させたと言っておきますよ。よって、怒られるのはやはりランゼ様のみとなります」と口を挟まれる。

 男三人を従えて煙る村へ挑むところ、アクセルを思い切り踏み込むタイミングで急ブレーキを掛けられてうっかり転びそうになるランゼ。それをジョンクに爆笑されて槍の矛先を移しかけた。

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