奴隷剣闘士 Ⅲ
闘技場再開ともなれば景気良く行く必要がある。主役のザイか、対戦相手のいずれかが命を散らすような結末を期待する者が多い。
まだ辛うじて保たれている沽券と士気をこの時期に損なうのは避けたい。カームズの騎士は殺されない前提だが、敗れ様など晒しては民の不満が王城にまで雪崩れ込んでくる恐れがある。
それでいて闘技場の主役であるザイを外すことも出来ない。
よって、彼の前には同じランページの騎士が立った。ハンデとして大斧も鎧も取り上げられたザイには無骨な剣のみが与えられるのに対し、相手は本番の武装。
ザイは殺さなければならない。「亡き国ではなく、自らの矜持のために戦える時代を待とう」と誓い合った戦友を。
互いが不正なくこの場所にいると分かり合った上で、その胸を紅蓮に染めねばならない。
観客席に視線が集まる間もあったが、二人が舞台の中心に寄り、睨み合えば元の歓声が戻ってくる。
心無い野次はなおも飛び交う。ザイも、対する騎士もそれに心を乱すことはないが、眉間に皺を寄せるくらいの変化は見せた。
祖国が滅び、他のランページ人たちと隔離された地下に閉じ込められても尊厳を見失わなかった男たちだから雑音など今更意味を為さない。
彼らはただ、殺し合うしかない。いかに理不尽な状況下に置かれても。
戦うことしか知らず、それでも正義だけは捨て切れなかった自分たちを、改めて聖戦へ導いてくれる真の指導者が現れるまで。
互いに剣を抜き、武装した騎士から果敢にザイへ突撃する。
剣戟を交わす直前、ザイは先に観衆を支配した少女を一瞥した。
大方の予想通り決着は早かった。
真実を知る一部の人間もそれを悟られぬよう「隙が生まれたら容赦せずに」と指示してあるため、対する騎士の剣術が及ばないと観衆にバレた直後に『判断』を下した。
得物が安物になろうとも担い手が豪傑であれば遜色はなく、剣戟の末、相手は得物を弾かれ地に転がる。そうなればザイはトドメを刺さなくてはならなくなる。可能な限り鈍い足取りで相手に近付くも、情けを掛けることは出来ず、柄を強く握り相手の腹部に切っ先を入れた。
相手は身を丸め、苦痛に顔を歪め、腹部からにじみ出る紅が遠目にも見えるほど鮮明になったところで痙攣、目蓋を閉じた。
決着に闘技場が沸く。勝者への喝采ではなく、死したランページ人への「ざまあみろ」というニュアンスの野次ばかり。異様な光景だが、これも分かり切っていたこと。ザイが勝つと誰もが予想し、敵国の主格にはこれからも見世物として踊ってもらわなければならないから安堵もあった。
元は無辜だった人々が、侵略と裏切りによりこれほどまで豹変してしまった。……そう悲観できる者はここでは少数派で、誰もが次のカードを心待ちにする。
ザイは退場。遺体も運ばれる。
次はカームズの騎士とランページの騎士が殺し合う。この場合、ランページの騎士は鎧を取り上げられるため非常に不利になる。
昔と今では実情が異なるため、少なくとも観衆は皆してランページの騎士を惨殺する結果になると思い込んだ。
ランゼは目当てのカードが終わると従者二人を率いて闘技場の外へ出た。闘いを終えた奴隷剣闘士はその後しばらく自分の独房で暇になるから好機だった。
独房へ行ける道は闘技場の入り口と違い、別の小さな扉から入れる。
そこを守る衛兵を強引にどかしてランゼは奥へ。地下へ続く下り階段が真っ直ぐ続いていた。
光が無い。扉を閉めれば一気に闇の世界で、何も見えなくなる。
暗闇への恐怖に鈍いランゼでも心許ない。どうしたものかと振り返ると、衛兵が仕方なくハンドル付きの燭台を貸してくれた。扉の傍にある松明から火を借りて、シャンナがそれを任されようとするのを阻み、自らそれを持ち先頭を歩く。
視界が良くなると深淵に思えた階段が思いのほか短かったことに気付く。入り口より堅牢な扉があり、オルダルに無断で拝借した鍵で錠を外して進む。
扉の先は……全体的な間取りとしては広いが、よく見ると窮屈そのもの。一人で過ごす分には事足りるが、娯楽など何も無い、光の当たらない独房が並んでいる。
隣との密談を防ぐため厚い壁が挟まっており、どの部屋も扉の隙間以外からは空気が入らない設計となっている。
このような場所で何日も過ごすなど考えただけで精神が不安定になる。物怖じしないランゼも陰気に吞まれそうになる。
加えて、彼ほどの猛者であれば隙を見て抜け出すことも可能だろうに、何故この場所にこだわるのか不明で更に悩んだ。
「彼はどこに?」
暗闇を歩く。各部屋の隙間を覗くのは手間で、名前を呼んで返事してくれる相手でもないと思い、ただ前へ進んだ。
途中、いびきや呻き声も聞こえたが、どれも彼のものではないと断定して通り過ぎた。
左右横並びの独房の真ん中、一本道を歩き続けると、途中で別の場所へ繋がる細い道が見えた。
それも一先ず置いて更に奥へ進むと突き当り、道が終わる。
独房の最奥。まるで長テーブルの上座みたく、最も強い存在がいると分かりやすく示すように、構造は同じでも唯一その独房だけが開けた道の先に置かれていた。
それが彼の部屋だと確信して隙間から中を窺うランゼ。シャンナはアワワと焦り、クロスはホホホと呑気。
「おーい。もしもーし。我が国最強の騎士さーん?」
彼を確認するより先にそう呼んだ。
獣に挑もうとして、それを彼に阻まれて以来の会話となる。当時も噛み合わず、母国にいた頃など碌に知りもしなかったのに、これほど躊躇なく口火を切れるのはランゼ自身も意外だった。
落ち着いて話せるから浮かれているのか、あるいは自分でも分からない因果か何かにより彼には遠慮などいらないと思えるからか。滅んだとはいえ一応は彼の君主であり、カームズ国第一王女でもあるランゼだが、その権威を振りかざすつもりはなく、ただ交渉のために活用するのみ。
たとえ向こうに忠心があったとしても、それを示されるまでは気付けない。
「いるなら返事してくださいよ、ザイ」
不退転な彼の情動が揺れることは少ないが、そんな彼をこのように翻弄できるのはランゼに限る。
「もしもーし?」
「……来たのか」
「はい!貴方に用があるのでね」
「悪いが俺は――」
「あっ、今ここ開けますねー」
「……あ?」
ガコン!錠の外れる音が静かな空間に響く。
その音は普段、戦いに呼ばれるか、食事・排泄の際にのみ鳴る。他の奴隷剣闘士たちもつい反応し、一斉に聞き耳を立てた。
「用とは一体……」
「分かっているでしょう?貴方も、他の騎士たちも、戦力として我がランページ国と戦ってもらいます」
その、命令ではなく願いは、ザイの望むところでもある。
しかし、ランゼの浮足立つ様子を見抜いたザイは「応!」とは乗れず、随分と為政者らしくなった主君の成長か暴走に唖然とした。
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