亡国に花束を Ⅰ

 六年前。運命の始まり。

 一つの小さな島に、一つの国家。

 営みも一箇所のみで他など無かったから、国名を決めて個別化を図る意味もなく、住まう民たちも自分たちがどのような存在で、海の向こうで生きている人類がどのようなものかも知らなかった。

 個人を識別する名前なら一言ずつ与えられ、王族には『カームズ』という二言目が足される。その違いを不思議に感じても争いには繋がらない。穏やかで、それは彼らが有能なおかげだから誰も差別に悩まない。

 歴史と文化はある。船を使ってこの島へ辿り着いた異邦人が過去におり、その船は今や王族の所有物だから航海も可能ではある。知識も拡張され、文明も緩やかながら進歩を続けている、静かな世界。


 その日、名もなき島国に、名を奪われた者たちが流れてきた。


 真っ直ぐ船を走らせれば、いずれはそこへ辿り着ける。天国のように大陸から離れた島ですら成長するのだから、向こうの人々にもその知識はある。

 大型なだけに破損した部位が悲劇を物語っている。今にも沈没しそうな船だった。

 王城の裏手にある岸壁の下、浜辺に桟橋を設けている。そこから訪れた者であれば客人として招くが、別の場所から現れた場合には警戒を強める習性があった。

 そのため、後に『蛇の塔』が生える最奥の岸壁に船を止め、そこから洞窟を越えて草原に出てきた彼らは原住民にとって不吉な存在だった。

 流れてきた三十名は皆が暗い髪に暗い装い。誰もが憔悴してやつれ、中には装いに乾いた赤色を付けた者もいる。

 日中は正門を開けっ放しにするのが基本で、彼らを見つけた門番の慌てようから次第に街が騒がしくなる。

 門前で立ち止まる彼らを、別の出入り口を使って駆けてきた衛兵たちが包囲。もう助からないと嘆く者もいるが、集団で最年長の禿げた老人は冷静で、両手を上げるよう皆に指示した。

「お待ちを。我々は敵ではありません。戦いに敗れ、無様にここまで逃れてきた難民の集まりです。万が一あなた方と戦うことになっても一方的な惨殺となるのみ。ここは孤高の島国と聞いた。王にお会いしたい。話を通していただけないだろうか?」

 遅れて合流した衛兵隊長に長老が進言する。

 しかし、島国は平和を完成させた理想郷。異邦の人類など余分に他ならず、彼らを観察する衛兵隊長を除き、全ての衛兵が彼らの捕縛・抵抗次第の即抹殺を決心する。

 衛兵隊長・クロス。後にランゼの教育係となる銀髪と白髪の混ざる彼も、冗談好きで軽い性格ながら難民の頼みを快く聞き入れるのは困難だった。最初にこの島を訪れた異邦人と原住民は、しばらくの共生を経て戦争に陥った歴史があるからだ。

 真面目で正義感の強い男子が衛兵に志願し、一部が騎士へと成り上がる。まだ平和な時世だったが、かつては奴隷剣闘士を戦わせていたという闘技場を鍛錬に利用し、強者には褒章を賜す采配がある上、腕利きや好戦的な者は鍛錬を怠っていなかったから隙が無かった。

「危険です、クロス隊長。疾く捕縛すべきかと」

「監視をつける程度で良さそうだがね。彼らにやる気が無いのは聞いた通り、見ての通り」

「いえ、どいつもこいつも衣服を重ねています。凶器を隠し、隙を窺っているのかも」

 誰よりも国の安寧を想う次期衛兵隊長も反対の意志。クロスは衛兵たちから支持されているも、柄から手を離すつもりのない部下たちの血気に参っていた。

「残念ですよ。ここまで慕われていないとは。私もそろそろ引退かなぁ」

「あっ……いえ!クロス隊長の決断に従いますとも!」

 隊長が本気で落胆しているものと誤解し、慌て出す。六十手前の瘦せ細った隊長は、狙い通り巨漢の部下が狼狽える様を見られて邪悪に微笑む。誰も二人の輪に入れなかった。

「フッ」

 ただ一人を除いては……。

 信じ難いため誰もが一点に注目した。その、猫みたいに唇を歪ませている小さな証拠に。

 嘲笑は長老の背後から。小さき者に侮られた二人は怒るよりも首を伸ばしてそこを覗いた。

「ランゼ、いけません」

 高齢者が多い暗い集団の中に一人だけ少女がいて、衛兵たちも彼女の艶のある黒髪に目を留めた。十代のはずだが既に女性の色気を醸し出していて、魔的だった。

 しかし、少女は注意をした立場で、さっきの不遜は彼女が背中を撫でている更に幼い娘のものだったのだ。小娘は大人たちの視線を一身に受けても動じず、反省の色など一切なく衛兵隊長を見つめ続けた。代わりに少女の方が「ご容赦を」と頭を下げた。

「ホホホ……。やっぱり殺そうか」

 まだ若く、このように追いやられるべきでない二人の女性を見て言う。クロスは冗談のつもりだったが誰にも通じず、衛兵たちは一斉に得物を抜き、流れ者たちは一斉に喚いた。

「あー……ポテチ殿?」

「ボルテスです。隊長、素晴らしい決断ですぞ」

「いや、今のはね……」

 どこからともなく賊が現れたので、厄介になるより先に始末した。

 搔い摘んだ報告であればそのように誤魔化せるが、追及されれば器量を疑われるに違いなく、自分をここまで出世させてくれた王族への裏切りにも値する。冷静なクロスだが、大きくも鋭い娘の眼により久々に焦りを感じた。

 あるいは……。変わらず豊かな日々の中、競争自体に何の意義も見出せず、面倒を他人に任せてきた自分でさえ「このままなのか」と眠くなる余生に僅かな兆しを望みつつ。

「お待ちください!話を……まずはお話を!」

「貴殿らと同じ外側から現れた者に、我らの営みを内側から侵された過去があるのだ。それを払拭するには、まだ時期が浅かった。そういうことで」

「我々には魔法があります!必ずやあなた方の生活に役立つはずです!」

「魔法?」「くどい!」

 クロスの関心とボルテスの切っ先が長老の額をかするのは同時だった。長老は臆して尻もちをついた。

 これはもう助からない。遠くから眺めていた民たちだけでなく、流れ者たち自身も諦観した。逃げ場なく包囲されている上に衛兵たちは全員躊躇いナシ。絶望下、ここに辿り着くまでの体験を語ることすら許されない哀れな集団は悲鳴を上げ、涙する。

 例の美少女も膝を突き、生意気な小娘を抱き締めて覚悟する。尊厳を示す強い眼差しにクロスは思わず感嘆するも、どうすんのこれ……と自問に駆られ、駄目な大人を見る小娘の視線が気まずくて目を逸らした。


 すると、逸らした目線の先に、クロスにとっても、二人の女子にとっても、長老たちにとっても僥倖となる存在が迫っていることに気付く。

 

「心が無いのか!?どうして話し合いさえも拒む!?」

「余計な知恵を入れない方が豊かだからだよ。恨んでくれて結構。ほら、覚悟決めろ爺さん」

 る気満々の衛兵代表は長老の真横に立ち、皺深い首を刎ねる準備を整えた。他の衛兵たちもそれぞれ近くの獲物をターゲティング、狩られる側は更に戦慄した。

 これでは騎士の名折れだ。あるいは衛兵だからと言い訳するのか。望んで衛兵隊長を続けてきたクロスも正しい判断を下しているようで、原点を疎かにしている自覚がある。

 我々とは本来、このような他に縋るものがない人々を救うべく研鑽を積み重ねてきた組織だったのではないか。平和が長過ぎた。敵が存在しない時代を続け過ぎた。だから、まだ無辜として扱える彼らの抹殺が正義の執行・安寧を維持するためとして許されてしまう。

 本気を出せば部下たちを止められるが、問題はそれだけじゃない。

 正義が何か、力とはどう扱うべきか。それを見失い、ただ平和のためだけに剣を振り下ろす彼ら……ではなく、そうさせてしまった自らの指導不足をクロスは悔いた。

「いざ……」

 ボルテスが剣を掲げ、長老は涙目に蓋をする。クロスは美少女と抱き合う小娘の揺るぎない眼差しを見つけた。

 まだ幼く、自分の境遇も明確には理解していないかもしれない。

 それでも強く在れる、天性の高潔さを……。


「そこまでだ。全員、剣を納めろ」


 一斉処刑は……待ったをかけられた。

 衛兵隊長の指令であり、自分たちの意志に基づく決行。それを阻むなど無礼にも程がある。

 ……そう憤るには、処刑を阻んだ存在の位と人望が引退希望の衛兵隊長を遥かに上回っていた。

「タクト王子!?」

 白基調の礼服を着崩し、極光の如き金髪も無造作で羽織るジャケットに僅か被さるバランスの悪い美青年。

 しかし、彼の瞳はまるで未来が見えているかのように凛々しく、正面から視線を交わせば先に振りほどくことは何人も叶わない。

 第一王子・タクト。

 国王、王妃、第二王子、第三王子。王族は従者を侍らせ行動するのが基本の中、彼は執着する一部を欺き単独で街に繰り出すのが好きだった。そのマイペースぶりのままにこの緊迫感を闊歩し、容易くボルテスと長老の間に入ってみせた。

「ご立派な騎士道もその様か?それとも衛兵だからと言い訳してみるか?」

「し、しかし……どう考えても余計な連中ですぞ?あるいは囮で、別動隊がどこかに潜んでいるやもし――」

「いいから納めろこの野郎!」

 比較すれば細い美青年が、極太の右腕を支配する。力尽くで剣を鞘に捻じ込み、そのまま一本背負いで巨体を地面に投げ飛ばした。

「えっ!?」

「何事もまずは話し合いからだよ、ボロボロ君」

「いや貴方もね!?あとボロボロなのは貴方のせいですよ!」

 皆が呆然とする中、小娘は場を収めた第一王子……次期国王を鋭く睨み付けた。その眼光を第一王子は見逃さず、代わりにこうべを垂れる美少女を気にも留めずに「生意気そうだなぁ」と関心を示す。

「とりあえず、ご老人よ、我が父・クルーダ王への謁見を認めてやるぞ。ついてくるといい。他も拘束はしない。一箇所に集めて監視を置かせてもらう程度だ。クロス、手配してくれ」

「畏まりました」

「ありがたく!それと……」

 命を拾われた謎の民の代表は、口調だけは申し訳なさそうに図々しく物申す。

「この二人の同行をお許しいただきたい。きっと国王様も満足されるかと」

「知らん。好きにしろ」

 交渉を成立させるための『材料』として若い娘たちも第一王子に続く。両国の民が立ち去る四人の後ろ姿を見届けた。

 この四人こそが、後にこの島国を混沌へ貶める事になるなどとは、クロスを以てしても計り知れるはずもなかった。

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