楽園に毒麦を Ⅰ
一つの小さな島に、二つの国家。原住の名もなき国とランページ国の生き残り百五十名による共生が開始した。
引き続きランページ国の代表として振る舞う長老のグカは「これ以上迷惑はかけられない」と言い、自分たちの力で余りある草原に村を作った。完成には一年も掛からなかった。
全てのランページ人がそこで暮らすつもりだったが、クルーダ王はあくまでも共生を希望し、第一王子もそれを支持した。第一王子・タクトは前線での活躍からランページ側にとってもカリスマ的存在になっており、彼がそう望めば長老も首を横には振れなかった。
元より皆から慕われていたタクトは一躍新国家の主役となった。一番の美青年であり高貴な位のため当然数多の女性から好意を持たれ、容姿にそぐわない兄貴肌と戦略家の側面から、騎士を始め、全ての男性からも認められていた。
彼の判断であれば誰も文句はない。彼に頭を撫でられると怒るランゼだけが異常だった。
少女はこれまで通り王城に残った。自らの意志でも、長老や王らの意向でもない。
この時期のランゼはぼんやりと空を眺めることが多く、夜に寝室を出て、かつて老成と語らった高台にて星空を眺める習慣が身に付いていた。
これまでと違い誰も注意できず、孤独な姫君に対して預かった大人たちは慎重になった。
「ミナを亡くした悲しみが癒えないのでしょう。無理もない。ランゼ様にとってミナはかけがえのない存在でしたから」
グカは遠い目をして、ランページ国最後の王族が他国の王城に残るのを認めた。
「勝利したとはいえ、隣人を失った者も多いのでしょう。特にまだ幼いランゼ様にとって気持ちの整理は時間を要するはずです」
第三王子・コヨークはより親身になり、見習いを卒業したシャンナと共にランゼを見守る意志を強める。
「戦いは終わったのだ。我々が共に新たな未来を築いていくように、ランゼも少しずつで良い。これからは争いとは無縁な世界で生きていくのだから」
クルーダ王はランゼを四人目の子として迎え入れた。元より意図していたランゼを新たな国家の王族として取り込む方針を、後になってグカに伝えた。
海の向こうでの戦争が終わり、生存者を受け入れ、島国が新しくなる。少女は生まれた頃から在った高貴な身分そのままに『ランゼ・カームズ』として生まれ変わる。
第一王女となったランゼだが、それは彼女にとって何の慰めにもならず、感想も特にない。激化する恐れのある両国のギャップを抑制するための、大人の事情に他ならない。
「ランゼはな、家族や侍女を失った悲しみに暮れているわけではない。戦地へ行けなかったこと、わざわざ手を取り合う道などを選び、誰もが命懸けの競争を拒む憶病な国色に絶望しているだけだ」
「兄上、あの問題児の心が分かるのですか?」
「分かるとも。連中がやってくる前の俺と同じ孤独だよ、あれは」
長髪の第二王子・フルーガを従者のように侍らせ、高台で背を丸くしている少女を見つけた第一王子・タクトは、これから訪れる『未来』と、その時代でこそ躍動する彼女の姿を想像した。
戦争は不要だが、剣まで取り上げては騎士としても男子としても腐敗してしまう。
昨日の前例があったのだから、また今日にもどこからともなく例外がやってくる可能性を否定し切れない。戦後も騎士たちの間には程良い緊張感があった。
命を奪わない。深い傷を負わせない。そういった掟を絶対とし、古くは奴隷剣闘士と肉食動物を競わせていた、ドーナツの穴を舞台とする『闘技場』にランページの騎士たちと騎士団の精鋭を集めて競わせた。
原住民は自分たちをカームズ人と名乗るようになった。新たに国名を定めて両国民で共有するのがクルーダ王の理想だったが、母国の名は滅んだからこそ手放せず、恩人の意向であっても受け入れられないと断られて、こうなった。
クルーダ王は未来を妄想するばかりで目の前の人の心を見ておらず、見える上であえて父を止めなかったタクト王子はこの問題について白を切った。
闘技場の管轄も第一王子が一任している。衛兵と違い騎士には長がいない時代だが、騎士たちを束ねているのも彼に他ならない。
軟禁生活を強いられていたランゼを気晴らしに招待した。「コヨークとシャンナを同伴させ、問題が起きれば軟禁どころか監禁する」と言えばオルダルでも了承する。
衛兵・騎士志望の子供たちも招待される中、ランゼは長い俯きが嘘のように誰よりも目を輝かせ、城から闘技場へ移る間に浴びた軽蔑の視線など忘れるほど舞い上がっていた。
国が滅ぶほどの災厄を生き延びたランページの騎士たちだが、練度はカームズの精鋭に僅かばかり及ばない。興奮していたランゼも自国の騎士たちが次々と膝を突く様を見せられて機嫌を損ねた。
騎士団に憧れる子供たちからすれば痛快だった。観客席で唯一イライラしているランゼは親睦のある同い年の少年・ジョンクに不機嫌を弄られては腹パンを撃ち込み、ジョンクとコンビ仲にあるもう一人の少年・ビスタンに宥められていた。
乱闘勃発。しかして責任者は欠伸をし、ただ一言で幼い喧嘩を鎮めてみせた。
「ガキ共、そこまでだ。役者はあっちだぞ」
タクトの声質は中性的で耳の穴をくすぐる。それもまた生まれ持った才能なのだろうと、特にカームズの女性は高貴ながらも乱雑な彼の言葉の虜だった。
掴み合うランゼたちが舞台を見下ろすと、既に次のカードが始まっていた。
それも数秒で決着がつく。「あの男は先の戦いでも別格だった。ハンデとして自慢の得物は禁止にしたが、並みの剣を持たせても圧倒的だな」と、タクトも素直に絶賛するほど。
騎士団の精鋭として『先の戦争』でも活躍したカームズの騎士でさえ比較すれば大人と子供。念のために重ねた鎧も砕かれていた。
黒一色の鎧を纏う強靭な青年。ランページ国最強の騎士と謳われるザイは群を抜いていた。
硬質の黒髪を後ろに流す厳格な相貌と、素人目にも明らかな風格は正しく歴戦の猛者。ランゼも彼が誰よりも優れた戦果を残したと聞いている。
「一応お姫様だろう?あの男については俺より詳しいはずだよな?」
「はい。ランページ国だけでなく、大陸全土で見ても最強格だと。でも、顔を見たのは今日が初めて」
「……そうか」
ずっと戦いを取り上げられていた。幼い王族の血を丁重に扱うのは至極真っ当な判断だが、この娘が『そうすべきでない』以上は残酷なことだとタクトは同情する。
カームズの精鋭たちが順に敗れていく。時に四方からザイを囲って同時に仕掛ける戦術を見せるも通用しない。
子供たちは憧れの存在たちが狡猾な手段を選ぶたび野次を飛ばしたい気分になっていたが、逆にランゼはザイがどのように精鋭たちの策を覆していくのかと釘付けになっていた。
やがて全ての試合が終わると、汗を流しながらも毅然としているザイが観客席のタクトとランゼに頭を下げた。自分が忠誠の対象であることを忘れているランゼは、その敬意が恩人の第一王子にのみ向けられたものと思い込む。
それでも退場する彼の、自分では永久に届かない大きな背中を最後まで追った。
ランゼの幸福は戦いの中にある。タクトの目論見通りに事は運んでいる。
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