亡国に花束を Ⅲ

 選抜された騎士たちと現地の残存戦力は二年もの間、海の向こうで賊軍と戦い続けた。

 元はランページ国の生き残りを二隻の船に回収する予定だったが、第一・第二王子率いる精鋭たちの武力は戦場を支配し、長老たちは彼らの連携や勇猛ぶりにも感嘆した。

 救助から交戦へ移行。時間は掛かったが、ランページの残存戦力を吸収すれば劣勢も覆り、亡国から賊を完全に排除することに成功した。

 ランページ国を滅ぼしたのは別の国ではなく無法の賊たち。大陸で最も有名な愚連隊とはいえ、数だけの下賤な輩たちの気分により一つの国家が陥落したのだ。その屈辱は逆転勝利を収めても残されたランページ人の誇りを辱める。

 介入前からランページ国の騎士たちの多くが消耗していたが、ザイと呼ばれる黒い鎧を纏う筋肉隆々の青年だけは別格で、味方を庇いながら賊共を薙ぎ払っていた。聞けば最初から最後まで前線で戦い抜いたよう。

 敵は雑魚ばかりとはいえ、とにかく数が多い上に手段を選ばない。クスリの影響で常に興奮状態にあり、つまり駒としては強力だった。精鋭の補充と交代、非戦闘員を先に逃がすなど、海を行き来する時間稼ぎも必要だったから殲滅に二年も掛かったのだ。

 完璧な勝利に他ならない。クルーダ王の理想通り騎士団から死者は出ず、時間を掛けて犠牲の出ない救出劇を完遂した。

 ランページ国の生存者百五十名にとって、名もなき島国の王族と騎士たちに、返しきれないほどの借りが出来てしまった瞬間だった。



 戦時中、王城で暮らすことになったランゼは、兄たちと同じ高貴な礼服を着用しながらも親しみやすい第三王子・コヨークと、白つるばみ色の髪を短く伸ばす侍女見習いのシャンナと共にいた。

 二人とも別れたミナと同じ十五歳で、ふんぞり返ったような態度もなく、礼節に徹し過ぎない穏やかな人柄だからランゼも暴走せず、お叱りを受けたらちゃんと引き下がるようになっていた。

 それでも時折、どうしても気が収まらない場合がある。九歳から十一歳になるまでの間、自分も海の向こうの戦いに参加したいと訴え続けた。コヨークは上手くあしらっていたが、直談判のつもりか、稽古で使う木剣を持ってクルーダ王の私室に殴り込むこともあり、側近のオルダルに何度もゲンコツをお見舞いされた。

 稚拙ながらも自国を想う意志は感心された。戦争が終わるまでランページ人の誰とも会えなかったため、孤独に俯くのが普通だろうに、とにかく威勢は良かった。

 勉学や侍女の手伝いなどは疎かだったが、気晴らしとして勧められた稽古では大人顔負けの武芸を示し、少なくとも彼女の境遇を知る騎士たちには早い時期から気に入られた。

 後にカームズの末子となるが、この頃から王族だけでなく騎士たちにとっても末子だったのだ。ランゼは大人たちに頭を撫でられるたびイラついていたが。

 しかし、最初の衛兵たちと同じく民たちはランゼを受け入れられなかった。特に家族や恋人を戦場に駆り出された者たちからすれば、元凶の小娘は憎悪の矛先に最適だった。

 国王の采配ミスとも取れる異分子たちの混入。皆のヘイトを誘う意味でもランゼは『保険』だったのだ。

 ランゼ自身も皆の黒い感情を察知することが出来た。第一王子・タクトが見抜いた通りランゼは鋭く、その特別さは娘を取り巻く王城の人々にもすぐ知られていく。

 それでも城内に籠っていれば安心できた。ランゼではなく、ランゼを庇護する者たちからしてみれば。



 引くべき時は引くが、行ける時は行くのがランゼ流。どうか大人しく……と、平穏を望む皆の気を知りながらも隙を窺い、王城を抜け出そうとしたことが多々あった。

 この夜に限っては第三王子も余裕がなく、後に関係がバレる侍女・シャンナに「寝室で休んでいるはずのランゼ様がいなくなっているのですが……」と青ざめた顔で報告されて城を駆け回る。騎士も誰も構わず、城内の大人総出で小娘一人を探し回った。

 稽古に利用する庭の壁際。そこの木陰に身を潜めるランゼは……。

「シャンナが本気で参っているので勘弁してほしい」「より厳重な制限を設けなくてはならなくなる」「稽古後のドーナツは抜きでも構いませんね?」

 などと、温和なコヨークに大声で脅されてようやく愚行を自覚した。

 それでも好奇心と刺激に蓋は出来ず、与えられた寝室の窓から眺めるばかりで直接歩いたことのない街は脱兎にとってドーナツより魅力的だった。

 素早い身のこなしと勘で自然に溶け込み、大人たちの目を欺く。大勢に迷惑が掛かろうとも爽快で、戦いを取り上げられた鬱憤のはけ口に丁度良かった。

 ランゼは今夜こそ城を抜け出せると思っていた。探す大人たちも小娘のセンスを認めているから「いよいよ駄目か……」と自信を無くしていく。同時に「オルダル殿の雷が落ちるのは明朝かなぁ」と誰もが予想した。

 ランゼの暴走が度を越えた際の説教役はいつの間にかオルダルが請け負う形になった。初対面からずっといがみ合い、強者ながらも戦地に赴かず『憶病』な男の傍に立ち続ける彼がランゼには不思議に映り、常に怒っているような強面が気に障り、揉める。

 オルダルも正に今、王と王妃が寛ぐ部屋の窓辺で、騒々しい夜に眉間の皺をより深くしていた。

 つまり頑固な中年は捜索に参加していない。あいつにだけは捕まりたくないと思う悪ガキの不安は杞憂。

 そのため、ロープを引っ掛け、夜間は誰であれ立ち入り禁止となっている城壁の高台に上る彼女の肝を冷やしたのは意外な人物となる。


「おや?この時間、この場所は無人のはず。噂通り皆の手を焼かせていますな、ランゼ様」


 高台に顔を出す一歩手前、老成の軽快な声音が小さな両肩を驚かせた。

 立ち入り禁止だからこそと思っていたのに、まさか先客がいたとは……。ランゼは勝手に競争でもしているつもりになっていたため、勝手に足元をすくわれた気持ちになった。

「困りましたね。このままでは私までオルダル殿のお叱りを受ける羽目になりそうだ。そこで一つ提案なのですが――」

 次の行動を選べず棒立ち・呆然の脱兎に、犯行中の紳士は意外な提案を試みる。

「この夜が元の静寂を取り戻すのを共に待つというのは如何でしょう?酒は、やめておきますか。ひたすら夜の城下と月と星を眺めるばかりになりますがね」

「それって、いつまで?」

「彼らが散り散りになり、貴女様の寝室周辺がガラ空きになるまで。代償は寝室の窓ガラスと、貴女は結局お叱りを受けること。あとは好機が訪れるまでの話し相手が私のような老いぼれということです」

 人生謳歌の弾む語り。白髪と銀髪の混じる老けた男が不敵な笑みで姿勢を正す。

 態度だけ自分に傅くような輩は五万といて、どれも内心の嘲笑が見え透いていて呆れた。

 しかし、この男は何というか……この緩い礼節が自然体なのだろうと思えて、これまで出会いがなかった部類の彼にランゼは関心を持った。

 過去に一度対面し、その一度限りの間に奇妙な関係性を形成していた衛兵隊長……だった老成に。

「クロスだっけ?」

「覚えておられたとは光栄の至り。生憎、今は退屈な余生のスタートラインでしてね。貴女のような大人の女性と共に夜を過ごせるとは……いやぁ、生きてて良かった」

「大人?私まだ子供だよ?」

「容姿や年齢など無関係ですよ。ほら、貴女は今、大人しい。下で騒いでいる彼らこそ子供なのです。温かく、仕方ないものとして成長を見守ってやりましょう」

 これまでの誰とも違う視点を持つ元衛兵隊長・クロスの繰り出す発言は、ランゼにとってどれも新鮮だった。眠りに落ちるまでの間、騒動の原因が誰かも忘れて紳士との会話を楽しんだ。



 戦争が終わり、第一王子・タクトが生存者を連れて帰還する頃、小娘は少女になった。

 少女に仕えていた美少女の姿はなく、長老と第一王子から「おかげでこれだけの人間が救われたのだ」と齢十一には少し難解な言い回しをするも、ランゼはそれで悟り、現在の侍女に抱き着き年相応の脆さを見せた。

 ランゼはなおも民から煙たがられている。愛する者たちが無事に戦争から解放されたとしても、異分子たちが自分たちの営みに混ざるための架け橋と言えるランゼへの風評は改善されなかった。

 しかし、十代の騎士志望者や子供たちは海の向こうからやってきたランゼに妖艶な魅力を見出していた。臣や関係者の子供であれば城内に入れるが、ランゼはより限られた権威を握る極一部のみが通行を許される王城深部で日々を過ごしている。栗色の髪が多い島国だからこそ、ランゼの紺色の髪は特別に映り、かつてのミナみたく目を奪った。

 本質が悪ガキのランゼは自分を特別視する男子を誘惑し、オルダルからゲンコツを食らう。そのくだりにクルーダ王たちが微笑むお決まりがある。

 誰から見ても優しい世界に他ならないが、いつまでもぬるま湯になど浸かっていられないと、ランゼの闘争心は密かに育まれていく。誰もが架け橋の少女を戦争から遠ざける中、第一王子・タクトだけは彼女の報われない想いを解決させたいと思っていた。

 実戦を知らない少女が、復興不可まで潰えたとはいえ一国の姫君が……直々に戦地へ赴くなどあってはならない。何より戦争などもう起き得ない。

 そんな寝ぼけた常識を過去にし、新たに平和と強さを両立させた競争の国を構築するには、異分子たちが自らの権利を主張し始めるよりも前に動き出さなければならない。

 国内に残る騎士たちとの稽古の際、一般的でない槍を倉庫の奥から引きずり出し、それを扱う相手との試合に慣れていない騎士たちを見事出し抜いたというランゼの逸話は、遠征に出ていたタクトの興味を引いた。

 剣士ばかりというのはこちらだけでなくランページ国の騎士たちを見ても同様のため、槍使い自体が珍しく、それもまたランゼを特別にした。

 変わるなら、最高の結果を残してより次期国王としての支持を高めた今こそが、誰もがランゼという目立つ『囮』に注目している今こそが良い……と、他の誰にも理解し得ない意味合いの笑みを浮かべていた。

 これまで封じ込められていた彼の狂気を、戦争が覚醒させたのだ。

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