双頭 Ⅱ

「やっと会えた。綺麗になったわね、ランゼ」

「貴女も――」

 第一・第二王子を殺めた、断じて王城に立ち入れてはならない逆賊の奸婦。

 スリットの深い黒のワンピースとロングブーツの間から太ももを露出する、男性なら誰もが気にする魅惑の様相で、第一王女の前に現れたのは……。

「双頭のミナ」

 ストレートの黒髪を揺らし、尊顔。

 ランゼが『名もなき島国』に売られる前まで幼い彼女の侍女を努め、陥落前はザイに次ぐ腕利きとして暗殺業も多く果たしてきた凶刃の女。

 他に誰もいない。王城の誰も敵に入られたことに気付かず、ランゼも助けを呼ぼうとしない。昔より高くなった目線から、昔よりほんの少し高く、そして開放的になった古い従者と向き合う。

「私を殺しに来たのですか?」

 問われるミナは一瞬だけ眉毛を歪ませ、それからすぐ不敵の相貌に戻る。

「いいえ。ほら、剣も持ってきていないわ」

「武器など無くとも貴女は強いと知っています」

「私は『双頭』の名に相応しく双剣を使う。ランゼが知らなかっただけで、昔からね」

「双剣など無くとも私を殺せる」

「その気が無いから置いてきたのよ」

 長いまつ毛の奥に宿る熱視線が右手にある槍を注視する。ランゼは反射的に握る力を強めた。ミナはランゼを操作できたのが愉快でウフフ……と妖しく笑う。

 王城の大人たちであれば苛立つところ、ランゼはそれを不快に思わなかった。

 再会が嬉しいからではなく、未来ばかりを見据えて今を制限する者たちと違い、ミナなら自分を羽ばたかせてくれるのではないかという期待があるからだ。

『双頭のミナ』が夜を迎えようとするこの頃にランゼの前に現れた理由も、正しくそこに当てはまる。

「私たちはこれから、ランページ村を襲う」

「何ですって?」

「最終目標はこの王城だけど、その前にまずあの村を通過しなくてはならないからよ」

「彼らは戦意なき者たちです。巻き込まれるいわれもありません」

「目標は王城。それを阻む障害を取り除くための侵攻なの。そう決めた。戦意なんてどうでもいいわ」

「どうでも……」

 見過ごせないことを言っているが、ランゼの関心は無辜の民たちにはない。

「騎士団の精鋭を以てしても突破できなかったという、強力な獣たちを率いて?」

「それは後にね。今回使うのは二匹だけ。それで十分」

「私はまだ戦場を知りません。獣も、直接手を下すまでには至らなかった」

「そうね。あの時、貴女に事故が起きなくて本当に良かった。貴女が獣に挑むつもりでいたと聞かされた時は愕然としたわ」

 ミナの言葉に偽りはない。自らの手でランゼに引導を渡すつもりなど皆無で、本心から生存を望んでいる。

 一方、ランゼは数少ない戦いの記憶を呼び起こし、先程までが嘘のように冷静だった。

「獣の脅威はよく知っています。今の私たちでは敵わないことも」

「そう?まあ、貴女が言うならそうなのでしょうね」

「けど、二匹だけ?二匹だけで十分ならどうして今まで襲ってこなかったのですか?」

 ランゼは試すようにミナを睨む。戦場を知らずとも、戦いの素質は十分な麗人の挑発にミナは興奮していた。現在の主君が予想した通りにランゼが成長していたからでもある。

「強い駒ほど条件が手間なのよ。侵攻はとっくに出来たことなのだけど、どうしても動けない理由があった」

「それは?」

「貴女には本当のことを伝えたい。だから……」

 ミナは潤む瞳でランゼに手を差し伸べる。

 忠誠を誓った主君に再会した喜びというより、恋心。その手が裏切りの血に塗れていようとも、現在の主君から「まだ早い」と止められていたとしても、ミナは独断でここまで来てしまったのだ。

 全ては、ランゼを一途に想って……。

「双頭のミナ……」

「二人の時は普通に呼んで。私も、望むならいくらでも傅くわ」

「自分で言ったくせに……」

 同行してくれるなら真実を話す。拒むなら教えられない。

 暴走気味ながらも立ち場を弁えるランゼは軽くない。

 ミナもランゼをここから連れ出すのは容易でないと分かっていた。

「ランゼ、今までずっと惨めな想いをさせられてきたのでしょう?その男装だって酷い所業……。虐待の傷を隠すためにドレスを禁じられているのね、きっと」

「いえ、女性らしい格好はどれも動きにくいし侮られるから嫌いで……」

「噂は耳にしているの。この国の民はまだ貴女を認めていない。ずっと差別を受けてきたのでしょう?」

「いえ、世評を無視してきたツケが回ってきているだけで……」

 ……思いのほか異国でどうにかやっていたランゼに、逸る気持ちも含めて焦りを感じるミナ。ランページの風と地を知る者同士であればきっと分かり合えると信じていたが、ランゼの頑固ぶりが六年前から健在であることに感嘆すらした。

「さ、流石は最後の王族。人並外れた精神ね……」

 ランゼの憂鬱には別の理由があり、期待したミラもそこに気付いていないらしく少し呆れる。ここで奸婦を始末するつもりはないが、それにしても急に緩い雰囲気になった……と、沈む夕陽に眠気を誘われる。

「ランゼ、ここの人たちは優しい?」

 眠気覚ましを受けて目を見開く。振り向くと、安堵か憂いか曖昧な表情の元侍女がいた。

「あれから六年経った。貴女を囲むのは母国の貴族ではなく、異国の貴族たち。私は同胞を虐げるカームズ人が憎いけど、それでも亡き国王には好印象がある。私は最初の戦争以降、姿をくらましていたからその後のことは知らない。だから、教えて。ランゼにとってこの六年間はどうだった?」

 始めから互いに戦意は無いが、とてもカームズの王女とランページの暗殺者が邂逅する場面の静けさではない。ランゼなど期待外れに失望するほどだった。

「私だって確かなことは何も言えません。色々ありましたから。思えば私のような人生をやっている者が歴史上に何人いるのか」

「貴女を受容できても、貴女の人生に同情する資格がある者は誰一人いない……。苦しい孤独のはずよ」

「そうですね。そして、私はまだ暗闇の中にいて、この先もずっとこの孤独を背負って生きていくんだなと悲観しています。私にはどうにも……大人になる上で欠かせないパーツが欠けているようなのです」

「それは境遇ではなく、貴女の本性かもしれないわね」

「私もそう思います。けど、いざとなれば皆を率いて戦地に赴く権利があるはずなのに、それを周りの大人たちは認めてくれない。みんな私の味方です。でも、私は子供だから、戦ってはいけないのです」

 いくら御託を並べても、『正しい闘争』という難題を解消しても、戦うことが叶っても……この孤独が晴れる未来は訪れない。


「私は一番槍になりたかった。何も考えず突撃し、そして悔いる間もなく散りたかった。それだけの理由で槍を選んだのに……」


 この時ばかりは自らの孤独に涙した。

 ランページ国では、力のない騎士が死を厭わず敵陣に突撃する際に用いる武器が槍だった。

 つまりは捨て駒の証。ランページ国の大人たちからすれば周知だが、まだ幼かったランゼはそれを知らず、自らの報われない生涯への皮肉を重ねていた。

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