奴隷剣闘士 Ⅰ
カームズの王城と街、非戦を絶対とするランページ人の村、未だに余る草原。
その先、広く見れば草原を挟む形で王城の対に位置する蛇の塔は健在。守る全長三メートルの獣も日に日に数を増している。
獣たちの間を悠然と歩ける女アサシン、高みからそれらを見下ろす長老、彼と共に立ち上がった高齢の魔法使い十名。
彼らがその気になればカームズ国は一日で滅ぶ。残存戦力では獣共に太刀打ちなど出来ない。それはかつての闘技場でランゼが目の当たりにし、オルダルが戦場で思い知った歴然の差から明らかなこと。
カームズの民も、果ては臆病者として粛清されるのではと怯える村人も侵攻を恐れていた。現王族の提案を無視して王の間を閉じたオルダルも、城を出れば不安に駆られる民たちからの質問攻めは免れない。
逆に亡き王の側近より偉い位のランゼは、正面から街へ繰り出しても相手にされなかった。彼女に勘違いをする者と、「元凶はあの娘だ」と諫める者がいて、彼らから辛い視線を受けるもランゼは傷付かず、自分よりもシャンナを庇い「気にする必要はありません」と励ました。
必ず二人を連れて歩かなくてはいけないわけでもないが、自然と後ろにクロスとシャンナが付く当たり前が出来ていた。
そこへ向かう際にはランゼも事前に伝えるが、シャンナは同行する意志を曲げなかった。ランゼも無理を押してそこへ出掛ける許可を得ているため、彼女の気概を無下にはしない。
「おや、私の心配はしてくれないのですか?」
未来のためだけでなく、過去から現在へ残るネガティブに立ち向かう女性二人と対照的に、特に何も気負うことのない老成はいつもの調子で主君を茶化す。ランゼも、他の大人たちと違って愉快な彼が貴重だから不敬を誅することはなかった。
「貴方ほど適当な男の人生に何の心配があるのです?」
「沢山ありますよ。これでも繊細ですから。友も大勢死に、国も末。寄る辺がなく参っているところです」
「私がいるんだから良いじゃないですか。決戦では私より前に立たせてあげますから、何も悩む必要はありませんよ」
「ハハハ!ランゼ様、かつて島一番の槍使いと謡われた私もこのように衰えました。貴女もご存じのはずです。戦場に出たところで貴女のお役には……ああ、槍ではなく盾になれと?怖ろしい。一体誰の影響か……」
「おかげ様で」
問題児たちの会話をシャンナは傾聴していた。誰よりも二人の冗談に翻弄されているというのに、この軽快なやり取り自体は好きだった。つい笑いが込み上げるも、すぐに咳払いからの「失礼を……」で平静を装った。
二人で誤魔化すシャンナを見つめ続けると、堪え切れず噴き出した。問題児たちは満足して同時にしたり顔を浮かべた。
身分に囚われず、密かに(バレバレで)恋し合っていた第三王子・コヨークを目の前で殺されてもランページ人を憎まず、独り傷跡に耐えるシャンナをランゼは案じてきた。戦いを望むランゼとは反対の世界の住人だが、常に味方でいてくれる彼女を愛している。
大人に近付くたび彼女の苦労が分かり、それでもつい自分の気持ちを優先して迷惑を掛ける。それはこの先もきっと変わらない。
それでも、これまでずっと守られてきたのだから、これからは自分がシャンナを守る。
その密かな誓いを見破り済みのクロスもまた、主君だけでなく侍女にも等しく手を貸すと決めている。
三人はそれぞれ、自分があなたを大切に想っていることを伝えようとはしない。確かな絆と、敬意を感じられれば十分だった。
このような信頼の輪を広げていくことでカームズ国の誇りは還ってくる。それをクロスやオルダルが直接教えるのではなく、自ら気付くことが出来た時にランゼはこの国の指導者として確立する。
難解なようで実は時間の問題のみというのに、世評を気にも留めない箱庭のお姫様だから、最高効率で『勝算』を揃えられない王の器を大人たちは惜しく思う。
「街に出るのは構わんが、私こそが新たな指導者だ!などと声明を上げるのはやめろよな。頼むから……」
一日一時間限定でオルダル対世間の声代表の話し合いが行われる。
そこから生還したオルダルがやつれた顔でそう忠告するため予定を変更、有耶無耶にするつもりでいた彼のヒントについて考える時間を作った。
自分一人では限界があり、そも頭で考えるより本能に従うのが好きなランゼはすぐに無い知恵から熱を起こしてシャンナに甘えた。
シャンナも明確な答えを持っていない。加えてオルダルからも亡き王族からも「ランゼに答えを教えるな」と言われてきたため、思い当たる点があってもそれを言えずクロスに助けを求めた。
「ヒントも答えも分からないのなら、これまでの道のりを振り返ってみてはどうか?」
クロスにそう提案されてランゼは背後を振り返る。シャンナも釣られ、部屋の壁をしばらく凝視した。
教育係の老成は惜しい美女二人の素直さを愉しみ、ランゼが自ら「闘技場へ出掛けます」と決断するのを待った。
「確か今日の剣闘士側は彼のはずです」
「そうでしょう。彼でなくてはなりません」
オルダルの問題どころか、ランゼが長らく頭を悩ませている『正しい闘争』の意味も理解しているクロスは、それ故に敬意を表して奴隷剣闘士とは呼ばなかった。
王子たちと国王の死。蛇の塔と獣たち。
それらは辛うじて保ってきた街の治安を破り、奴隷剣闘士に向けられる野次は苛烈さを増していた。殺せだの、死ねだのでもない。最早人語の域を出た不協和音となっている。ストレスのはけ口として最適な場所になっているため、死した第一王子に代わり闘技場を預かっているオルダルもここを畳むわけにはいかなかった。
尊厳も健全な精神もない。第三王子が偽装したランページの騎士に討たれた時と同じ雰囲気で、罵声は外にも漏れていた。
王族とはいえ第三位。決して王位に至るはずもなく、それでも自らの立ち位置を弁え、誰に対しても優しく、誰からも認められていたコヨーク王子の死は今も死地にて嘆かれている。
震える足で観客席へ進むシャンナに、ランゼは肩を寄せて歩く。
ランページ人の魔法を借りて妥当な肉食動物を操るのはもう不可能。今は威勢の良い観衆も、警備の衛兵たちも、それが再びここに現れたらと不安な想像を避けられない。
その恐怖を紛らわせるために叫びを上げている。自分たちはまだ敗れていないと信じるために闘技場へ足を運ぶのだ。
ランゼも戦いに絡む問題であるから理解できた。シャンナが恐怖に挑むことを選び、それでもまだ克服には至らないと察して肩を撫でるのに迷いはなかった。
そして、あの男が入場した。
あの日を境に、気に食わないランページ人には卵やナイフを投げつけるのが醍醐味となってしまい、彼はその的にうってつけだった。
奴隷剣闘士・ザイ。
祖国は既に滅び、自身は敵国に飼われ、最後の王族はこの通りランページ国との最後の闘争に臨む気でいる。
誰よりも誇り高い彼を正しく扱える者はここにいない。彼を慕い、共に戦わない道を選んだランページの騎士たちも地下に幽閉され出番を待つのみ。卵やナイフを投げる下衆たちに怒ることも、それに一切動じないザイに「何故」と問うこともせずに。
ザイも、他の十名も、眼前の相手ではなく孤独と戦っている。
ランゼが知るのは、彼らが自らの意志でこの場所に留まることを決めたところまで。地下でどのような扱いを受けているかは知らない。
塔出現から五日経つ。
闘技場は今日から再開。ランゼが『正しい闘争』について考えるようになって日は浅く、未だ晴れない疑問の答えを教わりに行くには今日が良かった。
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