楽園に毒麦を Ⅲ

 やがて、ランページ人が街から消えた。

 それでもカームズ人の怒りは収まらず、矛先はランページ村にまで伸び、抵抗する者は全て惨殺された。

 騎士たちは自身が『騎士としてあってはならない行い』をしている自覚を持ちながらも、コヨーク王子の無念や故郷の危機を思い出すと歯止めが効かなかった。

 戦争とは名ばかりの一方的な蹂躙であり、果てには陰湿な虐めや差別も数を増した。残された無抵抗のランページ人は正門を潜ることを禁じられ、これまで提供されていた生存に必要な物資も与えられなくなった。


 誰にも誉れのない時代は二年も続いた。

 だが、勝利を確信したカームズ国側は更なる試練に見舞われる。


 世間の悪評は変わらないが、闘技場での狂気に蓋をしたランゼが外出を認められるようになった。

 カームズの代表として今回の戦争でも実績を残した第一王子・タクトは、クルーダ王以上の権威と信用を獲得。彼が外出を許可すれば誰も阻むことは出来なかった。

 タクト王子が遠征に出掛けている間に両国の諍いが勃発。それが戦争に化けたタイミングで第二王子と共に帰還したため、カームズの民からすれば彼は正しく英雄そのものとなっている。

 しかし、ランゼは兄のそういった間の良さを常に疑っている上に城下への関心も薄れてきているため、お許しをいただいても昔ほど心は躍らなかった。

 それでも、この日だけは出掛けるに能う理由があるため甘えることにした。

 長らく共に消沈していたシャンナが正式にランゼの侍女となり、トラウマに違いない闘技場への同行を自ら希望してきたこと。

 あと、ジョンクとビスタンが衛兵見習いとして警備に参加しているようなので冷やかしに行くため。

 右も左も分からず大人たちに迷惑を掛けまくる自分の醜態に気付いていなかった頃、そんな自分でも大人になれる場面があると教えてくれた、かつての衛兵隊長・クロスを教育係に指名し、その彼と外の世界を歩けるから。

 それから何より、戦後の闘技場で彼がどのように生きているのかを、自分の目で確かめたかったからだ。



 闘技場の様相はかつてと同じ。工事も何も行われていないのをランゼも寝室の窓から眺めていたから知っている。

 しかし、演目は異質そのものに化けた。

 元は騎士たちの訓練に使われ、二つの国が一つとなって以降も双方の騎士たちが試合を行っていた戦いの聖地。当時はランページの騎士も剣闘士として喝采を集めていた。

 それが今や……。

「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「騎士を驕るあの逆賊を殺せ!」「奴は害虫も同然!死んでも構わん!」

 舞台の中心に立つ男へ、三百六十度の観衆が暴言を飛ばす。

 戦争の敵対者へ向けた正直な気持ちだ。仇をこのような鳥籠で飼い慣らすことが叶ったのなら、それは官軍の民からすれば『面白い』に決まっている。

 呼吸を乱すシャンナの手を強く握るランゼは、これまでの隠居に比べれば腐敗したこの闘技場も清々しく思えた。

「やれ、これほど乱れてしまうとは。ランゼ様、観戦を続けますかな?」

「勿論です」

「ランゼ様……」

 複雑な境遇の主君を案じる二人の従者は、主君が狂人だと知った上で従っている。第一・第二王子の臣であればこれ以上ない名誉だが、第一王女となれば一部から侮辱を受けるというのに。

 それを承知で、強制でもないのにクロスとシャンナはランゼ姫の呼び声に応じた。

 ランゼが囚われの人生を送っているように、この二人にも他に行き場所が無かったからだ。

「シャンナ、辛ければ自己判断で帰っても構いません。古傷ほど回復は困難なのですし。それに――」

 ランゼは三歩後ろの二人ではなく、鎧を取り上げられてインナーのみとなった舞台の男を見つめる。

「戦争でしたから、戦いもせず敵国に留まる道を選べばそうなります。彼だって陵辱を覚悟していたはず」

 ランページ国が誇る最強の騎士が、今や敵国に飼われる奴隷剣闘士。彼を導くべき自分は、このようにその敵国でもてなしを受けている。

 戦いを選ばなかった少数の弱き民を残したまま、ランページ国は本当に終わったのだ。

 ランゼは「あそこが良いです」と最前列へ誘い、二人も拒まず姫君に続く。

「ところで、対戦相手は誰です?何なら私がやりましょうか?」とランゼが冗談半分、本気半分で言えば、クロスは「おや、奴隷剣闘士志望でしたか?」と返した。

「やっていいならいつでもやりますよ。でも、どうせ止められるんでしょう?」

「ええ。クルーダ王より、暴走させないようにと命じられておりますので」

「つまんない……」

 心底うんざりしてオチの見えていた会話を片付ける。それから相変わらず憶病なままの、仮の父親の相貌を思い出すと溜め息が出た。

 先の戦争でもカームズの国王・クルーダは徹底して非戦を望んだ。

 しかし、タクト王子と共に戦う意志を曲げない者たちの勢いを止められず、このように結果が出て以降は支持率も息子にまくられた。病床に伏した妻の看病に夢中で、国の委細も彼に任せるようになった。

 綺麗事ばかりで闘争心のないクルーダ王をランゼは軽蔑し、民たちも緊急時に頼りになるのは第一王子・タクトなのだと断定した。


「今日の相手は面白いぞ。何せ人間ですらないからな」


 ランゼの問いに答えたのも彼だった。目立つ礼服と雰囲気のはずが、いつの間にそこにいたのか、ランゼが座るつもりでいた席に第一王子・タクトが足を組み座している。

「兄上、それはどういう意味でしょう?」

 時代の覇者にも畏まらず堂々としたまま追及するも、彼は何も返さず血の繋がらない妹の瞳を覗いた。ランゼは舌打ちを堪えて彼に合わせる。

「お兄ちゃん、どういうこと?」

「お前は初めて見るだろうが、最強の奴隷剣闘士の相手は肉食動物なんだよ。ランページ国には動物の命を操作する魔法がある。それを闘技場の興行に利用させてもらっている」

「私が知る限りでは両国の仲は完全に分断されたはずですが?」

「完全とは大袈裟だな。アプローチ次第だろ」

 タクト王子が顎でランゼたちの目線を舞台へ誘導すると、奴隷剣闘士・ザイが入場した側と向かい合うもう一方の出入り口から四足歩行の巨大な獣が現れた。

 それは獅子に遠からずとも近くない未知の存在で、それが視界に入った途端、威勢の良かった観衆も沈黙した。

 ランゼは全長三メートルはあるその怪物……ではなく、正面からそれと睨み合う奴隷剣闘士の挙動に注目した。次の瞬間には食い千切られるような展開もあり得るというのに、彼は一切取り乱していない。絶望して立ち尽くしているようにも見えない。ランゼはその雄姿に忘れていた高揚を思い出す。

「……うん?」

 逆に、今さっきに限らず、これまでずっと毅然とした態度を貫いてきたタクトが眉間に皺を寄せた。

 彼でも困惑することがあるのか……と、何も分かっていないランゼはのんびりと構えている。この世の全てが彼の思惑通りに動いているのだと思い込んでいたから、彼の異変には気付いても、これが彼にとって想定外の出来事なのだと理解するのは遅れた。

 シャンナは密かに愛を育んだ男性が散ったこの場所で、また新たな痛みを覚えることになるのではないかと不安に駆られている。彼女の異変には早く気付き、そこから周囲の大人しさに疑問を感じた。

 剣闘士とは観衆から声援を受けて闘い、喝采を浴びるのが本来の姿であるはずなのに、真逆の心無い暴言を撒き散らすこの場所こそ秩序など皆無だが、そんな観衆さえも事態を呑み込めていないこの空気は何なのか?

 槍を持ってくるべきだったか……と、最悪の事態こそを期待したランゼだが、彼女の視線が兄から、従者二人から、観衆から、再び舞台の男へ戻るいずれかのタイミングで……「あっ」


 第一王子・タクトは渋い顔のまま、突然そこに現れた黒い女の凶刃により腹部から血を流していた。


 奴隷剣闘士・ザイの対戦相手は未知数の脅威だった。

 改造された獣との対戦は過去にもあるが、今も舞台を這うあれはこれまでの雑魚より倍大きい。観客席へ飛び移るのも容易ではないかと、皆は警戒していたのだ。

 不安を解消する救世主と言えば彼であり、この場の責任を負うのも彼。

 だから、誰もが獣の次に彼を窺い、その彼が刺されたことを脳が理解すれば冷静ではいられなくなり、悲鳴を上げて走り出していた。

「兄上ぇぇぇぇぇっ!」

 真の地獄絵図はここから。獣がザイを無視して逃げる観衆を食い散らす中、距離を置き待機していた第二王子・フルーガは兄を憚った女アサシンを処すべく剣を抜いた。 

「またも我々を欺くのか!許さん!」

 女は激昂するフルーガと同等の剣戟を繰り広げる。

 フルーガも優れた剣士だが、血の池に伏す兄の生死が不明な以上は時間を掛けるわけにもいかず、焦りから勝利を急いだ。無意識に大振りとなり、女が腰からもう一本の剣を抜くと、その居合を躱すことが出来ずに剣を握る右腕を落とされた。

 結果、兄だけでなく弟とも同じように、黒い刃に腹を貫かれて死んだ。

 それを見て従者たちは迷わずランゼの前に出る。ランゼは次男の腕から剣を引っ張り「どきなさい!」と二人に叫ぶも、聞く耳を持たれることはなかった。

 ああ、この二人も駄目だ……。

 ランゼは、もうずっと抱え続けている内心の孤独を思い出す。

 ランゼはカームズ国の誰よりも強くなっていた。実戦経験がなくともあるいは……と、クロスは考えたが、『未来』を考慮するとここで賭けに出るわけにはいかず、槍を持ってこなかったことを彼も悔いた。

 ランゼとしては二人を蹴飛ばしてでも交戦する気構えで憎しみも無い黒衣の女を見据えている。

 だが、血に塗れるには惜しい、澄んだ両目に長いまつ毛を瞬きさせると、女は双剣を鞘に納めて背を向けた。


「今の私は『双頭のミナ』よ。また会いましょう……ランゼ」


 分かり切っていたことだった。

 跳躍を繰り返して闘技場を去る彼女は、もうすっかり大人の女性になっていた。

 耳を蕩けさせる声音も、より磨きが掛かっている身体も、舞い踊る双剣の技量も……全て知っていることだった。

「生きていたなんて……」

 始まりの日、長老が見せびらかした艶のある黒い髪の少女。海の向こうで戦死したと聞いたが、主君を取り戻すために戻ってきたのか……。

 呆気に取られている従者二人を置き、自分とは違い、目的を持って今も戦っている彼女にランゼは焦りと寂しさを覚えた。

 早々に変わらなければならない。ランゼは兄たちを二人に預けて獣を追った。シャンナが呼び止めるも、今回は従えなかった。

 兄が全て死した以上、この国のこれからを任される資格を与えられる可能性があるも、当のランゼは戦果を急いでいた。

 クロスとしてもランゼを止めたかった。しかし、衰えた自分では無理だと諦めた。

 いっそ殺されてでも細い脚にしがみ付いてやろうかとも思ったが、舞台にいた男の姿がなくなっていることに気付くと、主君を追いかけるよりも瀕死の者たちを救助する道を選んだ。



 闘技場を出てすぐのところに獣はいた。

 巨大で悍ましい口から騎士を吐き出し、騎士の亡骸を踏みにじり、騎士の束の先でランゼを睨んでいる。

 グルルルルル……。

 大粒の涎を垂らしている。並みの少女であれば腰を抜かすところだが、ランゼは発汗しながらも口角を釣り上げる。

 震える剣先を獣に向け……いざ仕掛けようとするところ……!

「よせ!」

「なっ……」

 低音のくせにやたら遠くまで響く声を受けて少女は痺れた。

 声の主はランゼが姿を確かめるよりも高速で跳躍し、獣の背を目掛けて剣を振り下ろす。獣は反応し、巨大な爪で相対するも、爪を砕かれ吹き飛んだ。

「貴方は!」

 現れたのは当然、あの奴隷剣闘士。

 無論、決闘の続きをというつもりはなく、別の理由を以てここにいる。

「早く逃げろ!」

「私も戦います!」

「まだ命を懸ける時期じゃない!」

「死んでも良いから戦いたい!」

「そういう問題じゃねぇ!」

 大柄な彼が慎みを捨てて無茶を望む少女を諫める。基本的に誰が何と言おうと本能には従ってきたランゼだが、憧れの存在に正面から愚を叱られると流石に動き出せなかった。

「……従いなさい、ランページの騎士」

 よって、嫌いなやり方を取る。それほどまでにランゼの欲求は限界だった。

「出来ない」

 それをあっさり断られた。八つ当たりする相手もおらず、また惨めになる。

「どうして?」

「今回も、そして第三王子が殺されたあの日も、断じて『正しい闘争』ではないからだ」

 正しい……闘争?

 彼の言葉が全く理解できず、ランゼは握る剣を落としかけるほど呆然とした。

 獣も先程の一撃が堪えて未だ悶絶している。膠着。

 その気まずさを破ったのは、この場にいる誰でもなく……。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!


 ランページ人が初めて島を訪れた地点。

 王城から見て島の最奥にある洞窟を震源地とし、かつてない巨大な地震が発生した。ランゼは腰から地面に倒れ、ザイさえも不動ではいられなかった。

 震源地はここからでも感じられるほどだったが、流石に原因までは分かるまい。ランゼは無意味だと自嘲しつつ、遠くの空を眺めてみると……。

「またか……」

 ここからでもそれと分かる。かつてランページ村に建てられ、そして破壊された自然の塔が一度の揺れの間に完成したのだ。

 それはランページ国の生き残りにとって僥倖であり、カームズ国にとって新たな災いを呼ぶ破滅の象徴となる。

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