双頭 Ⅰ
第一王女の権威がお飾りでないことを証明するのには成功した。
しかし、成果は得られず。打開策そのものだったザイにも主君ではなく娘として扱われる以上は進展しない。
王城に戻ったランゼは煮え切らない表情から無駄足だったとオルダルに悟られ、嘲られる。これまでの経験からして一悶着あるかと外野も警戒したが、ランゼは癇癪を堪えて寝室に逃げた。
「やはりあのままか」
オルダルが問い、クロスが頷く。地下独房と同じくシャンナが主君を追う間に真の進展が起こる。
亡き王の側近・オルダルと前衛兵隊長・クロス。王も王子もいない今、若手中心の兵たちを束ねられるのはこの二人で、これから迎える決して負けられない戦いにおいて、完璧な判断が求められる立場にある重鎮。
カームズの残存戦力のみで獣の群れを突破するのは不可能。
そのため、二人はランゼが始動するより前から剣闘士たちの力を借りるつもりでいた。ザイたち全員が加勢する約束も、実は既に済んでいる。
そうと決まっている上でクロスは闘技場へ同伴した。オルダルもランゼが地下独房へ行くのを予期しながらも止めず、鍵を盗めるように警備を空けておいたのだ。
「斥候が帰ってきた。やはり夜間が活発で、朝・昼が鈍い。特に夜明けは日の出に怯む素振りを見せるほどだそうだ。境界線を少しはみ出ても襲ってこないほどに」
「貴方も無茶を命令する」
「奇策など特に無いからな。それなら情報だ。この戦争に敗れたらカームズは滅ぶ。戦場は狭いんだ。急ぐ必要がある」
「王の許しなく騎士を動かすのは、常時であれば極刑ものですな」
「あの馬鹿が戦いについて見解を示し、王としてこの国の未来を考えられるようになったのなら、喜んで処されてやるよ」
情を重んじて隙を見せる国王・クルーダを影で支えてきたオルダルは冷徹だが、このような状況では流石にヤケもある。自覚があり、クロスもそこは指摘しない。一発逆転の切り札など無いから無理をするしかないと思い込んでしまい、ベテランに生かされた若い騎士たちを結局は捨て駒のように使っている。
「剣闘士たちはどうだ?」
「ランゼ様がザイ殿と話されている間に他の者たちと短く言葉を交わしましたが、心変わりする気はないようで」
「全く、畏怖すべきほどの忠義だな……」
「彼らは望んであの場所に留まっていますからな。それも、我々と似た理由で」
「……フン」
廊下の突き当りを曲がり、侍女を連れて去る『切り札』を二人は見送る。
「怒りのはけ口として彼らを奴隷扱いする連中は、ざまあみろで済んでいるがな。そうでもない、彼らは無実だと受容できる者たちからは解放を求める声が上がっている」
「住まう家も空いていますからな。もっとも、解放するのならランページ村が最適でしょうけど。しかし、このタイミングで彼らを外へ出すのはまずい。また新たな諍いが起こる」
「そうだ。そして、彼らは抵抗もせず殺される。深淵で燻り、待ち望んでいた『正しい闘争』の機会を得ることもなく」
「フフフ、最も頑固なのはザイ殿たちか」
「笑いごとじゃねぇよ。今日にも獣共がここへ押し寄せてくるかもしれねぇのに、どいつもこいつも……」
クロスと別れた後もオルダルは独りで文句を吐きまくった。離れて様子を窺っていた臣たちも、彼が負っている重責からそのくらいの『はけ口』は必要だと理解し、クロスに一瞥してから後に続いた。
ランゼの覚醒は、絶対に欠かせない要素というわけではない。いざとなれば置いていくことも、覚醒なく戦地へ赴くことも可能ではある。
しかし、それで勝利してはランゼが勘違いをしてしまう。敗れればこれまでの全てに意味が無くなってしまう。
そのいずれの結果も『名を求めた国』を愛して逝ったクルーダ王の手前、臣たちは躊躇した。
殻を被ったままのランゼの『矜持』を、自らの内から生み起こすきっかけになれる者がいない。
致命的に役者が足りていないのだ。ここには昔からランゼの未来を案じる者ばかりで、過去を知る者が誰一人として……。
急ぎやるべき事などあるはずもなく、ランゼは夕食までの時間を持て余す。
「それならお勉強を」とシャンナが口にするより前に「おっと、野暮用が」と見え透いた嘘をほざき、淹れてもらった紅茶を一気飲みして飛び出す。
クロスを教育係に指名してから勉学にも意欲的になったが、このようにサボる場合もまだある。
王城待機の騎士たちが稽古をする庭へ行くも、フロントの臣たちとすれ違うばかり。戦意ある者はいない。見かねた一人に「今のうちに夕食を済ませている者と、役目を終えて休んでいる者ばかりなのですよ」と教えられると、また自分の知らないうちに様々なことが動いていると知って幼い苛立ちが高まる。
「何も変わってない……」
曲がりなりにも女王だというのに、大人たちからは未だ丁重に扱われる。
それで、雑に扱われてもこのような不満に苛まれるのだ。短気を自覚できるようになったランゼは周囲も自分も嫌いになっていった。
もしくは、誰も自分を王位として認めていない。煙たがっているのか。それは仕方のないことで、同時に自分ではどうしようもない難題に他ならない。
カームズ人からすれば自分が邪魔な存在に映っているなど、とうに知っている。自分を暗殺する計画を誰かが企てているかもしれないとして、それに疑問を抱くこともない。
自分は動じられない。
だから、変わらないのだ。
「いいじゃないですか、理由なんて。勝たなければ全てが終わるのですから。それなら戦力を最大限まで高めて挑むだけでしょう?頭で考えても迷いが増えるだけです」
どうせ誰も自分の話など聞いていない。遠慮なく不貞腐れるランゼ。取り残されたように広場でポツンと佇むお姫さまを風に揺れる草木が嗤う。
戦争もきっとこういう些細な苛立ちから始まるものなのだと思い、おもむろに倉庫から槍を取り出して城壁を上る。ロープはもう不要。一番高い木に登り、そこから高台へ飛び移る。叱る者は誰もいないし、いたとしても逃げればいい。
叱られのが嫌で逃げるわけではなく、あなたたちが戦わせてくれないからこうなったのだ。『はけ口』がなければこのように歪んでいく。
架けるべきでなかった橋。そのような風評を受けてもランゼは傷付かない。
ただひたすらに、そう言う連中が自分を排除するために立ち上がらない世界を、これだけやられてもまだ平和などを信じる臆病者たちにひたすら幻滅するばかりだった。
「志なんて、罪を忘れるためのものでしょ」
戦地へ赴く腕利きたち、勇敢な者、本当は戦いたくない者……誰であれ一度は考える戦いの理由について、ランゼは答えを出せずにいる。考えようとすると、焼けるように頭が熱くなってしまう。
自分の頭が悪いだけでなく、周囲の大人たちが戦いを取り上げ、戦場の実情を教えてくれなかったのが悪いのだと、決まってそういった考えに行き着く。
小さな島故、日が暮れる時間帯は神秘的絶景となる。太陽という巨大なボールが水面に溶けていくように見える。
多くのものに関心を持てず、風情への感動を言語化することの出来ないランゼだが、斜陽が眼だけでなく煮え切らない心にも沁みてくるように思える感覚があるのは分かった。
初めて見た時の感動はもうない。縦長の建物が邪魔をする。目の良いランゼは木の枝に蛇が絡んだような形の塔を、純粋に好きだったここからの景色を奪われたことで恨んでいた。
何て幼稚な怒り。そう思う。それから……。
「怒りに大人も子供もない。戦いだって、やりたい人が、やりたくない人のいない場所でやればいいのに。私よりみんなの方が馬鹿じゃん」
沈む陽を眺めて、揺れる声でそう言う。
街の方へ足を出して座る。腰を滑らせて、着地が面倒だと感じたら死。
弱気な自分を大人たちに見られるのは嫌だった。自由に動き回りたいだけで、迷子になりたいわけではない。
本音も、誰にも伝えないつもりでいた。だから……。
「それが貴女の気持ちなら、私が叶えてあげるわ」
いつの間にかすぐ傍に人の気配があり、その者から誰にも言われたことのないような言葉を受けると、ランゼは無意識に立ち上がった。
うっかり本当に転落しかけるも、どうにか留まり声の主を確かめる。
見知った相手だった。それでも懐かしい。カームズ国とその中心で生きるランゼの安らぎを崩す仇敵の一員でもある、女アサシンが優しく
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