楽園に毒麦を Ⅱ

 ランゼが十三歳になる。

 闘技場通いにも慣れ、引き続き面倒を任されている第三王子と侍女が苦労を増す頃、いよいよ有耶無耶にしていた問題が破裂する。

 正門から歩いて十分の位置にあるランページ村の住人が、クルーダ王にも許可なく巨大な柱を建設し始めた。

 カームズ側からすれば意味不明。高所から景色を楽しむためだろうと一旦は捨て置いたが、それはやがて『塔』と呼べる高さまで伸びていった。

 監視として村を訪れた騎士がそれを不遜と捉えて取り壊しを要求、断られて王らに通報、計画の首謀者だった長老と彼を囲う魔法使いたちは王の間へ呼び出された。

 感心や酔狂の域をとうに越えている。あと十日もすれば王城より高く聳えるようになるのでは……と、臣も民も彼らの暴走に激昂する中でクルーダ王が事情を問うと、長老はひざまずきながらもこう答えた。

「あれは物見塔でもあり、我々にとって安寧の象徴でもあります。古くからの伝統で、我が国には欠かせないものなのです」

 初めて王の間を訪れた際は無礼者たちと同じように弁えていたランゼは、かつて第一王子が佇んでいた窓辺でコヨーク、シャンナと並び傍観していた。自分は両国の架け橋なのだと、身長も百五十を超えた少女は大人たちの事情を少しずつ理解できるようになってきた。

 しかし、自分たちと同じランページ人で、何より女王の資格を有するはずのランゼ姫が、自分たちと違い悠然と佇んでいるこの状況は、彼らにとって面白くなかった。

「無害であれば許そう。だが、あのように目立つ代物であれば事前に伝えてもらわねば」

「判断を誤りました。ですが、我々の心には決して欠かせないもので……」

「それにしては村が完成してから建設開始までに間隔が空いたようだが?」

「……慣れない異邦での暮らしと、魔法陣を敷くのに時間を要したもので」

「魔法陣?」

 魔法。それを知らないカームズ国の長は俯く老人を覗き、おもてを上げた皺顔は不気味に口角を釣り上げた。恩人への敬意など微塵も感じ取れない、無知を嘲笑っているようだった。

「塔は、人為的工事を遥かに凌ぐ早さで背を伸ばしているでしょう?偉大なるカームズ国王よ、王城からでもあれが見えていたはず。あれは厳密には建設しているのではなく、魔力を注ぎ成長しているのです」

 この時、国王・クルーダは何か未知の恐怖を予感して鳥肌が立った。玉座の両隣に控える王妃とオルダルも言葉に出来ない『何か』に不安を覚える。

 違う世界を生きてきた移民を受け入れる以上、必ずどこかで衝突は起こる。

 その衝突が、想像を絶する地獄絵図なのではないか……と。

「ここでもあれを作ってるんだ。懲りないねぇ」

 距離があるから……ではなく、喧嘩上等でランゼは亡国の伝統を再現するランページ人の繊細さを見下した。

 幹部たちどころか玉座の三光の耳にも届く声量だった。オルダルが殺す眼力で悪ガキを睨むと、悪ガキは慌ててシャンナの背に隠れた。それにより魔法使いたちの恨む視線も全てシャンナが受け止める羽目になり、すっかり垢抜けたコヨークに「ランゼ、黙っていなさい」と怒られてしまう。

 ランゼは更に生意気になっている。「結局国は滅んだじゃないですか。魔法は戦いの手段でしょう?無意味な物のために時間と魔力を費やしても、無意味なだけです」と、侍女の背に隠れながらも止まらなかった。

「知識としては知っている。使い方次第では営みを助ける奇跡のわざにもなると。貴殿も始まりの日にそれを主張していたと、当時の衛兵隊長から聞いている」

「然り。数多ある業の中で我らが操るのは、動物や自然の命を操作する類のものです。あの塔には緑が生い茂っているでしょう?あれは広大な草原のエネルギーを利用した証なのです」

「それは勝手だな、グカ殿」

「は?草原に村を作ることを認めていただいたはずですが?」

 好戦的な騎士団員をここに配置しなかったのは好判断だった。そう決めたオルダルは主君にして親友でもあるクルーダ王がこれだけ欺かれていることに怒りを覚えたが、王が『それ』を許可するまでは刃を仕舞う誓いがあるため堪えた。

「その操作とは、例えば害獣駆除のため出掛けたタクトたちの助けにもなるのだろうか?」

「こちらの魔力が動物の気性や格を上回れば、如何様にも」

「ふむ……」

 クルーダ王も長老の態度に思うところがあるも、やはり甘い。他に居場所がない彼らを責め立てられず、逃げるようにオルダルへ意見を仰いだ。オルダルとしては好機だった。

「危険だろう、どう考えても」

「何故?ご要望とあらばそちらの工事にも役立ちますし、騎士たちはわざわざ害獣と戦う必要もなくなるのですぞ?」

「いや、戦いはあった方が良い。相手が人類でなければな。はっきり言うが、魔法はこの国には邪魔だ」

「それは魔法の威光を確かめていないからでしょう」

「その通りだ。魔法の偉大さも、塔とやらがいかに価値あるものかも我々では理解できるはずもない。する必要もない」

「先の戦いでも魔法使いは戦力になった。建物を生成し、賊共を攪乱するのに役立った。戦況を支配した」

「それはタクト王子とうちの騎士たちが巧かったからだろう。敗戦処理を勝利へ変えたのはこっちだ。安寧の塔など、それに価値を見出していた期間が過去にあった者のみに限る幻想だ。我々からすれば忌まわしい」

「言いがかりだ、オルダル殿!」

「黙れ!主導権は我が王らにある。我が王を慕う民たちからも不気味だとクレームが来ているぞ。さて、どちらの意志が尊重されるべきだと思う?移民たちよ」

 結局、争うのだ。

 クルーダ王が双方を宥めて事なきを得たが、どちらの主張も変わらない。これまで互いを尊重し合っていた両国も、受容を苦痛と訴えれば平和ではいられない。

 塔の破壊を命じられてグカは確かに頷いた。しかし、実際に塔が破壊されたのは謁見から十日も後のことで、この頃には塔の高さが王城を上回っていた。

 塔を片付ける素振りすら見せないランページ村の者たちに激怒した騎士団員たちが強引に塔を破壊した。これを機に、一つになったはずの両国に亀裂が生じる。



 その飛び火はランゼにまでも。

 唯一人(見世物として)人気を集めていたランページの騎士・ザイは、仮初ながら剣闘士として闘技場の主役となっていた。ザイ自身は「是非とも害獣駆除に貢献したい」と遠征参加を希望したが認められず、普段から村ではなく闘技場内部で暮らし(管理され)ている。

 そんな彼と、急成長中の第三王子・コヨークの対戦が行われる。ランゼはシャンナと共に最前列で観戦していた。

 しかし、ランゼはカームズ人からも、観戦に訪れたランページ人からも白い目で見られるようになっており、「お前は在るべきでない架け橋だった」と、誰かに卵を投げられた。

 卵はランゼに命中しなかった。シャンナが犯人に気付いて庇ったからだ。

 一度静まり返り、異変を察したコヨークの号令により試合は中止になった。ザイも苦い顔になる。

 拒むカームズ人、譲らないランページ人、ランゼを忌み嫌う者たちと僅かな味方。騒乱が起こる。

 混沌に乗じてフルーツカットに使う細いナイフをランゼ目掛けて放る者がいた。ランゼは犯人がランページ人だと特定していた。躱すのも容易だった。

「痛い!」

 ……それなのに、卵の中身が左目に入った状態の侍女は迷わず右腕を伸ばして姫君の盾になってしまった。

 おしとやかで、傷付く必要もない女性の素直な悲鳴。細い肉から抜ける刃物。ドロドロ流血。コヨークが人前で初めて激昂する。

 温厚な第三王子の憤怒により誰もが硬直し、冷静になった。

 その中でランゼはナイフを拾い、シャンナを傷付けた者へ駆ける。「殺す」とだけ発言して。

 怒りは勿論、戦える機会に喜びを得ていた。 

 所詮はまだ子供。観戦を控えていればこうもならなかったのに、自分が判断を誤っていたことには気付けない。とにかく大切なものが奪われる前に敵の命を奪うのだ……と、皆がこれまで抑えてきた爆弾を誰よりも早く爆発させてしまったのだ。

 だが、ランゼはその下郎を仕留められなかった。右腕を抑え、卵と血飛沫と汗の混じる涙目のシャンナに「いけません!」と叫ばれたからだ。

 シャンナに大声で叱られたことなど過去になく、つい留まってしまった。

 ランゼの殺人は阻止され、コヨークもそこに合流する。

 ……しかし、火蓋はもう切られてしまっていた。

 元は両国民同士の殴り合いで済んでいたが、機を窺っていた両国の騎士たちが観客席になだれ込むと、いよいよ死人が出始める。

 ただし、ランページの騎士は全員が騒乱に乗じたわけではなかった。

「やめろ!戦うな!救われた身の上だと思い出せ!」

 ザイが叫ぶと彼を慕う数名は静止した。カームズ側の多勢が目立つザイを殺しに掛かるも、得物すら使わずにそれを跳ね返していた。

 カームズ側の圧勝だった。ザイの叫びを聞き入れなかったランページの騎士たちも結局は抹殺された。

 お前たちはまた敗れたのかと、死して閉じなくなった目蓋は、ランページ人を殴ったカームズ人さえも戦慄させた。

 そういった罪の自覚が昨日までの『名もなき島国』には戻れないことを気付かせ、勝者の誰も雄叫びを上げることなく唖然としていた。

 純粋に男たちの戦いを堪能したかっただけの女子供は激しく恐怖したが、ランゼは何よりも自らの半端さがやるせなかった。

 殺すつもりだったが、止まってしまったこと。自分はランページ国最後の王族であり、本来庇護すべきランページの民たちが無惨に命を散らしたというのに、それに毛ほども心を痛めていない。

 自分が常人より狂っていると思い知るきっかけになった。

 私とは何なのか。私は何がしたいのか。誰の味方で、どれを打ち負かしたいのか。

 ……どこへ行きたいのか。

 大切な(はずの)ものが屍として転がり、それをやった犯人側に手を差し伸べられる。血に塗れたその手を素直に受け入れられる。

 コヨークは騎士たちに死体の撤去を、民たちには撤収を命じ、自身はシャンナを始めとする負傷者を診療所へ連れていくことに決めた。

 それからこの場で起きた惨劇を父へ報告する。そこまで見据えて棒立ちのランゼに声を掛けた。


 そこで、カームズの騎士に偽装していたランページの騎士に腹部を貫かれた。

 子供より激しく泣き叫ぶシャンナを目蓋に残して、第三王子・コヨークはゆっくりと息を引き取った。


 ここにはもうカームズの人間しかいないと誰もが確信していたためパニックが起こるも、ランゼは顔見知りの騎士に連れられて闘技場を脱出した。ザイを始め、交戦を拒んだ自国の騎士たちを見つめながら。

 舞台に残ったランページの騎士は、ザイを含めて十一人のみ。彼らはカームズの騎士たちに包囲され、剣先を向けられるも抵抗せず、闘技場の奥へ連行された。

 退場の間際、いつも遠くから見ていたザイの精悍な眼差しがランゼを射抜いた。ランゼは憧れだったはずの彼が今や怖ろしく、同時に自分が情けなくて不意に目を逸らした。

 以降、ランゼは再び軟禁生活を余儀なくされる。

 コヨーク王子の死を皮切りに、外の世界ではカームズ人対ランページ人の戦争が始まり、ランページ人たちが一方的に惨殺されていった。

 賊を排除せよ。魔法とは、つまり呪いだ。……城内に匿われてもそういった非難は耳に届く。

 ランページ国の真の長であるはずのランゼは、これまで通り敵国の貴族たちにもてなされている。敵国ではなく、殻を破れない自身の幼稚さをひたすら嫌い、少女の人格は更に歪んでいく。

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