双頭 Ⅲ

 敵対関係のはずも、ランゼにとってミナは話しやすい相手のままだった。

 それでも心の弱さを明かせばどうせ下らない同情を買われてしまうのだろうと、現在の侍女の困り顔がよぎった。

 しかし、過去の侍女はこの時、このタイミングで王族殺しに相応しく口角を釣り上げていた。

「貴女のこれまでを束縛した彼らへの復讐心は?」

「考えたこともありますけどね。ムカつく奴もいますけど、私に万が一がないよう監視しているだけと分かれば反逆する気も失せるというもの」

「そう。彼らを皆殺しにするつもりはないのね」

「それは初めからありません」

「両国の決戦が始まった時、貴女はどの位置にいるつもりなの?」

 ランゼには質問の真意が読めず、円らな瞳に二度目蓋を被せる。その最大の問題点について、これまで一度も考えたことがなかったからだ。

「洗脳と言っても間違いじゃない。貴女はカームズ国の代表として私たちと戦う流れに誘導されている」

「ミナ、間違いばかりですね。私は戦いを取り上げられているのですよ。決戦だって参加させてもらえないかもしれない。代表として、勝つための戦力を集めるために動いても大人たちは応じてくれませんでしたから」

 無の成果を自嘲し、仮初の女王はその場で槍を振り回し踊る。それにも意味がないと自覚して。

「私はカームズとランページの架け橋。勝手に動くことは許されない。いつだって、ジッとしていろと諫められて終わり」

 ミナの口角はそのまま、瞳には猛烈な情動が巡る。これまで育んだものとは比べ物にならないほどの憎悪も込めて。

「……そうね。私はずっと間違っているわ。だから『双頭』の名を授かる。……けど、自信もあるのよ?」

 ミナにとっての最重要事項は、決戦の火蓋が切られるより先に伝えなければならない。

 城壁を挟む内と外、双方から鎧の騎士たちが足音を抑えながらも多く湧いていることに気付いたから急ぐ必要があった。

「ランゼ、貴女の居場所はここじゃないわ」

「ミナ?」

「生き残りは少ないけど、それでもまだランページは終わっていない。誰もが貴女を待っている」

 ……待っている?ランゼは思いもよらぬ言葉に思考が止まった。

「私を?」

「当然よ。貴女はランページ国最後の王族。真っ先にここを滅ぼし、それから亡国を再生する。『名もなき島国』にランページの旗を掲げるのよ。その未来には貴女がいてほしい。貴女が主役の時代を始めるのよ。……少なくとも、私たちは歓迎する」

 改めてランゼに手を差し伸べる。ランページの姫だから嫌われてきたランゼは、ランページの姫だからこそ復活を望まれた。

 手を取ることも、はっきりと断りを入れることもなく、何かに臆して一歩引くランゼ。拒絶ではなく、整理がつかず困惑しているからだと確信して尊顔に戻るミナ。

 ミナが一歩近付くたびランゼは一歩後退する。ランゼは大粒の汗で前髪が乱れており、その原因も分からず頭が沸騰する。

 両国の架け橋として「何もするな」と、軟禁生活を強いられてきた自分は、ただ祖国の側に戻るだけで良かったのだ。

 ミナが目印の双剣を持っていないことで下の騎士たちは包囲できたと思い込む。慕う第一・第二王子を殺めた女アサシンを処する絶好の機会に違いないと、昂ぶる眼光を放つ。

 復讐を二の次とし、ランゼを支持する一部は彼女を案じて「飛び降りろ!」などと叫ぶも、今のランゼには聞こえていない。

 二人だけと思い込む高台。その一方の扉が僅かに開いている。クロスが尾行していたのをランゼは知らず、気付いていたミナは彼に瞬きしてから早足でランゼに接近して囁く。


「王子たちは全員生きているわ」


 ランゼは驚愕した。微妙だが確かに聞こえたクロスも彼らしくない顔になり、それでミナは気分を良くする。

「ただし、貴女がカームズ側につくのなら三人とも敵になる。この意味分かる?」

 ランゼは追い詰められて呼吸にも意識が必要だった。密着したミナの、花畑を連想する香りを嗅いでも蕩けられないほどに。

 薔薇の棘。双剣無しでも強いと聞くミナにクロスも仕掛けられず、主君が危機的状況でも安易に動けない。

 不敵に嘲笑し、ミナは街の方へ飛んだ。陽が沈む空を背に羽ばたく姿から自害したとは誰も思わず、外側に集まる騎士たちさえも飛び越えて去った。



 クロスが立ち尽くすランゼに駆け付ける。危害を加えられたわけではなく、敵の言葉に自信を失くすような御方でもないと承知しているものの、かつて見たこともない俯き具合を心配しつつ。

「ランゼ様、村が滅ぼされます。急いで騎士たちを向かわせるべきです」

 ランゼはさっきまで女アサシンがいた地面を見つめ続けていた。

 五秒後に「それは勿論です。既に追いかけている者もいますし……」と、黒い鳥を追って村へ走る疎らな鎧を見下ろして言った。自覚はないが聞き取りにくい声量で。

 心中を察するクロスは、それでも彼女の臣として「貴女が行かなくていいのですか?」と言葉を掛けた。

「え?」

 ランゼには本当にその気が無かったから、クロスにとってその反応は意外だった。あれほど戦いのきっかけを探していた問題児が、大人たちの見ていないこの頃に他者へ機会を譲るというのだから。

 騒ぐ群れが遠くへ去ると、二人は昔の夜みたく静寂に身を委ねた。

 誰かの指示に従い、この国を守るために命を賭して戦う。

 その枠組みの中にいない二人だから、非常時ほど大人になってしまうのだ。

「私は貴女の思うように動けば良いと思いますがね」

 獣が来る。つまり、戦いはもう始まっている。

 ランゼの戦意を肯定も否定もしてこなかったクロスでも焦りを覚える。いくら慎重でも結局は強大な敵の判断一つで翻弄されてしまう自国の不利を痛感した。

「恐らく今の我々では獣に太刀打ち出来ません。村のランページ人たちも、最後には狩られる始末となるでしょう」

 賑やか過ぎる夜の街を共に眺める。

 何事か分からず逡巡している民たちに構わず敵を追いかける騎士たちを見つけ、それらが自分でないことをランゼは憂う。権威も力量も自分の方が優れているというのに、彼らは一切迷わず『賊を討つ』と決断したのだ。その潔さはランゼが憧れて、そして未だ示せていない理想の姿に他ならない。

 朧気な野心を言い負かされたこと。命を懸けた戦いを阻まれたこと。何度もある。それらのせいで今も煮え切らず心囚われている。

 しかし、それらも結局はランゼが決断・実行に至れなかったからだ。

 いざとなれば押し通せた。それで、一つでも戦果を上げればこのように停滞することもなかったと思う。

 自分が甘い。周りの大人たちが自分を束縛していたからではなく、自身が強行を制限していたのだと、ランゼは思い知った。

「私は大人になっていない。なれない。……いや、少し違うかな」

 実質の長から改めて指示を受けて騎士たちが去るも、庭には新たな人影がある。オルダルと、騒ぎから恐る恐るランゼを探しに来たシャンナだ。

 二人を順にゆっくり見つめて、ランゼは自らの誤解を紐解く。

「私から戦いを取り上げていたのは私自身だった。戦うことばかりで、そこに繋がるそれ以外のことを疎かにしていたから、誰も私を信用できなかった。もっと大人としての信頼を勝ち取っていれば、今頃は彼らのように躊躇わず走り出せていたのかもしれない」

 周囲の大人たちが寄せる想いまではまだ理解できていない。あくまでも束縛と思い込み、庇護の対象の自覚は持てずにいる。

 それでもランゼは、自分がどれだけ周りの大人たちを心配させてきたのかをようやく理解した。自分がまだ彼らのようにはなれないとも分かった。

 ミナはランゼを正当な指導者として迎えるためここに現れ、同時にいかに誤った世界にいるのかも説いた。

 それがランページ側にとっての失態となる。

 六年間を知らない敵に周囲の人々を悪く評された時、微かながらもランゼには怒りの感情があった。彼らと同じく、譲れないものを守るために戦いたいという、具体性のない稚拙な正義感が。

 それでもそこが肝心なのだと思えてならない。誰もこれを説いてくれなかったことにランゼは怒り、それから「こんなもの他者から説明を受けてもピンと来るか!」と、やはり怒った。

「クロス、間違っていたら指摘してください」

 心配はある。だが、今こそが自立する好機なのではないかとクロスも気付く。

「大人とか子供とか、カームズとかランページとか……そんなに変わりはないんじゃないでしょうか?だって、みんな譲れないものを守るために戦っているだけです。それが貶された時に決まって激情に駆られる。それは大層な誇りでもあり、赤子の駄々と同じです」

 クロスは不覚にも笑ってしまった。地位だけで実績を持たない娘の生意気な論理と、古い侍女が落としていった『善意きっかけ』と、主君の成長に。

「ですから、みんなが意地でも私を死地に立たせなかったように、私がその抑止を振り払い出撃するのも自由です。そう、私は最初から自由だった。どこへでも行けた。大人たちが私をこの場所に縛り付けた鎖など、初めから在って無いようなものだったのです」

 少女は改めて気の合う老成を見つめて悪戯に微笑み、それから下の二人に慈しむような顔を見せる。それから……。

「同盟国の民が殺されるというのに王が動かないのも間違い。国一番の戦力が城で待機しているのも間違い。そう思いませんか?」

「貴女の命が第一ですから、不満は特に」

「じゃあ勝手に行きます」

「それはいけません。貴女はこの国で最も価値のある存在ですから」

「行かなくてもいいのかって言ったくせに」

「今と比べて陰る様子でしたからね。貴女を危険に晒すわけにはいかないのと、貴女が行けばあるいはという希望と、両方あるのは確かですが」

「めんどくさ……」

 悪童たちは互いの本心を察した上で無駄な会話を繰り広げた。

「言ったでしょう?子供とか大人とか関係ない。……王位も関係ない」

 クロスは眼鏡越しに一瞬の閃光を錯覚した。それほどまでにこの瞬間を待ち焦がれていたのだ。


「共をなさい。両国の架け橋でも、いずれかの国の王でもなく……クロス、貴女のあるじとして命じます」


 僥倖を得たクロスは、思わず口元が緩んだ。

「やれ、今回ばかりは私までオルダル殿に叱られてしまいますなぁ」

 街の方へ飛び降りようとするのを察した侍女がランゼの名を叫んだが、今度も立ち止まらなかった。

 一方、クロスは重臣と目くばせをしてから天端につま先を乗せる主君の隣に立つ。


 ――サインを受け取った重臣は両手を組む侍女を置いて動き出した。

 

「武器は槍だけでよろしいので?」

「私たちが着く頃には既に戦いが始まっているはずです。それなら落ちている武器を拾えばよろしい」

「恐ろしい発想で。しかし、一刻も早く合流を目指すというのは、貴女と同じく戦いに飢えた者たちの士気を高めるでしょうな」

「私たちより自分の心配をしてください、クロス。貴方こそ手ぶらで赴くつもりですか?」

「私が愛用してきた得物は貴女に奪われてしまったのでね」

「え?……初めて知りました」

 集落から上る煙が一つ二つと数を増していく。

 ランゼは逸るも、本来鍛え抜いた男が握るその槍を扱うには細過ぎる肩をガシッと掴まれる。要点を確認する必要がクロスにはあった。

「何ですか!?」

「出撃前に一つ。ランゼ様、貴女の『譲れないもの』とは何でしょう?」

 個人としての自立は(一先ず)済ませても、戦いの理由についてははっきりしていない。吹っ切れたつもりでいるランゼにとって痛いところだった。

「……それは戦い中で見つけます」

 束ねた紺色の髪が夜風に靡く。それで誤魔化す。呪いのように『正しい闘争』に囚われたランゼは意味をまだ見出せず、これまで通り不都合から逃げるように城を飛び出した。

 ランページ村を救う。王として立ち上がる。臣らを愚弄した罪を後悔させる。

 ……それら全てが嘘偽りだから、事実として暴走と取れる出撃に後ろめたさを感じていた。

 戦いたいから、戦う。

 そんな空っぽの意志でどこまでやれるのか。初の戦いを前に心境はどっちつかずだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る