ランゼ
いざ、私の時代を!……と息巻くランゼだったが、呼応する者がいなければ虚しいだけ。死したクルーダ王の側近であり、事実として現在のカームズ国で最も威厳のあるオルダルが御すれば悪ガキは何も出来ない。
「私は常に前線から皆の支持を集める所存です。なので、玉座は私には不要です」
時世がまともだった頃ほど暗かったランゼは却って揚々としている。これからは自分の意思が尊重され、戦地へ自由に赴くことが叶うと浮かれていた。
「当たり前だろう」
復調したオルダルは一貫して第一王女の意思を認めない。
五十過ぎの重臣は遠征で多くの友を亡くし、他にも様々な苦悩が重なり急激に老けた。元から短い髪もより薄くなった。これからはこの世間知らずが出張るせいでより苦労する羽目になるのだろうと、光なき未来に希望を見出せずにいた。
こんな当たり前も言わなければ分からないのか……。何故未だにお叱りを受ける空気に晒されているのか不明で首を傾げるランゼに腹が立つ。
淑女らしい振る舞いを望まないようで、ドレスではなく男性用の礼服を好み着用、肩まで伸びた紺色の髪を束ねるランゼは男女問わず魅惑的に映り、彼女を認めていない者でさえ外見だけは本物だと屈した。
黙って言うことを聞けばすぐに世評を覆せる。オルダルも密かにそう評している。教育係と侍女も度が過ぎない限りはランゼの我が儘に付き合う姿勢のため、ブレーキ役兼嫌われ役はやはり彼に限る。
「オルダル。亡国より流され、今や敵国でお姫様をやっているとはいえ、それでも私はカームズ国最後の王族ですよ?今回は特別に見逃してあげますけど、今後は態度を改めてください」
「思い上がるなよ敵国の小娘が。今お前が言った通り、お前は欺瞞の姫君だ。間違っても我が国の女王ではない。だから玉座に座る資格など始めから無いし、お前の意見はお前が勘違いしているその十分の一も通らないと思え、この馬鹿が」
「ばっ!?」
開けっ放しだった王の間の扉を閉めに行くためだけに体に鞭打つオルダルだが、廊下で馬鹿に出くわすと不意に舌打ちが漏れ、馬鹿もそれを聞き逃さなかった。
お約束の口喧嘩、自らを国王と思い込む小娘の過ちを指摘する。
オルダルはランゼが向かってくる限り最後まで付き合うようにしている。昔からずっとそうで、国が史上最も陰鬱な雰囲気になった今では、このような無駄なやり取りが……オルダルにとって癒しだった。
城下の民や前線に出ない臣を除き、オルダルの旧友は全て死んだ。
今後はこいつら若い連中の時代で、光ある未来を獲得するために残りの寿命を使う。いざとなれば捨て駒にもなる。
一人になるたびそんなことを考えるようになったから、ランゼが前向きでいることに少なからず救われていた。
それでもランゼの好きにやらせるにはまだ『勝算』が足りていないから、それが揃うまでは今まで通り少女の夢の障害に徹すると決めた。
馬鹿の後ろに控える老成には心中を既に明かしてある。だからこそ未来ではなく、現在の問題と向き合うのだ。
「オルダル殿、王の間を?」
「ああ。王がいないのだから閉鎖する。清掃は毎日やってもらうが、しばらく利用することはないだろう」
「あの、勝手に決めないでくださいよ。王の間はこれからも必要になりますよ」
「……一応理由は聞いてやる」
オルダルは閉鎖を拒むランゼではなくその教育係を見ている。正しく眼中にないようで、ランゼはより憤る。
本気の喧嘩になることはこれまでなかったが、世界がこのような惨状に見舞われている以上、次の争いがいつどこで生じるかも分からない。誰もが神経質になり、侍女・シャンナもこの場で血が流れる展開を想像せざるを得ない。彼女も目の下のクマが膨らんでいる。
「私たちの目標は、カームズにとっての敵勢力を全て排除すること。それから『蛇の塔』の破壊ですね?」
「そうだ。あの塔は……あるいは無害かもしれないが、あれが存在している限り誰も心からの安らぎを得られない。もう昔の『名もなき島国』には戻れないだろうが、それでも我々の営みが存続するにはあれが邪魔だ」
ランページの戦意ある者は全て殺す。カームズの戦意ある者たちにとって共通の意識となっていた。
「ですから王の間は開けておいてください。いつでも入れるように」
「何故だ?今の話と何が関係している?」
「未来と、貴方たちです」
「何だと?」
適当にあしらうつもりだったが、少女の大きな眼に宿る陽は荒んだ心に眩しく、逸らそうとしてもつい覗き込んでしまう。特別な『何か』を持つランゼがニンマリと笑えばオルダルも無視できない。
それに、その言葉を誰かが発するたび一発で機嫌を損ねてきたランゼが、自らの舌にそれを乗せたのだから。
「私たちはカームズの未来のために戦うのです。私よりオルダル殿の方がよく分かっているはず。そして、戦後の世界にも貴方たちはいなくてはならない。それならこれまで通りであるべきです。玉座に誰も座っていなくても、貴方たちはこれまで通り悩める民の相談をこの場で引き受けるのです」
要するに自分は騎士のように戦いに臨むつもりだが、国の問題には関与しないということで、オルダルたち臣に委細を投げるということ。
オルダルは溜め息を吐いたが、同時に意外だった。自分はこの最難関を乗り越えるための犠牲で良かったのだが、よりにもよって位だけで頭の足りないこの娘に『未来』へ進むことを望まれたのだ。
「何も変えなくて良いのです。私たちは元の安寧を取り戻すためだけに聖戦へ臨む。難しく考える必要もありません」
「軟禁生活の不良娘が知ったような口を利く」
「何より皆の心が健全なままでなくてはなりません。獣を退け、グカとミナを始末し、塔を壊す。改めて平和を取り戻した時、皆の心がランページ人のように復讐や憎悪に支配されていては真の終戦とは呼べません。人生なのですから、喜べないと」
天井を仰いだり、いつもの高台を眺めたり、侍女の手の甲に口付けしたり……身振り手振りで王として生まれ変わった(つもりの)ランゼが威光を自演する。
それが段々とわざとらしくなってオルダルは訝しむ。不意打ちを受け赤面するシャンナは手を焼いた姫君の成長に感動したが、彼は騙されなかった。
「戦争を終わらせる。民の心も全て救う。両方やると言うんだな?」
「勿論です。私はいつでも覚悟しています!」
「ほーーー。立派になったもんだ。それなら戦後についても当然考えているだろうな?あん?」
「……戦後?」
シャンナを巻き込んで踊るランゼは痛いところを突かれて硬直した。一筋の汗を垂らして。
「戦いが終わった後についてはどうだ?皆を歓喜させるのは結構だが、それは決戦の結果が出た直後に限る話であり、戦後にはまた移ろいゆくもののはず。頭の固いジジイまでも平等に生き残らせる気でいるのは有り難いが、次代を担うのは若手だ。そして、その中心にいるのはお前。そうだろう?」
「そうかもしれません……」
「かもぉ?」
「そ、そうです!そうです!これからは私の時代です!何度もそう言ってるじゃないですか!」
予期せぬ流れに焦燥を隠せないランゼ。何が魅惑の麗人だ……と、自分も小娘をそのように認めていたため怒りはより増す。睡眠不足の血眼はランゼを威圧し、思考を鈍らせる。
「ほら、頑張って喋ってみろよ、女王・ランゼ。俺たちを正しく導いてくれるんだろう?」
「それは、えっと……」
「経験則だがな、戦後は戦時より面倒だぞ。お前は知らんだろうし、目を背けていくつもりなのかもしれんが」
「えっ、そうなのですか?」
一時は王の側面をチラつかせたランゼも今やオルダルの誘導に流される方が楽だと守りに入る。侍女は女王の狼狽えよう……というより、いつもの光景が帰ってきたことに細い首を傾げた。
「……この先については勝算が揃ってからだ。俺はお前を王として認めていないからな」
「そんな!臆したのですか、オルダル!」
「そう、臆した。戦う気力も無くなった。だがお前からすれば理想的だろう?俺たちが安全な場所で老後を迎えるのは」
「それでは困ります!」
「だろうな。お前には俺たちという戦力が必要だ。戦い好き、負けず嫌いのお前が塔に挑むにはまず俺たちから認められなくてはならない。だから親身になる……フリをしている」
「あう……」
「お前の頭の中は戦いばかりだ。ただ戦いたいだけ。その条件を整えるために周りに嘘を吐き続けている。中身空っぽの快楽主義者予備軍。そんな異常者が王を騙るな。未来を語るな」
勝負あり。ゴング代わりに「ハッ」と見下し笑うオルダルにランゼは瀕死の動物みたく呻るのみ。
猫かこいつは。思えば猫のような人でしたな。猫……?保護者三人は震える姫君から小動物を連想した。
オルダルは呻る小娘から自分を慕っていた部下たちの食われる様を思い出した。それからこの世間知らずが突然賢くなった不思議を明かすため、控える教育係に視線を戻す。
「入れ知恵は……まあ、お前しかいないよな」
「申し訳ありません。ランゼ様に脅されていまして」
「はぁ!?」
眼鏡を掛けるようになった老成は呆気なく認めた。オルダルは「やれ」と、無為な時間の浪費に独り項垂れる。
どちらが、どちらに似たのか。衛兵隊長を降りたクロスがランゼの教育係になって以降、このように言葉で大人を欺く遊びが増えた。一番の被害者であるシャンナは今回もやはり騙され、熱を帯びる頬を手で覆った。
「厄介なコンビになったな。ランページとの橋を繋いだのも失敗だが、クロスをこの馬鹿の教育係として認めたのも失敗だった」
「新しい風と思っていただければと。確かに幼少期から迷惑ばかり、狂った言動も目立ちますが、それは革命児の素質とも取れます」
「フン、認めてもらいたければもう少し世評を気にすることだな」
勝算と忠誠のヒントを残してオルダルは王の間への歩みを再開した。
毛嫌いしているようでいつもランゼの役に立つ言葉を残す。彼のヒントが活きたことはほとんどないが、民はともかく騎士たちが飢えているのを把握しているランゼは、急ぎ彼の言葉の意味を理解すべきだと感じた。
一人で過ごす時間が多くなったオルダルは、孤独に弱ることはなくとも国王と王子たちが存命していた頃と比べて静寂が苦しかった。
だから、ランゼといがみ合える時間は素直に楽しく、亡き王が投資した種はまだ力を蓄えここに留まっていると分かれば悲観する必要もない。王族全てが死亡しても、この国にはまた灯火がともる。
存続を占う最終局面。今、その中心にいるのはランゼなのだと、誰よりも強くそう確信しているのはオルダルだった。
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